31.婚約破棄と狼の気持ち
緊張していた空気が一気に緩んでしまい、それぞれ深く椅子に体重を預ける。
だけど私の頭の中には、今ここで主張することがあるのに気付いた。
「じゃあ、私がシグルドと一緒になっても問題ないよね?」
狼の末裔の本当のことが分かり、これからは仲良くするよう王様も言っている。
だったら今まで私たちを阻んでいたものは、全部なくなったっていうことじゃないかな。
「それとこれとは話が別だ、お前はまだ十六歳だろう!」
「お父さん、こないだはもう十六歳って言ってたじゃない。婚約させようとしてたくらいだし」
「いや、しかし、すでにマーカスに引き継ぎを……」
「その件ですが、辞退させていただきます」
すっと立ち上がったマーカスは、お父さんに向かいまっすぐ頭を下げた。
それを意外に思っているのはお父さんとタミーだけだ。
お母さんなんて扇子で口元を隠しているから、奥では笑っているのかも。
私が知っていることをお母さんが知らないはずがないんだから。
「オレはこれからも警備隊でこの領を守りたいです。次の領主には他の方を」
はっきり言い切ると、マーカスは私に向かって小さく笑った。
立場に見合った行動をって、言ってきたのに。
だけど、そんな心変わりが嬉しい。
「なんということだ……このままではフロンティエル領の未来が……」
「大丈夫ですよ、あなた。甥っ子がいるじゃないですか」
「しかし奴らは領外に……」
「そういう考えも正すようにと、国王様のご命令でしょう?」
お父さんの嘆きはお母さんには響かないらしい。
ただ、お母さんの言うことはもっともなのかもしれない。
凝り固まったこの領を変えるには、外の空気を取り込むほうが手っ取り早い。
そういう政治的なお話には入り込めないから、あえて口出しはしないけど。
なんだか全部がうまくいきそう。
辛い気持ちが長かった分、今は浮かれて踊り出しちゃいそうだ。
今すぐシグルドの手を取ってしまおうかと思うと、お父さんは最後の足掻きを見せた。
「……しかしだな! クレアを嫁にやるという話は別だからな!」
「えーっ、駄目なの!?」
「当人の意気込みを聞いていない! 親の許可なしに結婚など、許さないぞ!」
「許されなくてもするもん! シグルドと一緒に居られないなんて嫌っ!」
「駆け落ちでしたら教会までどうぞ」
ノエルさんの明るい援護にお父さんはぐっと息を詰まらせた。
ご先祖様の前科というものは恐ろしい。
だけどせっかく歪んだ認識が正されるというのに、ここでこじれてしまうのはもったいない。
「ねぇ、シグルド……」
どうしようって聞こうとしたら、シグルドは椅子に座ったまま項垂れていた。
もしかして、怪我が痛む?
いくら応急処置をしたからって大怪我だったんだから!
慌てて肩に手を置くと、ほんの少しだけ顔を上げてくれた。
「大丈夫? 具合悪い? お医者さんに……」
「お前な……さっきからおおっぴらに言い過ぎだろ」
ぼそりと聞こえた声は、消えてしまいそうなほど弱々しい。
シグルドらしくない声に顔を覗き込むと、耳まで真っ赤に染まっていた。
「シグルド真っ赤! 熱あるの!?」
「ちげーよ、この馬鹿ずきんっ!」
「どこが馬鹿だって言うの?」
「自分の親の前でなんでもかんでも喋ることのどこが馬鹿じゃねーんだ!
少しは恥じらいってもんを……」
「シグルドを好きなことが恥ずかしいなんて思わないよ?」
うっと声を詰まらせたシグルドは、深いため息をついて顔を上げた。
お父さんを筆頭に、全員の意識がシグルドに向いている。
そのことに気付いたシグルドは、まだ赤さの残る顔できちんとお父さんを向いていた。
「クレアと結婚したいというなら、それ相応の意気込みを聞かせてもらわないといけない。
そうでないとご先祖様に申し訳が立たないからな」
「オレも、幼馴染みとしてクレアと過ごしてきたんだ。
ここに居るタミーも、もちろん奥様も君の意見は聞きたいはずだ」
お父さんに続いたマーカスの言葉に、お母さんとタミーもしっかり頷いた。
ここに居るのは私にとって大事な、ずっと過ごしてきた家族だ。
そんな人たちが、私の好きな人の話を聞こうとしてくれている。
嬉しいような、申し訳ないような。
シグルドの顔を見てみると、少し気まずそうな顔をしている。
だけど一度ゆっくり呼吸をし、汚れの落ちきっていないローブの合わせ目を握りしめた。
「俺は……一人で居るのには、慣れてた」
低い声で始まった話に、誰もが口を閉ざした。
それは罪悪感からか、それとも消え入りそうなシグルドの声からかは分からない。
決して邪魔をすることのないようにか、物音一つ聞こえない。
「狼の末裔と分かって、周りに誰もいなくなったから。
特に何も求めてなかったし、あの見張り小屋は案外、居心地がよかった。
次の代が来たら、誰も来ない場所で隠居でもしようと思ってたんだ」
魔の森で戦うことを要求した国は、役目を終えれば相応の扱いをしてくれるらしい。
それで代償になるだなんて思えないけど、今までの狼の末裔も同じ考えだったそうだ。
一人で過ごして、一人で生きる。
そんな寂しい過ごし方をしていただなんて……。
「……なのに、こいつがいきなり魔の森に入り込んで、勝手に気絶して。
その上、帰れって言っても帰らねーし、来んなって言っても来やがる。
こんなにしつこい相手は初めてだった」
「シグルド、そんな風に思ってたの? ひどいっ!」
悲しくて鼻の奥がつんとしてしまっていたのに、続く言葉で一気に吹き飛んでしまった。
文句を言ってもシグルドはそっぽを向くし、他の人は苦笑すら浮かべている。
好きな人に会いたいって気持ちがそんなにおかしなもの?
