18.勝手な祝いと勝手な婚約
今日も警備隊の見送りに行くというと、タミーはいつも以上にきれいな服を出してきた。
よそ行きもよそ行き、大事なお客さんが来る時に着せられるものは、相変わらず古めかしい。
いつもは背中に流している髪をしっかりと結い上げられて、余計に息苦しい気分になってしまった。
「ねぇ、タミー? お見送りに行くだけだよ?」
「……お嬢様は領主様の一人娘なのです。常に相応しい身なりでいただきませんと」
一瞬詰まったのはどうしてだろう?
朝が弱いとは思えないタミーの様子に、身支度を止めて窺ってしまう。
昨日はほとんど顔を合わせていなかったけど、何かあったのかな。
お母さんとのお買い物は疲れるからそのせいかもしれない。
「タミー、疲れてるなら今日はお家でゆっくりする?」
「わたしがついていかなければ、お嬢様はお一人で羽を伸ばされるでしょう」
さすが、長年私の侍女をしているだけある。
もしもを狙って言ってみたことだけど、思った通り惨敗だ。
足首まで隠すシュミーズドレスは、動きにくいったらない。
いつも以上に厳しい指導をするタミーと一緒に、門へと向かうことにした。
いつものように警備隊の人たちが集まっていて、周りに住む人たちもちらほらと現れる。
揃いの革鎧は今日もつやつやとしていて、緑色のマントが目に優しい。
だけどその中に、刺繍の入った後ろ姿はなかった。
「マーカス、今日はお休みなのかな?」
ほとんど休みなく働いていたはずなのに、最近は時たま見かけないことも多い。
隊長は隊長として別の仕事があるのかな。
タミーなら知ってるかと思って振り返ると、ガラス玉のような目をひたと向けられていた。
「え……タミー?」
声をかけるとゆっくりと瞬きを返され、僅かな吐息が聞こえる。
なんだか機嫌が悪いみたいだ。
今日は怒られるようなこともしていないはずだから、理由が全然分からない。
どうしたものかと思っていると、いつもの顔見知りのおじさんが声をかけてきてくれた。
「やぁ、クレアちゃん。ようやく決まったみたいだねぇ。めでたいねぇ」
「ようやくって、何かあったの?」
「いやいや何言ってんの、クレアちゃんのことじゃないか!」
にこにこと嬉しそうな顔を向けられても、心当たりは一つもない。
この歳で初恋を知った……なんていうのは、私とヴァネッサだけの秘密だし。
「お嬢様、出発のお時間です」
タミーの呼びかけに門を見ると、きれいに並んだ警備隊が門をくぐっていた。
大勢の背中に手を振り、お淑やかに聞こえるよう控えめな声をかける。
「いってらっしゃい」
やっぱりこれ、聞こえてないんじゃないかなぁ。
唇が尖りそうになるのをぐっと堪え、運動を兼ねた散歩を始める。
狭い領内とはいえ、全部回るとなるとかなりの時間がかかる。
タミーの見張りもあるんだし、今日は住宅街の広場にしようかな。
本当は商店街に行きたいけど、きっと駄目って言われるから。
のんびりと歩いていると、いつもお喋りする人たちがにこやかに声をかけてきてくれる。
だけど揃ってよかったねとか、おめでとうとか言うから、どう返事をしていいか分からなかった。
聞こうとしても照れてるのって言われて、結局可愛がられてしまう。
私、本当に何かあったっけ?
歩きながら頭を悩ませていると、家の間の路地から人が飛び出してきた。
「クー! 居たっ!!」
「ヴァネッサ! どうかしたの?」
息を切らせて汗をかいているヴァネッサは、飛び出した勢いのままこっちに走ってきた。
つんのめりそうな勢いで止まったかと思ったら、ヴァネッサは私の肩をがしっと掴んだ。
「あーもうっ、こういう服着てるとご令嬢なんだって分かるよ可愛いなぁ!」
「それって褒めてるの?」
「褒めてる褒めてる! じゃなくて! クーってば、婚約したって本当!?」
婚約……?
