22.強い拒絶と子どもの癇癪

 マーカスに連れられて家に戻ると、無表情を浮かべたタミーが待っていた。

 汚れた服を見て眉を上げながらも、私を見つけ出したマーカスに深々と頭を下げている。


「マーカス様、お手間をおかけして申し訳ありませんでした」


「いや、手間なんかじゃないよ。

 タミーはいつも頑張っているんだ。たまにはオレにも頼ってほしいな」


 優しい言葉はむしろ酷なんじゃないか。

 タミーの反応を見たくなくて一人でその場を離れる。

 背後からの呼びかけも無視して、走って部屋へと戻った。

 汚れた服から部屋着へと着替え、結い上げた髪も解いてしまい、整えられたベッドへと倒れ込んだ。

 空に浮かぶ太陽が赤くなっていい頃なのに、厚い雲でよく見えない。

 そんな窓の外なんて見たくないから、頭から毛布を被った。


「……怖かった」


 しがみついた背中から感じた気配を思い出すと、今でも震えてしまいそうになる。

 魔力にあてられた、って言ってたっけ。

 でもそれだけじゃなくて……拒絶されているんだって感じた。

 私の話を聞いて、シグルドはどう思っただろう。

 素性を隠していたことに、怒ったかな。

 領主の娘だってことに、嫌になったかな。

 それに……婚約者がいるって知って、どう思ったのかな。

 シグルドの気持ちは分からない。だけど、私の気持ちは変えられない。


「……私に、できることをしなきゃ」


 たとえシグルドが私を拒絶したとしても。

 お父さんが、この領のみんなが、シグルドを拒絶しないように。

 弱音を吐いている暇なんてない。にじみそうだった涙を毛布で拭いて、勢いを付けて部屋を出た。


 食堂には歴代領主の肖像画が飾られている。

 大抵は家族全員のもので、一番新しい場所には幼い頃の私も描かれていた。

 百年前……一枚ずつ絵を見ながら、額の外に書かれた名前を読む。

 お父さん、お祖父ちゃん、ひいお祖父ちゃん……。

 タミーに教え込まれた歴史と照らし合わせながら読んでいくと、唐突に風景画が現れた。

 今まで気にしたこともなかったけど、肖像画の群れの中に一枚だけの風景画なんて変だ。

 その次の名前を読んでみると、一人分の名前が抜けていることに気付く。

 確か、百年くらい前の人だ。

 急いで書斎で調べ直すと、この世代の領主は、他と比べて短い統治期間だったらしい。


「なんでないんだろう……?」


 やっぱり、何かがあったんだ。

 記録を読んでみると、この領主には一人娘が居たらしい。

 それから夜まで調べてみても、答えはどこにも書いてなかった。



 婚約解消の話もままならず、知りたい情報すら得られず。

 そんな状態で領外に対する印象を変えられるはずもなかった。

 そして、領主の妻になる予定の立場とはいえ、休息日は平等にやってくる。

 警備隊のお見送りすら行かせてもらえなくなった身としては、今日しか機会はない。

 薄暗いうちに着替えを済ませ、朝日と同時に家を抜け出した。

 ふくらはぎを見せるショートスカートに、くすんだ薔薇色のオーバースカート。

 そして、ビロードの赤い頭巾。

 緩く結んだ金髪をしまいこめば、私は領主の娘のクレアじゃない。

 ただの、恋を覚えた赤ずきんだ。

 活気が生まれる前の街並みを走り抜けた先には、静まりかえった教会が見えてくる。

 ノエルさんに声をかけていこうか。

 そう思ったけど、扉は固く閉ざされていた。

 上を見上げると、朝日を受ける薔薇窓は、花に囲まれた女の子を輝かせていた。


「シグルドに……狼の末裔に、会いにいってきます」


 聞く人の居ない宣言をしてから、古びた木の扉をくぐる。

 前にここを通った時は、幸せでたまらなかったのに。

 あの気持ちを取り戻すために、細い小道をひた走る。

 もう少し歩けば、魔の森に辿りつく。

 シグルドのお家の帰りに見た、大きな魔獣。

 いくら攻撃してこないといっても、怖いものは怖い。

 一人で目にしたら、その場で動けなくなっちゃうかもしれない。

 もしかしたら、運悪く襲われるかもしれない。

 だけど、そうだとしても……。


「会うって、決めたんだから」


 木々が茂り始める前に銀の鈴を手首に付け、音を鳴らしながらどんどん進む。

 チリン、リン。チリン、リン。

 元に戻った花畑を通り過ぎ、さらさら流れる小川を飛び越えて。

 更に進んでいけば、木々に囲まれた秘密の隠れ家が現れる。

 日はとっくに昇っているはずなのに、気付けば空は暗い曇天だ。

 今にも泣き出しそうな空を見て、握った手で扉をノックした。

 返事はない。だけど、人の気配は感じられる。

 構わず開いた扉の奥には、灰色に包まれた姿があった。

 安楽椅子に深く腰掛け、何を持つこともなく身体を揺らす。

 真っ黒な髪に彩られた、凜々しい顔立ち。

 琥珀色の瞳を収めた、吊り目がちな目元。

 高く伸びる鼻。薄い線のような唇。

 薄暗い部屋の中から、シグルドはじろりと目線を向けてきた。


「何しに来た」


 低く響く声からは、あからさまな拒絶を感じる。

 いつものように赤ずきんとも呼んでくれない。

 だけど怯んじゃいけない。

 中に入って扉を閉めると、赤い頭巾を深く被って脚を進める。


「シグルドに、会いに来たの」


