25.令嬢の蛮行と牧師の手助け

 階段を一段下りるたび、チリンチリンと音がする。

 廊下を進んで大きな扉の前に立ち、大きく息を吸った。

 コンコンコン。マナーを守ったノックをしてから、扉を開ける。

 この家で一番広い大広間は、特別な話し合いに使われることもある。

 今はまさにその使い方をしているようで、何人もの人が居た。

 商人のまとめ役をしている、パン屋の旦那さん。

 何度か会ったことのある、議会の議員さんたち。

 警備隊を率いる、警備隊長のマーカス。

 そして一番奥には、フロンティエル領の領主が座っていた。


「ごきげんよう。ご歓談中のところ、失礼いたします」


 スカートの裾を摘まみ、片足を後ろに引いて身体を落とす。

 タミーに叩きこまれた令嬢の挨拶は、迷うことなく実行できた。

 中の人たちは突然の乱入者に驚いているようで、私はさっさと奥へと進む。

 ふくらはぎを見せるショートスカートに、くすんだ薔薇色のオーバースカート。

 そして、金髪を見せるために、少しずらしたビロードの赤い頭巾。

 今の私は赤ずきんだけど、領主の娘でもある。

 一番奥の席の横に立ち、視線を合わせてから深く腰を折った。


「狼の末裔について、話を聞いてください」


「クレア、一体どういうことだ。それに、体調は……」


 領主ではなく父親として接するお父さんも、動揺を隠せないらしい。

 だけどこの中で一番事情を把握して居るであろう人が、私に身体を向けた。


「狼の末裔の凶暴性はここにいる全員が知っている。これ以上聞くようなことはないよ」


 マーカスは目尻の下がった優しい顔立ちで、優しさの欠片も感じないことを言う。

 責任感からか、それともこの領を守っているという自負からか。


「狼の末裔を、どうするつもり?」


「……駆除を検討しているが、殺しはしない。

 クレアの助けになれるようオレも手を尽くす。だから今は口を出さないでくれ」


 マーカスの言葉に周りの大人たちも頷き、私に出ていくようにと促してくる。

 この領内で伝わる話を元にすれば、それは正しい判断なんだろう。

 だけどそんなの、本当のことを知ろうとせず、悦に浸っているのと一緒だ。

 狼の末裔の話は歪んでしまっている。

 この領を守っているのは警備隊だけじゃないのに、それを知らずにのうのうと生きている人ばかり。

 それが分かってしまい、ポケットに入れたものを指で撫で、大きく息を吸う。


「動かないで!」


 腕をまっすぐに上げ、握りしめた銀のペーパーナイフを見せつける。

 使うことの少ない刃は、灯された明かりをちらりと受け止めていた。

 一気にざわついた室内で、マーカスだけが腰を浮かせた。


「悪いけど、その細腕で誰かを傷つけられるとは思えないな」


 マーカスにとっては、こんなの一瞬で解決できる暴力なんだろう。

 だけど、私がするのはそんなものじゃない。


「私は、理由もなく人を傷つけたりしないよ。

 狼の末裔というだけで、武器を突きつける人たちなんかと一緒にしないで」


 誰の邪魔も、助けも、許さない。

 私は私の力で、シグルドを守るんだから。


「私の話を、聞いてください」


 鈍く光る切っ先を、自分の首に突きつけた。

 ペーパーナイフといっても刃物は刃物だ。

 力を込めて突き刺せば、問題なく肉を切り裂く。

 私の行動に室内に居るすべての人が息をのみ、空気が硬直する。


「……狼の末裔というものは、人心操作までするのか」


「そんなことできるわけない。狼の末裔は化け物じゃない。ただの、人間なんだから」


 誰かの呟きに答えると、硬直した空気が壊れ、混乱が生まれる。

 凶暴だと、化け物だと思っていた存在が、人間だった。

 信じられるはずがないと、偉い人たちが口々に批判する。

 本当のことを知ろうとしなくて、自分たちが正しいと思い込んでいるだけの人たちが。

 そんな人たちは、私を指さして声を上げる。

 狼の末裔に誑かされたのだと。

 私を足がかりに、内側から食い散らかすつもりなのだと。

 言い掛かりにもほどがある言葉に、周りはどんどん賛同していく。

 自分は間違っていないと分かっていても、ぶつけられる悪意は痛い。

 こんな気持ちを、狼の末裔はずっと味わってきたなんて。

 途切れることのない怒声の合間で、私は握った手を引き寄せた。


「静かにして!」


 ぷつっと皮膚が裂ける感覚がして、生温い液体が首を這う。

 ただの令嬢だと思っていた私の行動に、すべての動きが止まった。

 痛みというより熱さを感じ、頭に血が上るのを感じる。

 どうしたら信じてくれるの?

