15.狼の末裔と教会
扉が閉まり、しんと静まりかえってから少し。
緊張の糸が切れたと思ったら、鼻の奥がつんと痛んできた。
「……ごめんなさい。シグルド、ノエルさん」
私が居ないところで、私の身内があんなことを言っていた。
申し訳なくて、悲しくて、俯いたまま口を開く。
この領に住んでいる限り、同じ考えの人はたくさんいる。
だからこんなことを言っても意味はないだろう。
それを現実に見せつけられて、どうしていいか分からない。
シグルドに手を握ってもらうことも、私には相応しくないんじゃないか。
そう思って解こうとしても、ぴったり合わさったものは離れない。
「やっぱ馬鹿だな、赤ずきん」
呆れたような声に顔を上げると、シグルドはちらりと視線をそらして息を吐く。
怒っているようには見えないけど、落ち着かないように見えるのはどうしてだろう。
離れない手からの温度を感じていると、ようやく目線がこちらを向いた。
「俺にとってはこれが普通だ。お前の言動のほうがおかしいって、そろそろ自覚しろ」
「でも……」
「お前はちゃんと分かってんだろ」
遮るような言葉に、思わず口が止まってしまう。
何度も何度も、私は分かってるって言ってきた。
だけど分かっていたのは自分のことだけで、周りのことは分かってなくて。
なのにシグルドは、私がちゃんと分かってるって言ってくれる。
「だったらいいから、気にすんな」
そう言って、シグルドは帽子を深々と被ってしまう。
繋いだ手はそのままで、温かい。
シグルドの言葉が嬉しくて、何も言わずに腕に抱きついた。
「だからお前なぁ……」
シグルドは文句を言いながらも、しばらくそのままでいさせてくれた。
痛んでいた鼻の奥も落ち着いて、腕の力をそっと抜く。
するとシグルドは立ち上がり、繋いだ手も離れてしまった。
「抜け出したのがばれたなら帰れ。あのこえー侍女に怒られんだろ」
「う……」
シグルドにまで怖いって言わせるタミーは、怒る時はもっと怖い。
正論で淡々と叩き潰す様は、時たま自己嫌悪で立ち上がれなくなってしまう。
だから帰らなきゃいけないんだけど、やっぱり別れの時は寂しい。
「……次の休息日まで、妙なことすんなよ」
「え?」
「帰る。じゃあな」
荷物を持ったシグルドは、大股でどんどん歩いて行ってしまう。
急いで追いかけた時にはもう外の扉に手をかけていて、慌てて背中に声をかける。
「まっ、またね!」
返事はしてくれなかったけど、見送れるだけで十分だ。
そう思っていたんだけど……。
「ああ、そうだ、シグルド。
君が美味しいって言ってた胡桃のタルト、買っておいてあげましたよ。物資と一緒に入ってますから」
「馬鹿、言うなっ!」
一緒に追いかけてきてきたノエルさんの言葉に、シグルドが噛み付くように振り返った。
胡桃のタルトって……私が持っていったものだ。
美味しいって言ってくれてたけど、そんなに気に入ってくれてただなんて!
シグルドが逃げるように出ていったあと、残されたのは私とノエルさん。
どうしよう、早く帰らなきゃって気持ちはあるんだけど……。
「少し、僕とお話をしませんか」
ノエルさんはそう言って、再び教会の中へと促してくれた。
同じ場所に座り、薔薇窓を見上げる。
日差しを受けた硝子はきらきら輝いていて、石の床が同じ色に染まっていた。
「シグルドもこの薔薇窓をよく眺めているんですよ。この領の教会にだけある、特別なものなんです」
一人分の隙間を空けて座ったノエルさんは、私と同じ場所を見つめる。
こんなにきれいなものだったら、誰だって見とれてしまうだろう。
だけどシグルドと同じものを見られるだけで、嬉しい気持ちがあふれてくる。
「ようやく、花畑の少女を見つけたんですね」
しみじみと言うノエルさんは、なんのことを言っているんだろう?