 声が震えそうになり手を握りしめる。その拍子に腕が揺れ、銀の鈴がチリンと鳴った。


「ごめんなさい」


 深く頭を下げたまま、手の平に爪が食い込むくらい握りしめる。

 痛い。だけど胸のほうがもっと痛い。


「私の名前……クレア・フロンティエルっていうの。黙ってて、ごめんなさい」


 返事はない。だけどその場に居てくれるのは分かるから言葉を続ける。


「シグルドのことを……ひどく扱う領主の娘で、ごめんなさい」


 狼の末裔に関する情報が歪んでしまったきっかけは分かっていない。

 だけど、今まで辛くあたってきた事実は変わらないから。

 謝らせてほしい。聞いてほしい。怒ってほしい。

 そんな我が儘な気持ちからの言葉に、シグルドは低いため息を吐いた。


「……お前がどっかの令嬢ってことくらい、最初から分かってた」


 頭を上げると、シグルドは肘置きにもたれ、壁を向いたまま中指をこめかみにあてた。

 琥珀色の瞳は真っ黒な髪に隠されて、私からは見えない。


「どうして……」


「最初にやってただろ。ガキの真似事みたいな令嬢の挨拶」


 初めて会った日のことを思い浮かべ、懐かしさすら感じる記憶に鼻の奥がつんとした。

 私を拒み続けたシグルドが、ようやく受け入れてくれたのに。

 だけどそれは、最初よりも強く拒まれることになってしまった。


「さすがに領主の娘とまでは思ってなかったが、大した違いじゃねーよ」


「じゃあ、なんで……避けるの?」


 今のシグルドは、私を避けている。

 自分で言って苦しくなることは、シグルドが今までずっと経験してきたことなんだろう。

 辛い。こんな気持ちでずっと生きてきたなんて。

 昼間だというのに外はどんどん暗くなって、シグルドの姿が闇に紛れていく。


「……婚約者がいるのに、こんなとこに来てんじゃねーよ」


「婚約者だなんて思ってないっ!」


 暗い声が耳に届いた瞬間、弾けるように叫んでしまった。

 自分の口からこんな声が出るなんて。

 だけどそのおかげか、少し吊り上がった目がこっちを向いてくれた。


「親が勝手に決めたことなの。マーカスは……警備隊の隊長だから。

 領主と警備隊は、運命共同体だからって」


 マーカスはそれで納得した。領内のみんなも手放しで喜んでいる。

 でも、私は納得できない。だったら、シグルドは?

 暗い部屋でも見える琥珀色の瞳は、鋭く細められていた。


「私、婚約なんてしたくない。シグルドと一緒に居たい。

 だって、私、シグルドのことが……っ!」


「やめろっ!!」


 私の声をかき消すほどの大声が響き渡る。

 ビリビリとした空気の振動の後、外から空が唸る音が響いた。

 曇天は雷を呼び寄せたらしい。

 先にやってきた稲光に照らされたシグルドの顔は、ひどく苦しそうに見えた。


「……飢えた狼に、優しさなんて与えんな」


 眉を寄せ、歯を食いしばる。

 搾り出したような声に、胸がぎゅっと締め付けられる。

 どうしてそんなに辛そうなの?

 その辛さの理由は、私だと思っていいの?

 雷の轟音が遅れてやってきても、気を向けることができない。


「優しさなんかじゃないよ」


 これはシグルドのための気持ちじゃない。私のための気持ちだ。

 私がシグルドを好きって気持ちは、私だけのものなんだから。

 

「私がシグルドと一緒に居たい、離れたくない!

 シグルドが嫌って言ったって、絶対許さないんだからっ!」


 こんなの子どもの癇癪だ。

 聞き分けのない、我が儘な、相手のことを考えもしない、ただの気持ちの押しつけだ。

 でもそうでもしないと、シグルドは私から離れてしまう。

 思い切って灰色のローブの袖を握りしめても、振り払われはしなかった。


「狼の末裔の話だって、領内の意識を変えてみせる!

 私とシグルドが一緒にいても、誰にも文句を言わせないようにする! だから……っ!」


 私を手放さないで。

 そう続けようとしたら、私の身体は灰色に捕らわれていた。

 立ち上がったシグルドの顔は遠い。だけど耳に届く鼓動は、私と同じく速かった。


「……お前、馬鹿だろ」


 両腕で強く抱きしめられると、息が苦しい。

 それでも緩めてなんて言うはずもなく、私も力いっぱい抱きついた。


「シグルドと居られるなら、馬鹿でいいもん」


 灰色のローブからじんわり届く体温が、私の身体に染みこんでくる。

 離れてしまったものが帰ってきた喜びで、胸が満たされる。

 見下ろしてくる琥珀色の目はやっぱりきれいで、見つめたまま薄い唇が開くのを待った。


「お前以外の意識なんて、どうでもいい」


 シグルドの右手が私の頬に触れ、ひんやりとした温度を感じる。

 節張った太い指はところどころ硬くて、ざらざらしている。


「お前だけが知ってればいいんだよ」


 戦うことでできる感触が愛おしくてたまらない。

 視線を合わせて頬ずりすると、小さく喉を鳴らす音が聞こえた。

 琥珀色の瞳が近付いてきて、真っ黒な髪が頬に触れる。

 僅かなくすぐったさを覆い隠すように、頬に熱が集まった。


「シグルド……」


 目の前に向けた呼びかけに唇が開こうとした時、扉から乱暴なノックが響いた。

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