14.お買い物と照れ隠し

 木々が途切れて平野が広がってきた頃。

 シグルドは肩にかけていた鞄から帽子を取りだした。

 つばの大きい形は、外で働く男の人がよく被っているものだ。

 強い日差しや雨を遮るためらしいけど、きっとシグルドの目的は違うんだろう。

 私と同じように、目立つ容姿を隠すため。

 深々と被った帽子のせいで、琥珀色の瞳はよく見えなくなってしまった。


「お前、よくこの扉を見つけたな」


 防壁にある木の扉をくぐりながら、シグルドは不思議そうにしている。

 元から教会に行く機会は少なく、まじまじと見て回るような場所でもない。

 だからこそここに秘密の扉があるんだろうけど、それを私が見つけてしまったんだ。


「シグルドに会えるように、きっと神様が教えてくれたんだよ」


 この扉がなかったら、私は狼の末裔を深く知ることもできなかっただろう。

 そう思って言ったのに、シグルドはぐっと眉を寄せていた。


「……やっぱお前、馬鹿だろ」


 背の高いシグルドは頭を下げながら中へと入る。

 教会の敷地内はさっきと同じく人が居なくて、私たちが見つかることはなかった。


「お買い物はどこに行くの? 一緒に行っていい?」


「駄目って言ってもついてくんだろ」


 ため息交じりの言葉に大きく頷くと、いいとも駄目とも言わずに教会の敷地から出た。

 目立つ容姿を隠したシグルドは、ただの領外から来た人としか思われないだろう。

 そして赤い頭巾を被った私も。

 だから隠れることなく道を歩き、商店街へと辿りつく。


「そこのお店でランチを買ってるの! あと、門の近くのパン屋さんも美味しいんだよ!」


「静かにしろ。あんま目立つようなことすんな」


 賑やかな場所に気分が浮かれ、ついはしゃいでしまった。

 言われてみれば、ここで騒いで正体がばれたら私も困ってしまう。

 見知った顔が多い場所だからこそ、赤い頭巾を深々と被り直した。

 顔を見られないように俯いていると足元しか見えない。

 うぅ……せっかくシグルドと一緒に領内を歩けるのに。

 めったにない機会なのにと思っていたら、視界の中に大きな手の平が見えた。


「下ばっか見てると転ぶぞ」


「でも……」


「堂々としてたほうがばれねーもんなんだよ」


 そう言って、シグルドは私の手をぎゅっと握った。

 大きくて温かい手に包まれると、胸がどきんと跳ねてしまう。

 あぁ、やっぱり違う。

 シグルドに触れられると、私の恋心がすぐに反応しちゃうんだ。

 頬がぽわぽわしてくるのを感じていると、繋いだ手が引っ張られた。


「さっさと済ませて帰りてーんだよ。ぐずぐずすんな」


「はぁいっ!」


 顔を上げると、すぐ近くにシグルドがいる。

 帽子の陰に隠れた琥珀色の瞳は、私をきちんと見てくれている。

 そのことがとっても嬉しくて、赤い頭巾を手で押さえながら脚を進めた。


「もしかして私たち、恋人同士に見えるかな?」


「せいぜい兄妹じゃねーの」


 照れも何も感じない、あっさりとした返事だ。

 見えるって言ってくれたら嬉しかったのに。

 だけど背の低い私と背の高いシグルド。

 顔を隠していたら年齢も分かりづらいだろうし、体格差でそう判断されるのかもしれない。


「シグルドは何歳なの?」


「二十」


 思いがけず知られたシグルドの情報を頭にしっかり焼き付ける。

 四歳差……うん、大丈夫。恋人同士でも不思議じゃない。

 それに、こうして手を繋いで歩いてくれてるんだから。

 帰れって言われ続けてたのに、領内を一緒に歩いてもいいって判断してもらえている。

 今はそれで十分嬉しい。

 繋いだ手に抱きついたら、すぐに剥がされちゃったけど。


 いくつかのお店を回り、他に何かを見ることもなく教会へと戻る。

 荷物は全部鞄にしまったから繋いだ手はそのままだ。


「ねぇ、シグルド。もう帰っちゃうの?」


「用事は済んだ」


 時間はまだお昼を過ぎたくらいだろう。

 夕方までに帰るとしても、まだまだ余裕なはずだ。

 だけどシグルドは時間を気にしているのではなく、領内にいるのが嫌みたいだ。

 領外の人も魔術師も居心地が悪いという場所は、シグルドにとってはもっとなんだろう。

 本当にもう、帰っちゃうのかな。

 引き止めたいけど躊躇われ、名残惜しさを感じながら扉のほうへとついていく。

 シグルドが扉に手をかけた時、背後から草を踏みしめる音がした。


「おやおや、こんな場所でどうされましたか」


 びくりと震えた背中に投げかけられたのは、穏やかな声だった。

 恐る恐る振り返った先には、大きな布を重ねたような牧師さんの服。

 眼鏡をかけた緑色の目を細めながら、ノエルさんは微笑んでいた。


「これは、その……っ!」


 どうしよう……!

