30.狼の末裔とご先祖様
まだ朝と言える時間に領内に辿りつき、教会の扉から防壁の中に入る。
シグルドは何度も渋っていたけど、ノエルさんとマーカスの説得で従ってくれた。
こっそり入るのはよくて、きちんと入るのは嫌だなんて、変なの。
私は周りの目を気にすることなく一緒に居られて、幸せでいっぱいなのに。
赤い頭巾をわざとずらして、私と分かる金髪を見せる。
普段なら絶対に一緒に居ないであろう組み合わせは、領内でよく目立っている。
向けられた視線の中にヴァネッサを見つけたから、笑って手を振っておいた。
そうして辿りついたのは、領主のお屋敷。
私にとってはただの自宅だけど、シグルドにとっては初めて来る場所だ。
もう一度渋ったのを引っ張って、人の残る大広間に連れて行った。
「ただいま!」
「クレア!」
扉を開けてすぐに駆け寄ってきたのは、お父さんとお母さんだった。
タミーもすぐ後ろからついてきて、小さく息を吐いていた。
「お嬢様、ご無事で何よりです」
令嬢とは程遠い格好を見ても文句を言わないだなんて、それほど心配させてしまったんだろう。
疲れた顔は寝ていないからなのかもしれない。
私はちゃんと元気って伝えたくて、誰より先にタミーの前に向かった。
「タミー、紹介するね。この人が狼の末裔で、私の好きな人だよ!」
私の紹介に、その場に居た人がぴしりと固まった。
あれ、おかしなこと言ったかな?
周りを見回してみると、手を繋いだままのシグルドが顔を覆っていた。
「……その件についてはあとで厳重に話し合おう。まずは、魔の森についての報告を」
こめかみを痙攣させるお父さんの声に逆らえず、それぞれ椅子に座って話が始まる。
ノエルさんが魔の森や魔獣の話をし、マーカスが起こったことを説明する。
シグルドと警備隊の協力で退治できたことを報告すると、ほっとした空気が流れた。
あの後は魔の森から魔獣が出てくることもなく、領地に被害はなかったらしい。
報告も含め、ノエルさんによる狼の末裔についての話は本当だったと判断された。
覆された常識が浸透するのに、一体どれだけの苦労があるのかは分からない。
それをどうにかするのが自分たちの仕事なんだって言っていたから、私は信じようと思う。
集まっていた人たちは、今後の対応を取るためにそれぞれの場所に戻っていった。
残されたのは私の家族たちとシグルド、それにマーカスとノエルさんだ。
マーカスは婚約者の立場で、ノエルさんは国からの使者という扱いらしい。
応接室に移っての話は、お父さんにより重々しく始まった。
「その……狼の末裔よ。
魔の森から我がフロンティエル領を、その、守って……いや」
長年の信念が邪魔をしているのか、お父さんの言葉は歯切れが悪い。
素直にありがとう、ごめんなさいって言えばいいのに。
つい口を尖らせてしまうと、マーカスが小さく苦笑した。
「今までの常識を覆されてしまったんだ。そう不満に思っちゃいけないよ」
「うむ、それは追い追いだな……そして、牧師よ。昨夜は話の途中だったが……」
そうだった。
魔獣のせいで中断しちゃったけど、ノエルさんは百年前のお話をしようとしていたんだ。
狼の末裔への意識が歪んだ原因。
出されたお茶で口を潤したノエルさんは、ゆっくりと話し始めた。
「百年より前。領民と狼の末裔は、互いに理解しあい、協力しあって過ごしていました」
今では考えられない理想的な関係だ。
それがどうしてこうなったのか。
それほどまでに大きな事件って、一体どういうものだろう。
「その代の領主様には一人娘が居たそうで、とても可愛がっていたそうです。
クレアさんと一緒ですね」
「娘を可愛がって悪いかね」
「いいえ。神は家族の愛も肯定されるでしょう。
ですが、その代の領主様はそれが行き過ぎていたのです」
お父さんの発言はちょっと恥ずかしいけど、そもそもなんでこんな話を?