聞きたい気持ちはあるけど、話さなきゃいけないことがある。
私は深く被っていた赤い頭巾を外してから、ノエルさんに向き直った。
「私、クレアなの。黙っててごめんなさい」
「いいですよ。気付いていましたしね」
隠していた金髪を見ても驚かないから、本当に分かっていたんだろう。
それから勝手に教会の扉を使ったことも謝ると、ノエルさんは今までの経緯を聞いてくれた。
狼の末裔のことが知りたくて魔の森に行ったこと。
魔獣に襲われてシグルドが助けてくれたこと。
お礼をするために通って、来てもいいって言ってもらえたこと。
誰にも言えなかった話は止まらなくて、それをノエルさんはずっと聞いてくれた。
「クレアさんは、シグルドに恋をしているんですね」
にっこり笑って言われると、頬がぽわっと熱くなる。
ちゃんと自覚していたことでも、人に言われると恥ずかしい。
答えなくても反応で分かったようで、ノエルさんは口に手をあて小さく笑った。
「クレアさんは素直ですから。ですが、シグルドは気付いていないかもしれませんね」
「そうかなぁ」
「ええ。彼は……自分が他人に好意を向けられるなんて、思っていないんですよ」
暗くなった声に胸がつきんと痛む。それってどういう意味だろう?
「この領地以外で、狼の末裔がどう思われているか知っていますか?」
「ううん、知らない。狼の末裔って、みんなが知ってることなの?」
そういえば、他の領地を巡ってきたノエルさんはそれぞれの領地でお話が変化してるって言ってた。
だったら、この領地特有のお話というわけではなく、意味も違っているのかもしれない。
ノエルさんは私の質問に頷き、話を続ける。
「あまり多くに知られている話ではありませんが……。
この国では、異常な魔力を持って生まれた人間を狼の末裔と呼んでいます。
それ以上でもそれ以下でもありませんが、残念ながら領外でもあまりいい印象は抱かれていません」
小さなため息。
だけど怒っているとか悲しんでいるとかいう気持ちではなく、シグルドと似た印象を受ける。
これが当たり前で、諦めている、みたいな。
「六歳の祝福で狼の末裔と分かり、周囲の人間は彼を恐れました。
通常の魔術師では到底持てない力を持っているんですから、そうもなります」
「どうして? とってもすごい力なのに」
「そう思えるのは、クレアさんのように心のきれいな人だけですよ」
眼鏡の奥にある緑色の瞳が、ほんの少し陰ったように見える。
だけどそれは気のせいだったのか、ノエルさんは話を続けた。
「自分が持っていない力を持つ者は、いつ敵に回ってもおかしくない。
その考えは誰にでもあります。そして、その考えが強く根付いているのがこの領です」
領外の人をあまりよく思わない、人によってはとても居づらい場所。
「いつ魔獣に襲われるか分からない場所ならではなんでしょう。
自分たち以外を恐れて避ける風潮は、謂わば仕方のないことなんです。
特にこの領を預かる領主様と、この地を守る警備隊は尚のこと」
だから気にしないでいい。
そう言われているみたいで、悲しくなってくる。
「私……領主の娘って、シグルドに言ってないの」
ひどい扱いをしている領の、領主の娘だなんて。
そんなことを知ったら、シグルドは嫌になっちゃうんじゃないかな。
せっかく仲良くなれたからこそ、口にするのが怖くなる。
俯いているとノエルさんの腕が近付いてくる。
そして人差し指を伸ばし、私の手を指差した。
シグルドが握っていてくれた手は、温度はもう残っていないけど温かい。
「互いに傷つかないように周りと距離を取る。
そんな生き方をしていた彼が、ようやく近付くのを許したんです。あなたなら大丈夫ですよ」
「ノエルさんもでしょ? シグルド、普通にお話ししてたじゃない」
「それは僕が教会の牧師だからです。
僕はクレアさんのように、シグルドを追って外に出たことなど一度もありませんから」
今考えてみれば分かるけど、私のはただの無鉄砲だ。
そんな行動を基準にされても困るのに、ノエルさんにとっては大きな事柄らしい。
ポケットに手を入れると銀の鈴に触れる。
体温が移って温かい鈴は、小さくチリンと鳴った。
「私……シグルドともっと仲良くなりたい」
「僕は二人を応援しますよ。これからも、彼の一番近くに居てあげてくださいね」
そう言って、ノエルさんはぱちんとウインクをした。
大人がするお茶目な行動はなんだかちょっと面白くて、自然と頷いてしまっていた。
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