 この扉が、ううん、シグルドのことがばれちゃう!

 どうにかして誤魔化さないとと思っていると、扉から手を離したシグルドが深いため息をついた。


「めんどくせーのに見つかった……」


「ひどいですね、シグルド。さぁ、中にいらっしゃい。報告義務は果たしてもらわないと」


 にっこり笑ったノエルさんと、顔をしかめたシグルド。

 二人は……知り合いなのかな?


「お嬢さんもどうぞこちらへ。彼と一緒に行動しているということは、ご存じなんでしょう?」


 ノエルさんの促しに、シグルドは心底嫌そうな顔をしている。

 だけど私にとってはシグルドのことを知る機会になるはず。

 断るわけもなく、繋いだ手を離すことなくついていくことにした。


 教会の一番奥にある石像の前に座ると、背後の扉が閉められる。

 入り口から一番離れた場所からは、大きな薔薇窓がよく見えた。

 色とりどりの硝子で描かれたお花と、金髪の女の子。

 魔の森で見た花に似ているなって思っていたら、ノエルさんはシグルドに話しかけた。


「さてさて、最近の魔の森の様子はどうですか?」


「特に変わりねーよ。手前の魔獣はここの猟師どもが狩って、それ以外は俺」


 猟師って、もしかして警備隊のこと?

 倒した魔獣は商品になるって話だけど、だからって猟師とは違うんじゃないかな。

 それはノエルさんも思ったようで、眉を下げて苦笑していた。


「この領の警備隊をそう呼ぶのは君くらいですよ。

 尊敬されているんですから、変なことを言って反感を買わないようにしてくださいね」


「言う相手なんていねーよ」


「いるじゃないですか、ここに」


 ノエルさんが私を示すと、シグルドはぐっと息を詰まらせた。

 というか、そんなことより二人の関係が知りたいんだけど……。

 なんとなく、ノエルさんのほうが有利な立場にいるように見える。

 ちらちらと二人を見ていると、シグルドはあからさまに大きなため息をついた。


「教会での祝福で狼の末裔を見つけんだ。牧師が事情を知らないわけねーだろ」


「狼の末裔は、魔の森を監視して報告する義務があるんですよ。

 それを援助するのが、この領の牧師の仕事でもあります」


 言われてみれば当たり前だ。

 もしかして、だからこそ教会に扉が作られているのかな。

 ……いや、そもそもおかしいことがある。


「ノエルさん、どうしてここの人たちは狼の末裔を勘違いしているの?」


 国から派遣されている存在を、この領はどうして受け入れていないの?

 イストワール王国は大国と言われていて、辺境の領地にいる私たちには遠い存在だ。

 だけど独立区というわけじゃなく、ちゃんと国に属している領地なのに。

 変な噂をそのままにしないできちんと教えてあげればいい。

 当たり前すぎる疑問に至ると、ノエルさんは再び苦笑を浮かべた。


「狼の末裔は古くから存在しています。

 ですがこの領では、いつの間にか狼の末裔に関する情報が歪んでしまったようでしてね。

 なのでここの牧師は、領民ではなく国から派遣される決まりなんですよ」


 大々的な存在ではない狼の末裔のことで、ことを大げさに荒立てることを避けているらしい。

 その理由は分からないでもないけど、そのせいでシグルドは肩身の狭い思いをしている。

 シグルドだけじゃなく、今までの人たちだってそうだったのかもしれない。

 だったらやっぱり、情報を正すべきなんじゃ……。


「この領地以外でも似たような扱いだったんだ。化け物か異常者かの違いだ。大差ねーよ」


「そんなっ!」


 大したことではない感じで言われても納得できない。

 シグルドはただ、人より魔法が上手で、剣を使うこともできて、みんなのために魔獣を退治している。

 それなのに、誰にも尊敬すらしてもらえないだなんて。

 ……ううん、今まではそうだったかもしれないけど、今は違う。


「私はシグルドのこと、ちゃんと分かってるよ!

 とっても強くて優しい人だって、知ってるんだから!」


 隣に座るシグルドを見上げると、琥珀色の目がまん丸になる。

 そしてすぐに細くなったかと思ったら、頭の上にぽんと手が置かれた。


「うるせー、ちょっと黙れ」


「わっ、ちょっ、シグルド!?」


 ぐりぐりと頭を揺り動かされて、頭がふらふらしてくる。

 なのにシグルドは全然止めてくれなくて、もう限界ってところでノエルさんが止めてくれた。

 もう、視界はゆらゆら頭もぐらぐら。

 文句も言えずに頭を押さえていると、ノエルさんの楽しそうな声が響いた。


「照れ隠しにしては強引ですね?」


「ちげーよ!」


 噛み付くような声に顔を上げると、シグルドの顔がちょっとだけ赤くなっていた。

 もしかして、本当に?

 私の言ったことに、ちょっとでも照れてくれたのかな?