狼の末裔はどこに行ったのかと思っていると、ノエルさんはちらりとシグルドに目を向けた。
シグルドは眉を寄せて首を傾げていて、格好いいなぁと思ってしまう。
つい見入っている私に気付いたのか、シグルドはくいっと顎でノエルさんを指す。
粗野な仕草もやっぱり素敵だ。
「いやはや……その、娘さんがですね。駆け落ちをしまして」
「駆け落ち?」
突然ずれた言葉に、誰もが訝しげな顔をした。
私だってそうだ。
だけど狼の末裔の話で、領主の娘が駆け落ちした話に繋がるとなると……。
「もしかして……お相手が狼の末裔、とか?」
思いついたことを言ってみると、ノエルさんは大きく頷いた。
「怒った領主は狼の末裔を存在から拒絶。領外の人間の出入りも厳しく取り締まりました。
もちろんそんな悪政を行えば任期も短く、狼の末裔に関する悪評だけが残ったようです」
苦いものを食べたような表情を浮かべるノエルさんに、周りも似た顔になる。
もしもそれが本当の理由なんだとしたら、それって……。
「ただの親バカじゃないのぉ!」
お母さんのひっくり返ったような声に、ノエルさんは深く頷いた。
とんでもないきっかけに、今の領主であるお父さんを睨んでしまった。
「お父さん、ひどい」
「いや、クレア、違う。そんなことは一言も引き継がれては……」
しどろもどろな様子にため息が出てしまう。
領主の親バカのせいで、狼の末裔は今まで辛い思いをしてきたっていうの?
そんなの許せるはずがない。
「シグルド、怒っていいよ!」
百年もの間ひどい扱いをされてきたんだから、どんなに文句を言っても許されるだろう。
シグルドもさぞ不満だろうと思って顔を向けると、なんだか難しそうな顔をしていた。
「いや……それに関係するかはわかんねーが、見てもらいたいものがある」
そう言って、シグルドはローブの中から水晶玉を取りだした。
たくさんの傷が残る手は痛々しいけど、シグルドは気にした様子もなく手を伸ばす。
手の平に乗る大きさの水晶玉は、覗き込むと逆さまの自分が映った。
「部屋をひっくり返した時に出てきた。
もしもここの領主に会う機会があったら見せろって手紙と一緒に」
黄色く変色した紙は相当古いんだろう。
両方テーブルに置くと、シグルドはお父さんに顔を向けた。
「投影魔法がかかってるらしい。そのまま持ってきたから内容は分からない」
どうするかという無言の問いに、お父さんは深く頷いた。
狼の末裔が、領主に対して見せたいもの。
それは一体どんなものか、少し怖く思ってしまう。
もしかしたら、恨みつらみを込めたものなのかもしれない。
でも、もしそうだったとしても、私たちはきちんと受け止めなきゃいけないんだと思う。
「――――――」
不思議な音が響くと、水晶はきらりと光を帯び、ふわりと人の姿が浮かんだ。
領内の広場で見た時は一瞬で消えてしまったけど、さすがというべきかいつまでも残っている。
そこにあったのは、魔の森にあるお家を背にした二人の男女の姿。
一人はシグルドと同じ灰色のローブを着ていて、そしてもう一人は……。
「金髪に、青い瞳の女の人……?」
「おそらくその方は、駆け落ちをした一人娘でしょう」
ノエルさんの説明に誰もが納得する。
領内では珍しい私の髪と瞳の色は、ご先祖様譲りだったらしい。
その人はすらりと背が高いのに、少し子どもっぽいと感じてしまえる。
それは令嬢らしい格好をしていながら、無邪気に笑って隣の人に抱きついているせいだろう。
満面の笑みを浮かべる女性とは反対に、灰色のローブの人は眉を寄せてそっぽを向いていた。
それでも肩に手を置いているんだから満更でもないのかもしれない。
そして女性の手には紙が握られ、そこには二人分の署名が書かれていた。
「これ……結婚誓約書?」
「根気強く説得を試みたそうですが、どうしても許されなかったようで。
娘さんのほうが領外の教会での儀式を手配したそうです。
その後しばらく魔の森で暮らし、次の狼の末裔と交代した時に森を出たそうですよ」
ノエルさんの苦笑交じりの話に、なぜか視線が私に集中する。
「え、私じゃないよ?」
部分的には似ているけどそれだけだ。
男の人のほうだって、ほんの少し雰囲気は似ているけど、シグルドじゃないってすぐ分かる。
なのにみんなは、まるで可哀想なものでも見るような目を向けてきた。
「血筋ということか……」
「狼の末裔に血縁関係はない」
お父さんの呟きに即座に訂正が飛ぶ。
自分で魔法を使ったというのに、シグルドはなんだか困っているみたいだ。
駆け落ちをした二人が仲良く暮らしていたって分かっただけなのに、どうしてだろう。
タミーに目線を送ってみると、ガラス玉のような目で首を振った。
「なら、金髪に青い瞳の娘が生まれたら要注意と、領主様の引き継ぎ項目に入れるべきかと」
マーカスの呟きに、お父さんは深く深く頷いた。
それってどういう意味?
文句を言いたかったけど、みんなに不思議な一体感みたいなものを感じたから黙っておいた。
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