口を尖らせてふて腐れてみせると、シグルドはまた話を続ける。
「いくら魔獣避けの結界がしてあっても、大の大人だって近付かない魔の森だ。
なのにそうやって何度も来て、こいつは……俺を、見てくれた」
ちらりと向けられた目は、琥珀色に輝いている。
何度見てもきれいなその瞳は、いつだって私の気持ちを掴んで離さない。
「ひでーこと言って突き放したのに、守ろうとしてくれた。
俺が死ぬなら自分も死んでいいとも言ってくれた。そんなの、絶対許さねーけど」
私だって、シグルドが死んじゃうなんて許さない。
それはシグルドも分かっているみたいで、薄い唇で小さく笑う。
小さな傷が散らばる顔は痛々しいのに、どうしてかとってもきれいに見えた。
「こいつは本当に馬鹿だけど……可愛いと、思ってる。だから……」
そう言って、シグルドはゆっくりと立ち上がった。
傷だらけの身体は少しふらつくみたいで、慌てて支える。
まるでご先祖様の姿みたいだって思っていたら、シグルドは私の肩に手を置いた。
抱きしめるようにしていると、シグルドはお父さんに向かって、まっすぐ頭を下げた。
「俺はこいつを手放したくない。認めてほしい」
ぶっきらぼうな宣言に、胸が苦しくなるくらい締め付けられる。
シグルドがこんな風に思っていてくれただなんて。
嬉しくて嬉しくて、たまらなくなって、思わずぎゅうっと抱きついた。
「シグルドっ!」
「ばっ、馬鹿っ! お前こういう時までこんな……っ!」
「だって嬉しいんだもん!」
手放したくないって言ってくれた。
認めてほしいって言ってくれた。
もしもお父さんが許してくれなくても、それだけで十分嬉しいんだから。
だけど一番端で静かに見守っていたノエルさんは、こっちを向いて首を傾げた。
「クレアさんが居ないとうまく魔法が使えない、とでも言えばいいでしょうに。
そうすれば認めざるを得ませんよ? あなたが居ないとこの領地は守れないんですから」
「うるせー、そんな卑怯なこと言うか。こいつの故郷をわざと壊すような真似はしねーよ」
「おやおや、お優しいことで」
印象と違い結構腹黒いことを言うノエルさんに、シグルドは拗ねたように吐き捨てる。
私だけじゃなくて、私の大事なものまで守ろうとしてくれる。
そんなシグルドはやっぱり優しくて、抱きしめるだけじゃこの気持ちは伝わらないだろう。
「シグルド、嬉しいからキスしたい!」
「な……っ! 馬鹿っ、離れろっ! あと一応怪我人ってこと忘れんじゃねー!」
慌てて引き剥がそうとする顔は真っ赤だ。
そんなシグルドを見ると、こっちまで恥ずかしい気持ちになってきちゃう。
それはみんなも同じなのか、なんだか温かい空気が漂う。
呆れたような感じもするのは多分気のせいだよね?
「狼の末裔は怪我の回復が遅いのか? 銀の矢が功を奏したかな」
「猟師、あんたな。矢が貫通した傷が一日で治ったらそれこそ化け物だろ。素材の問題じゃねーよ」
「違いない」
マーカスが揶揄するように言い、シグルドは怒ったように歯を向く。
そんなやりとりは新鮮で、大事な二人が会話を交わしていることが嬉しい。
それを見ていたお父さんはため息をつき、頭を抱えて項垂れた。
「……この娘は、一度決めたらきかないと分かっている。
しかしだな、結婚はまだ、まだ認めんぞ! 健全な交際を経てだな……!」
「健全な交際ってどういうこと? シグルド、分かる?」
「お前はちょっと黙ってろ!」
眉を寄せて鼻に皺を寄せたシグルドを見て、さすがに黙っておくことにした。
あとでタミーに聞いてみよう。
そう思って目を向けると、すぐ近くに座っていたお母さんがぱちんと手を叩いた。
「はいはい、お母さんも賛成ですよ。クレアちゃんを守ってくれて、ありがとうね」
往生際の悪いお父さんに、にこりと笑うお母さん。
タミーはやっぱり無表情だけど、冷たい目はしていないからいいんだろう。
そんな三人に向け、シグルドは小さく頭を下げた。
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