 そう思ったら嬉しくなって思わず手を握った。


「お前なぁ、勝手に握んな!」


「いいじゃない、さっきまでずぅっと繋いでてくれたんだから!」


「あれは転ばないようにしてただけだ! ここじゃそんな必要ねーだろ、離せっ!」


「いーやっ! 絶対離さないんだから!」


 ぎゅうっと握って腕に抱きつくと、赤い顔が更に赤くなる。

 シグルドってば、こんな可愛い一面もあるんだ。

 初めて知ることがいっぱいの今日は、忘れられない日になるだろう。


「おやおや、積極的で」


「ノエルっ、お前も止めろよ!」


「いえいえ、神は男女の仲を応援するものです」


 手を組み合わせてお祈りをするノエルさんに、がみがみ怒るシグルド。

 だけど強く振り払われはしないから、このままで居ちゃうことにしよう。

 太くて逞しい腕で、私やみんなを守ってくれる。

 そんな狼の末裔のことを、みんなが知ってくれる日が来ますように。

 薔薇窓を背負った石像に心の中でお祈りをすると、背後の扉が開く音がした。


「二人とも、静かにしててくださいね」


 瞬時に黙るシグルドと、囁いてくるノエルさん。

 二人につられて私もぴたりと動きを止め、背後の音に意識を向けた。

 軽い足音が数歩聞こえ、止まってすぐに声がする。


「牧師様、こちらにお嬢様はいらっしゃいませんでしたか」


 静まりかえった広い空間に、聞き慣れた声が響く。

 顔を見なくても無表情なのが分かる、タミーの声だ。

 びくんと肩が揺れてしまうと、シグルドが訝しげな顔を向けてくる。

 すぐ目の前に見える顔はこんな状況だというのにきれいで、胸がどきんとした。


「あれ、お前のことか?」


「えっと……」


「本当に令嬢だったんだな」


 まるで今までそう思っていなかったかのようで、それがよかったのか悪かったのか。

 私の立場を知られてしまうのが怖くて、返事を返せない。

 ノエルさん、どう答えるのかな。

 そもそも、私がクレアだって気がついているのかな。

 シグルドの腕に抱きついたまま、続く言葉を待った。


「これはこれは。あなたといらした日からお見かけしていませんよ」


「左様ですか」


 ノエルさんの言葉と、タミーのあっさりとした返事にほっとする。

 ちょっと息を吐いたのもつかの間、タミーはわざわざ話を続けた。


「……そちらの方々は?」


 足音は聞こえないから、近付いてはいないんだろう。

 赤い頭巾の後ろ姿で分かるものでもない。

 そう思っても緊張は高まり、さっきとは違う意味で胸がどきんどきんと振動した。


「巡礼の旅をされているご夫婦ですよ。信者の受け入れも教会の役目ですので」


 さらりと嘘をつくノエルさんに感心しつつ、言われた言葉を噛みしめる。

 恋人を通り越して夫婦だなんて。

 そんな場合じゃないというのに、嬉しくてはしゃいでしまいそうだ。

 私の気配を察したのか、シグルドは周りに聞こえないくらい小さな息を吐いた。


「ノエルの奴、変なことを……」


 隣に座り、手を繋ぎ、腕を抱きしめている。

 そんな状況で恋愛関係じゃないと言うほうが不自然なんだから。

 都合のいい言い訳をしながら、嬉しい気持ちを噛みしめた。

 だけどそれもつかの間、タミーは冷たい声で言い放つ。


「無闇に領外の人間を招くのは、感心いたしません」


「おやおや、それはどのようなお考えで?」


「素性の知れない者が、このフロンティエル領に蔓延っては困ります。

 用が済んだら長居せず、すぐに出ていっていただくのがお互いのためかと」


 タミー……どうしてそんなひどいことを言うの?

 教会の中に響く言葉に、身体から力が抜けてしまった。

 中と外で分けて考えるどころじゃない。

 これじゃまるで、領外の人を敵対者とでも思っているみたい。

 それを領外から来たっていう人の前で言うだなんて、一体何を考えているの?

 自分に一番近い人が、そんなことを言うのが悲しい。

 そして、そんな考え方をされていることが、とっても辛い。

 隣に居るシグルドが聞こえていないはずがない。

 だから、すぐ近くの顔を見ることもできない。

 こんなことを言う領民なんて、嫌なんじゃないか。

 力の抜けた手を離そうとしたら、節張った指が絡みついた。


「夫婦の設定なんだろ。離れんな」


 指に力が入り、隙間がなくなる。

 聞こえた声は平坦で、感情がよく分からない。

 大きな手は、その気になれば私の手なんて簡単に握りつぶせるだろう。

 だけどそんなことはせず、ふんわりと、壊れ物のように包んでくれた。


「僕はこちらに来てから数年しか経っていませんが、素性の知れない者ですか?」


「ええ、もちろん。

 もしもお嬢様がいらしたら、余計なことはおっしゃらず、お屋敷に帰るようお伝えください」


 そう言って、タミーは足音を響かせて出ていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る