16.本と魔法と二人の時間

 言いつけを破って家を抜け出した罰として、昨日までとんでもない量のお稽古を受けた。

 だけど今日は待ちに待った休息日。

 タミーはお母さんの買い物の付き添いをするって言っていたから、完全に自由だ。

 本当は私のドレスも買うって言われたけど、この日を逃したくなくて必死で断った。


「いってらっしゃーい!」


 門から出ていく警備隊のお見送りも、清々しい気分でできる。

 今日はマーカスも居るようだから、一際大きく手を振っておいた。


「クレア嬢ちゃんは隊長さんが大好きなんだなぁ」


「うん、マーカスは幼馴染みだから!」


 しみじみと言う顔見知りのおじさんだけど、私の答えになぜかぽかんとして、すぐに笑った。

 あれ? 私、変なこと言ったかな。


「さすがは嬢ちゃん、いつまでも可愛い女の子だぁ」


「私、もう十六歳だよ! もうレディなの!」


 相変わらずの子ども扱いに頬を膨らませてしまうけど、こんなことをしている暇はない。

 今日はパン屋さんに胡桃のタルトを頼んである。

 これから受け取って、家で着替えて、急いで行けばお昼前にはシグルドの家に着く。

 頭に浮かべた予定に追いつくように、急ぎ足で領内を駆け回った。


 チリン、リン。チリン、リン。

 手首に結んだ銀の鈴の音に合わせて、私の脚は軽やかに魔の森を進む。

 元通りになった花畑を通り過ぎ、さらさら流れる小川を飛び越えて。

 もうしばらく歩けば小道の終着地点だ。

 木々に囲まれた秘密の隠れ家は、今日は主がいるらしい。

 ノックをして扉を開けると、シグルドは安楽椅子に座って本を読んでいた。


「こんにちは!」


「やっぱり来たのか、赤ずきん」


「来ていいって言われたもん」


 持ってきた籠をテーブルに置き、今日はどこでシグルドを見ていようかと考える。

 その途中で壁に掛かった灰色のローブを見つけ、なんとなく触ってみた。

 多分、何かの毛皮だろう。

 軽いけど分厚くて、私とシグルドの間を阻む恨めしい存在だ。


「ねぇ、シグルド。このローブってお気に入りなの?」


「先代からの引き継ぎだ。大昔の魔獣の素材でできた、防御力が高い装備らしい」


 話しかけてもこっちを向いてはくれないけど、ちゃんと答えてくれる。

 二人きりの部屋でお話をしていると、なんだか家族になったみたい。

 だけど家族には感じたことのない気持ちがいっぱいで、やっぱり違うんだろうなって思う。


「シグルドって、お家のことは一人でやってるの? お手伝いさんとか来てるの?」


「こんな場所に手伝いなんてくるかよ。そもそも一人暮らしの家事なんて朝のうちに終わる」


「じゃあ、昼間はずっと本を読んでいるの?」


「魔獣は夕方から活発になるんだよ。だから適当に身体休めてるだけだ」


 そうは言っても、前みたいに昼間に出ることもあるんだろうな。

 シグルドの邪魔はしちゃ駄目って思うけど、そのために会わないとは言えない。

 一緒に居られるだけで幸せなんだから、あんまり無理を言って困らせないようにしないと。

 静かにできることを考え、作り付けの本棚を眺めて一番薄い本を手に取った。

 あまり読まれていないのか、古びているけど傷んではいないみたい。

 題名によると魔法の基礎知識の本らしい。


「魔力のない奴が読んでも意味ねーぞ」


「使えないのは分かってるけど、シグルドがどんなことしてるのか知りたいから」


 ぱらぱらめくってみると、きちんと読める文章が書いてある。

 えーっと、魔法というのは自然界の要素が強く関わっていて……?

 書斎でも本屋さんでも見たことのない内容は、ちらっと読んだだけじゃちんぷんかんぷんだ。

 だけど、好きな人の得意なことなら知っていて損はないはず。

 頭になかなか馴染まない内容をどうにか目で追っていった。


「……こっち持ってこい」


「え? 本?」


「椅子も」


 相変わらず目線すら上げてくれないけど、お隣で読んでいいってことかな?

