11.ダンスの練習と違和感

 楽しい日はすぐに終わってしまうのに、そうじゃない日は時間の進みが遅い。

 今日は朝から礼儀作法のお稽古をして、そのあとはダンスの練習って言われてる。

 田舎であるフロンティエル領で、ダンスを踊る機会なんてないのに。

 令嬢の必須科目って言われても納得できそうにない。


「お嬢様、姿勢が乱れています」


 お茶会の作法を実践形式で行っていると、正面に座るタミーから厳しい指摘が入る。

 背中に一本の棒を通したようにって言われたけど、分かるわけがない。

 そう言ったら本当に通されそうだから口に出せないけど。

 テーブルに並ぶのは、香り高い紅茶とバターの香りがするクッキー。

 それと小さく切られた果物は、華奢なフォークで一つずつ口に運ぶものだろう。

 窓から射し込む日差しできらきらしているけど、畑に実った野菜の輝きには負ける。

 ぷすっと刺して食べてみても、果汁が口いっぱいに広がることはなかった。


「そんなに大きくお口を開くものではありません」


「……はぁい」


 シグルドと一緒に食べたトマト、美味しかったなぁ……。

 お手伝いをしたからっていうのもあるし、新鮮そのものだったからかもしれない。

 だけど一番の理由は一緒に食べる相手だろう。

 シグルドと一緒なら、どんなものでも最高級品の味になっちゃいそうだ。

 ようやく教えてもらえた名前を頭に浮かべていると、自然と口元が緩んでくる。

 いけないいけない、タミーに怒られちゃう。

 慌ててカップで口を隠すと、湯気の向こうの浮かない顔に気付く。


「タミー、元気ないの?」


 いつも無表情で、ガラス玉のような目をしているタミーだけど、今日は違って見える。

 他の人から見たら分からない程度の違いだけど、私はずっと一緒に居るんだから。


「いえ、問題ありません」


「嘘。何かあったでしょ」


 二歳年上のタミーは、私が十歳の時から住み込みで働いている。

 家族を事故で亡くしてしまったそうで、領主であるお父さんが雇い入れたんだとか。

 それが理由なのかは分からないけど、私の両親に対して過剰な思い入れがあるみたい。

 その娘である私を立派な令嬢にすることが、タミーの目下の目標らしい。


「今後のお稽古について考えていただけです。

 お嬢様は、日頃からよくお出かけになるようですので」


「うっ……」


「令嬢が呻き声など出すものではありません」


 ぴしゃりと言われてしまい、それ以上の言葉が続かない。

 おかしいなぁ。そんな悩みであんな顔、しないと思うのに。

 苦しそうな、悲しそうな、寂しそうな……。

 具合が悪いというわけではなさそうだから、気持ちの問題なのかもしれない。

 タミーだってお年頃なんだから、きっとそんな時もあるんだろう。

 初恋を自覚した私にとって、それくらい察してあげることができる。


「タミー、私に協力できることがあったら言ってね?」


「でしたら、その頬杖を今すぐおやめください」


 侍女で家庭教師のタミーだけど、一番長く一緒に過ごしている相手なのに。

 やっぱり頼りないって思われてるのかなぁ。

 家の外に逃げてばっかりなことを思えば、仕方がないのかもしれない。

 沈黙だけのお茶の時間は、当たり前だけど居心地の悪いものだった。


 お昼を過ぎ、ダンス用のドレスに着替える。

 ひらりひらりとなびく裾はきれいだけど、ダンス以外の動きはしづらそうだ。

 少なくとも、窓の外の木に飛び移ったりしたら一瞬で破けてしまうだろう。


「タミー、今日も一緒に踊ってくれるんでしょ?」


 男性役はいつもタミーがやってくれている。

 なのに今日はピアノの横に立ったままで、こっちに来る様子はない。

 いつもだったら、他のお手伝いさんが弾いてくれるのに。

 どうしたのかと思っていたら、扉からノックが響いた。


「どうぞ、お入りください」


「え……マーカス?」


 少し揺れたタミーの声のあと、入ってきたのはマーカスだった。

 警備隊の服ではなく、領地の人たちがよく着る一般的な普段着姿だ。

 そういえば、今日のお見送りでは紋章を背負ったマントを見かけなかったような……。

 昼間に来ることなんて初めてでつい首を傾げてしまう。


「本日はマーカス様と踊っていただきます。わたしは伴奏を」


「そういうことらしい。よろしくね、クレア」


 困ったように笑うマーカスだけど、一体どういうことなんだろう?

 警備隊長である人を、ただのお稽古のダンスに付き合わせるだなんて。

 タミーに話を聞こうとしたのに、すぐにピアノを弾き始めてしまった。

 こうなったら動くしかない。でも、あとで絶対に聞くんだから!