唐突すぎる言葉に固まっていると、ヴァネッサは掴んだ肩をゆさゆさ揺らす。
そのたびに私の頭もがくがく揺れ、考えは一切まとまらなかった。
「待って待って、何? え、婚約? 誰が? 誰と?」
「クーが! マーカスさんと!!」
「マーカスぅ?」
おうむ返しで叫んだ名前に、タミーが隣でぴくりと肩を揺らしているのが分かった。
もしかして、タミーは何か知っているんじゃ……。
両親から私より信頼されているタミーだ。
昨日一緒に出かけたお母さんから聞かされている可能性もある。
「タミー、どういうことなの?」
「……そちらの方の、お話通りです」
タミーの硬い声に、思わず息が詰まった。
私がマーカスと、婚約だなんて。
あり得ないことなのに、タミーははっきりと認めている。
「領内中で噂が広まってるのよ。昨日の午後からだから、もうみんな知ってるって!」
「そんなっ、困るよっ!」
私は何も聞いてない。
本人が聞くより先に噂が広まるなんて、絶対おかしい!
「ごめんヴァネッサ、帰るねっ!」
「あとで絶対教えるのよっ!?」
「分かってる!」
早く帰りたいっていうのに、脚にまとわりつくスカートが邪魔でしょうがない。
たくし上げて走ったら絶対に怒られるって分かってるから、できる限りの早足で家まで急いだ。
「お父さんっ、お母さんっ!」
家に帰ってすぐに大声で呼んだけど、返事はない。
おかしいな、いつもだったら執務室や応接室に居るはずなのに。
「本日はお二人とも、親交のある議会員の方のお宅です」
「タミー、知ってたの?」
「お帰りは夜になります。それまでお嬢様にはお稽古を」
「そんな場合じゃないでしょ!」
「そんな場合です」
ぴしゃりと言い切られて、つい言葉を飲み込んでしまう。
無表情のタミーはまるでいつも通りだけど、本当だったら平静では居られないはずなのに。
だってタミーは、マーカスのことが好きなはずなんだよ?
それなのに、慌てる私を見てため息をついた。
「次の領主様となるべきお方が決まったのです。
お嬢様はご婦人となるに相応しい作法を覚えていただかなければなません」
「私、そんなのやだっ!」
「やだ、ではございません。子どものようなだだをこねるのはおやめください。
マーカス様も警備隊の傍ら、領主となるお勉強をされているのですから」
ピンと張り詰めた声での言葉は、本心なのかな。
ううん、そんなはずない。
タミーはお仕事だからって我慢しているだけで、本当は嫌だって思ってるはずなんだから。
胸の奥でじわじわと不満が溜まっていくけど、タミーに言ってもしょうがない。
夜になったら帰ってくるっていうなら、その時ちゃんと断ろう。
それまでは大人しくしておかないと、直談判すらさせてもらえなくなるかもしれない。
「タミー、私、全部ちゃんとやるから!」
「そうしていただかないと困ります」
淡々とした冷たい声に刺されながら、この日ばかりは一生懸命お稽古をこなした。
タミーの言う通り、お父さんたちは夕方には帰ってきた。
お稽古をこなし、作法をできる限り気をつけて夕飯を済ませる。
そして食後のお茶が運ばれてきたところで、私はようやく口を開いた。
「お父さん、私、婚約なんて聞いてない」
単刀直入に言ってみたけど、お父さんは顔色一つ変えなかった。
勝手に話を進めていたら、普通、気まずかったり申し訳なかったり思うんじゃないかな。
そんな無反応さすらもやもやしてしまい、ぎっと睨んでやった。
「言っても聞かなかっただろう? ならば言うだけ無駄というものだ」
「無駄かどうかじゃないよ。私は婚約なんて嫌だもん!」
「婚約というのは家庭の問題だ。本人の問題じゃないんだよ」
いつもは口うるさくても優しいお父さんだけど、領主として話す時は少し怖い。
人を従えるのに慣れた人の声は、頭にずしんと入ってくる。