 せっかくのお誘いだから、急いで安楽椅子の横に椅子を置いた。

 そうしたらシグルドは顔を上げてくれて、開いた本を覗き込む。


「こんなの読んだことねーな……ずいぶん古いし、先代の誰かが置いてったのか」


「魔法を使うのにお勉強しなかったの?」


「気付いたら使えるようになってた」


 魔法を使えるようになるのは大変って、広場に来ていた魔術師さんから聞いたことがある。

 なのにさらっと言ってのけるから、やっぱりシグルドはすごい人なんだなぁ。


「シグルドはどんな魔法が使えるの? 風を出したり、お水も出してたよね?」


「そこに書いてあることは全部できるんじゃねーの」


 私と違って、ちらっと見ただけで内容を理解したみたい。

 お勉強ができないつもりはなかったからちょっとだけ悔しい気分だ。

 多分、この本は初心者向けなんだろう。

 すごい魔術師である狼の末裔のお家に、どうしてこんな本があるのかは分からない。

 だけど私にとってはありがたいものだから、ページをめくる手は止まらなかった。


「ねぇ、シグルド。この、えーっと、よんだい……」


「四大元素。地、水、火、空気」


「何も見ずに言えちゃうなんてすごいね!」


「知らなきゃ使えねーだろうが」


 機嫌悪そうに視線をそらしちゃったけど、すぐお隣にいるんだから寂しくない。

 近くに体温を感じながら読んでいけば、薄い本はすぐに終わった。

 椅子に座って内容を思い返していると、シグルドはぱたんと分厚い本を閉じた。


「つまんなかっただろ」


「ううん、難しいけどつまんなくないよ。シグルドすごいなって思った!」


 本には基礎知識の他に、初心者向けの練習方法なんかも載っていた。

 もちろん私にはどんなものかも分からないけど、難しそうってことは分かったから。


「……狼の末裔なんだから、できて当然だ」


「どうして? 強い魔力を持って生まれても、使いこなすには頑張らなきゃいけないでしょ?

 それとも全部すぐにできたの?」


「いや……そうじゃねーけど」


「なら、やっぱりシグルドはすごいね!」


 シグルドは国から勝手に押しつけられたのに、きちんと頑張って役目を果たしている。

 魔法だって剣だって、すぐに覚えられるものじゃないはず。 

 誰にもできないすごいことは、シグルドの努力で成り立っているんだ。

 そう言ったらそっぽ向いちゃった。シグルドってば謙虚なんだから。

 

「シグルドの魔法なら、火でぼーってしたり、水でじゃーってしたり、土でどーんてしたりできるの?」


「語彙が乏しい奴だな……。森の中でそんなの使ったら大災害だろ。

 普段使うのは風の魔法だけだ。一番被害が少ないから」


 火は森林火災、水は洪水、土は地形変動。

 言われてみれば、確かに災害級の出来事に発展してしまいそうだ。


「ここに住んでるのは魔獣だけじゃねーし、環境が変わったら森の外にも影響が出ちまうだろ」


「あ、そっか」


「それに、魔獣が焼ける臭いは本当にひどい。

 もしも警備隊が死体の処理をしていたら絶対に近付くな。一生忘れられなくなる」


 心底嫌そうな顔をするものだから、そんな表情が珍しくて覗き込む。

 横から見える目は鋭くて、薄い頬の曲線がとてもきれいだ。

 見惚れているのを話を待っていると思ったのか、シグルドは眉をぎゅっと寄せて続ける。


「最初の頃うっかり燃やして後悔した。あれ以来、魔物に火を向けたことはない」


 ちょっと弱々しい疲れたような顔は、いつもと違っていて新鮮だ。

 一生忘れないのは、シグルドのことだけでいいかなぁ。

 こうして二人で過ごす時間も、話してくれたことも、向けてくれた表情も、ずーっと覚えていたいから。

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