 叩きこまれた姿勢を取ると、マーカスは迷うことなく向かい合う。

 食事の作法もだけど、ダンスもできるなんて。

 普通はこんなの覚える必要ないのに、マーカスはなんでもそつなくこなすらしい。


「足踏んじゃったらごめんね?」


「いいよ。クレアに踏まれるくらい、なんともないから」


 伴奏に合わせて、マーカスのエスコートが始まる。

 タミーと同じだろうと思っていたのに、実際踊ってみると勝手が違う。

 しなやかに動くタミーと違って、マーカスは力強い。

 だけど私の動きをきちんと見ていてくれて、次の動きを自然に促してくれる。

 そして何より違うのが、触れた場所と視界だ。

 コルセット越しに感じる手の力とか、向かい合っているのに見上げないと目が合わないこととか。 

 いつもと違う環境に、むずがゆい気持ちになってしまった。

 握られた手はすっぽりと包まれていて、剣を握って硬くなった皮膚があたる。

 シグルドも、こんな手をしていた。

 ということは、毎日警備隊として働いているマーカスと同じくらい、剣を握っているんだ。

 魔の森で、たった一人で……。


「……わっ!」


 考え事をしていたせいか、足元が疎かになって体勢を崩してしまう。

 転んじゃう……!

 一緒に踊る相手を巻き込まないように手を離そうとすると、握られた手に力が入った。


「っと……大丈夫?」


 手と腰を引かれたことで、転びかけていた体勢を立て直す。

 逞しい身体は私の身体を難なく支えてくれてた。

 でもその代わりに、マーカスとの距離がなくなり、ほとんど抱きついているようになってしまった。


「ご、ごめんなさい……」


「少し速かったかな。怪我はしてない?」


 あぁ、びっくりした。

 ちょっとシグルドのことを考えただけで、周りが見えなくなっちゃうんだから。

 間近にあるマーカスの顔を見ても、シグルドはもうちょっと背が高いなとか思ってしまう。

 もう、すべてのことがシグルドに繋がる。

 それが嬉しいような困るような気持ちで、頬がぽわぽわしてきてしまった。


「クレア、どうかしたかい?」


「え? ううん、なんにも!」


 駄目駄目、お稽古中なんだから!

 しっかり練習しないとタミーに怒られちゃう……って思ったのに、いつの間にか伴奏は止まっていた。

 おかしいな。いつもだったらすぐに再開するよう言われるのに。

 何かあったのかと思ってピアノの方を向くと、タミーが椅子から立ち上がっていたところだった。


「……少々早いですが、休憩にいたしましょう。お茶の準備をしてまいります」


「え? 全然やってないけど」


 まだ一曲目だっていうのに、もう休憩?

 あり得ない事態に理由を聞きたいのに、タミーは顔を伏せて部屋から出ていってしまった。

 うーん……やっぱり今日のタミーは変だ。

 マーカスも心配そうな顔をしていて、ダンスの姿勢を解いて椅子に座った。


「ねぇ、マーカス。今日は警備隊のお仕事はいいの?」


 タミーだけじゃなく、マーカスだって変だ。

 大事なお仕事を放ってまで私の相手をする必要なんてないんだから。

 タミーが居たら止められてしまいそうだから、今のうちに聞いてしまうことにする。


「元から今日は休みだったんだ。それと、領主様から頼まれてね」


「お父さんから? そんなの断っていいよ!」


「そうもいかないさ。オレたち警備隊は、領主様の援助あっての組織だからね」


 確かに、領主と警備隊の関わりは強いものだろう。

 でもだからって、休日に娘の相手をしろっていうのは公私混同だと思う。

 いくら幼馴染みとはいえ、私だけじゃなくマーカスだっていい大人だ。

 親の言いなりにならなきゃいけない立場じゃないはずなのに……。


「それに、クレアと居るのは嫌じゃないから」


「私もマーカスと居るのは嫌じゃないけどさぁ……」


 昔からお兄ちゃんみたいに思っているし、窮屈な令嬢生活の息抜きをさせてくれる。

 そんなマーカスは私にとって癒やしの存在だ。

 多分マーカスだって同じように思っているだろう。

 椅子の上で膝を抱え、ちらりと隣を見上げてみる。

 目尻の下がった優しい顔立ちは、いつ見てもほっとできた。


「失礼いたします」


 ノックの後に入ってきたタミーは、カートに乗せたお茶をテーブルに並べていく。

 その動きは淀みなく、ガラス玉のような茶色の目もいつも通りだ。

 さっきのは一体なんだったんだろう?

 聞きたい気持ちはあるけど、タミーにとってはお客様であるマーカスの前で聞くべきじゃないか。

 自分の口を塞ぐために飲んだ紅茶は、いつもよりちょっと渋い気がした。

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