 どうしたら会いに行けるの?

 くらくらする頭で必死に考えていると、空気を読まないノックが響いた。


「……すまないっ!」


 一瞬意識が向いてしまった隙に、握ったペーパーナイフが叩き落とされた。

 両腕をまとめて後ろで掴まれ、身体は太い腕に拘束されてしまう。


「マーカス離してっ!」


「無茶を言わないでくれ」


 床に落ちたペーパーナイフは遠くに蹴り飛ばされてしまい、入ってきた人の足元で止まった。

 ずぶ濡れの雨着で入ってきた人は、驚いた様子で脚を止める。


「おやおや……ずいぶん物騒なことになっているようですね」


 爆発しそうな雰囲気の中に、穏やかな声が響く。

 雨よけの帽子の下から現れたのは、銀髪に緑色の瞳。

 それは旅の装いをした牧師のノエルさんだった。


「今は取り込み中だ。部外者は出ていってくれ」


 マーカスの鋭い言葉を受けても、ノエルさんは一切焦ることはなかった。

 それどころか笑みまで浮かべ、ゆるりと首を傾げた。


「部外者かもしれませんが、僕は今、王命を持っています。

 まずはこちらの話を先にしてもらえませんか?」


 王命という言葉に、再びざわめきが生まれた。

 私たちの住むフロンティエル領は、イストワール王国に属している。

 大国と言われる王国の王命と言われれば逆らえるはずもない。

 お父さんがマーカスに目配せをすると、腕の拘束が解かれる。

 だけど解放はしてくれないようで、その場に縫い付けるように肩を掴まれた。

 ノエルさんは雨着を使用人に預け、全員から見える位置で封筒を取りだす。

 二つの封蝋を確認すると、それは国王と教会のものらしい。

 そしてその内容は……狼の末裔について、だった。


「狼の末裔について正しい認識を取り戻すように。

 そのために、フロンティエル領に配属されている僕が、皆さんに説明するよう仰せつかってきました」


「よそ者の牧師に、そのようなことを言われる筋合いはない」


「ご不満かもしれませんが、見ての通り王命ですので。ご容赦ください」


 お父さんの制止は、ノエルさんの笑顔にはね返された。

 ここに居るのは領内でも偉い人たちで、領外をよく思っていない人ばかりだ。

 だけどそんな中、ノエルさんはゆったりと話を始める。

 狼の末裔は、特別な力を持つ魔術師であること。

 国の手配で魔の森の見張り小屋に配属され、人の手で倒せない魔獣を退治していること。

 強い魔獣は狼の末裔にしか倒せないから、あえて王国から兵士を配備していないということ。

 狼の末裔とフロンティエル領の領民は、力を合わせて魔の森を封じていたこと。

 それは記録に残らないほど、遥か昔から行われていたこと。

 聖書を読むかのように淀みなく、最後の一節まで語り終えたノエルさん。

 自分たちの認識の真逆であるだろう話に、大広間には困惑が広がった。


「まさか、あんな力があるというのに……」


 背後からの呟きは、私に聞かせるためのものじゃないんだろう。

 ずっと信じていた常識を覆された人たちは、誰もが動揺を隠せない。

 

「……そのような話を、なぜ今さら」


 全員の困惑を代表してか、お父さんが震えた声でノエルさんに聞く。

 するとノエルさんは困ったように眉根を落とした。


「今までは、当人たちの希望でことを大きくしなかったようです。

 彼らは元から、周囲から畏怖される存在でした。平穏な生活を乱したくなかったのです」


 魔の森での生活は、危険はあっても対人的な問題は生まれない。

 そんな環境は、狼の末裔と呼ばれる人たちにとって、悪くないものだったらしい。


「今代の狼の末裔も、同じことを言っていました。

 ですがこのままでは任務に支障が出ると判断し、僕の独断で行動しました」


 そういってノエルさんは私のほうを向き、ぱちんと小さくウインクをした。

 この領内でできることは少ないって言っていたけど、こんなにすごいことをしてくれただなんて。

 声を出さずに感激していると、近くから深いため息が聞こえた。

 項垂れている姿は、父親としても領主としても見たことのないものだった。

 