「今年でもう十六なのに、お前ときたらいつまでもお転婆なままで……。
マーカスじゃなきゃ、嫁にもらってくれる人なんていないぞ」
「そんなの分からないじゃない!」
「お前の夫は次の領主だ。お前を見てくれる、というだけで務まるものじゃあない」
私の相手は次の領主。何度も何度も言われてきた言葉だ。
大事なのは私ではなく、領主の娘という立場だけ。
ただそれだけを理由に、私のことを勝手に決めるんだ。
「次の領主なんて他の人でもいいじゃない! お父さんと血が繋がっていればいいんでしょう?」
「他に候補にするとしたら、弟の息子になる。しかしあいつは早くにこの領を出ているからね。
外に属する人間に、この領を任せるわけにはいかないだろう?」
お父さんも同じだ。中と外を極端に分けようとしている。
中も外も関係なく、みんな一緒の人なはずなのに。
排他的っていうのはまだ優しい。ここまできたらただのお山の大将だ。
領内だけで生きて、領外を見ずに完結させる。
知ろうともせず、受け入れようともせず。
そんな領主が収める場所なんて、そんなの……!
「クレアちゃん」
「っ、お母さん……」
今の今まで黙っていたお母さんの呼びかけに、口から零れそうだった言葉が止まる。
お父さんはやれやれといった顔をしているし、タミーはいつもの無表情だ。
「クレアちゃんは、マーカスのことが嫌いかしら?」
「……ううん、そうじゃない」
だけど、それは幼馴染みとして。家族にも近い気持ちだ。
恋を知った私にとって、全然違うもの。
「世の中にはね、お相手の顔すら知らずお嫁に行く子も多いのよ。お母さんもそうだったわ」
優雅にお茶を飲み、カップを戻す。
その仕草は完璧な作法で、私は絶対真似できないだろう。
「クレアちゃんは幼馴染みっていう、誰よりも自分を知っている人と一緒になれるの。
それはとても幸せなことなのよ?」
言っていることは分かる。
そういう子がいるのだって分かる。
幼馴染みが相手なんて恵まれているのも分かる。
でも、分かるのと受け入れるのでは全然違う。
言いたいことがたくさんあるのに喉で詰まって、鼻の奥がつんと痛む。
それでも頷くことだけはしたくなくて、唇を噛んでぐっと顔を上げていた。
「少しの間、考えなさい。マーカスとの婚約が、お前にとって一番いい結果をもたらすんだから」
お父さんのその言葉で、話は終わってしまった。
身支度を済ませて部屋に戻り、一人ベッドに倒れ込む。
「婚約なんて、嫌……」
私にはもう、好きな人が居る。
他の人なんて考えられないくらい、たまらなく好きな人が。
その気持ちを押し殺して受け入れるなんて、私自身を死なせてしまうのと同じだ。
赤い頭巾と一緒にしまいこんでいた銀の鈴を取りだし、チリンと揺らす。
いつもだったら胸がすぅっとなるはずなのに、息苦しさはまるでなくならない。
「シグルド……」
私の素敵な狼さんが、私を食べてしまえばいいのに。
狼さんのお腹の中で、ずっと一緒に居られたら……。
「……ううん、違う」
甘い空想から目をそらし、勢いを付けて起き上がる。
シグルドは私を守ってくれている。たった一人で、私だけじゃなくみんなを。
そんな人に更に縋ろうなんて、ただのお荷物になっちゃう。
担いで運ばれるだけのお荷物にはなりたくない。
「ちゃんと考えて、ちゃんと動かなきゃ」
一人でできることなんてたかがしれてる。お父さんの影響力は立場の通り領内一だ。
だったら、少しでも味方になってくれそうな人を探そう。
私の気持ちを知っていて、お父さんが深く関わっていない人……。
そうして浮かんだ人は、頭の中でもウインクをしていた。
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