「歴代の領主は、語り継いできたんだ。

 狼の末裔を近付けてはいけないと、あれは悪しき存在なんだと、強く……」


 弱々しい声に周りの人たちも深く頷く。

 領内で長く語り継がれていたものは、誰の中でも根深いらしい。

 ノエルさんは嘆きを否定することなく、牧師らしい慈しみを感じる声を出す。


「その理由も記録に残っていましたよ。この領で、百年前に起こったことが原因です」


 百年前……。

 ノエルさんとの話で、何かがあったとされた時だ。

 領民の認識を正反対にしてしまうような出来事って、なんだったんだろう。

 それを知ることができれば、きっとシグルドのことだって……。

 そう期待して続きを待っていると、再び空気を読まないノックが響いた。

 だけど今回はとても乱暴で、叩きつけるように激しい音だ。

 飛び込むように入ってきたのは警備隊の人で、一目散にマーカスの元へと走った。


「魔の森から魔獣が出てきただと……!?」


 耳打ちはすぐに大声に変わり、驚きが広がる。

 記録にある限り、魔獣が森から出てきたことはない。

 その常識がひっくり返る報告に、誰もが声を上げていた。

 眉を寄せたノエルさんは、騒ぎを遮り私に詰め寄る。


「クレアさん、シグルドはどうしましたか」


「シグルド……そう、シグルド、怪我してるの! 私のせいで、腕に……!」


「まずいですね……今日は満月です。魔獣が一番活性化する時に、そんなことが」


 歯噛みするノエルさんに、誰もが視線をそらす。

 歪んだ認識を信じて、狼の末裔に危害を加えたんだ。

 国と教会から認められた存在に対する仕打ちに、気まずさが募っているらしい。

 経験のない状況に誰もが動きを止める中、私はお父さんに身体を向けた。


「……私、シグルドのところに行く」


「クレア、それはいけない。お前が行ってもできることはないだろう。

 ここは警備隊に任せて……」


 警備隊には倒せない魔獣を、シグルドが倒してくれていた。

 だから、警備隊に任せることはできない。

 赤い頭巾を被り直し、床に落ちたペーパーナイフをポケットに入れる。

 

「それでも、私は行きたい。ずっと私たちを守ってくれたシグルドを、助けに行きたいの」


 何もできないかもしれない。だけど、黙って待っているだけなんてできっこない。

 押し黙ったお父さんに背を向けて、開きっぱなしの扉から出ていこうとした時。


「僕も行きます」


 一番近くに居たノエルさんが、私に声をかけた。

 硬い声は初めて聞くものだ。

 魔の森は本来、旅に慣れた人ですら恐れるものなんだろう。


「でも……ノエルさんは今まで魔の森に行ったことないって」


「これでも牧師なので、治療の心得はあります。

 シグルドの危機に、僕が領内に留まるわけにはいきません」


「オレも行こう」


 ノエルさんに頷こうとした時、もう一人の声が響いた。

 連絡役の警備隊員に指示を終わらせたマーカスが、大股でこっちに歩いてくる。


「……マーカスの助けなんて、いらない」


 ノエルさんの話を聞くまで、狼の末裔のことを信じてくれなかった。

 今だって本当に分かってくれたとも限らない。

 何より、シグルドの怪我は警備隊の矢によるものだ。

 そんな人に助けられるなんて、絶対に嫌だから。

 だけどマーカスは下がった目尻を鋭くし、私を追い抜き扉へと向かう。


「助けじゃない。この領を守るために魔の森に行く必要があるだけだ。

 急を要する。クレアはあの場所まで行く方法を知っているんだろう?」


「教会から狼の小道が伸びています。狭い道ですので大勢は難しいでしょう」


「腕利きを手配する。準備ができ次第教会で落ち合おう」


 ノエルさんとの短い打ち合わせを済ませたマーカスは、足早に出ていってしまった。

 警備隊はシグルドを傷つけた元凶なのに。

 不満を込めてノエルさんを睨むと、眉を下げて苦笑を浮かべた。


「大体の事情は分かっています。

 それでも、シグルドを助けるためには必要があるんですよ」


「私は、そんな風に割り切れない」


「クレアさんはそれでいいんですよ。さあ、行きましょう」


 外に出ると、雨は止んでいた。

 雲の隙間からは空が見えて、まん丸の月が浮かんでいる。

 魔の森の中も、こうして月に照らされているのかな。

 どうしようもない不安を胸に、濡れた地面を走った。

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