08.箱入り娘と畑仕事

 待ちに待った休息日。

 小道を進んで辿りついた先には、さぁっと水の音がしていた。

 慌てて空を見上げても天気は快晴。

 降り始めの雨が乾いた地面に落ちる音は、すぐ目の前で起こっていた。


「また来たのかよ、赤ずきん」


 眉をひそめ、鼻に皺を寄せて言う狼さん。

 その手からはしとしとと小雨のように水が滴っていて、足元の畑を濡らしていた。


「こんにちは、狼さん! これ魔法? すごいっ!」


「この程度なら誰でもできるだろ」


 家の裏にあった畑は広いのに、狼さんに魔法にかかれば水やりなんて一瞬らしい。

 水滴を浮かべた野菜はどれもつやつやしてきれいだ。

 そしてもちろん、なんの気なしに魔法を使う狼さんだって。

 恋をしていると気付いて初めて会う狼さんは、変わらずとても素敵だった。


「で? 今日は一体なんの用だ」

 

「ランチを持ってきたの! 今日はちゃんとお肉なしだよ」


 重たい籠の中身は野菜のサンドイッチに果物のタルト。それと小瓶に入った果実水だ。

 料理屋の店長にお願いして作ってもらったから美味しいに違いない。

 自信満々に教えてみたら、狼さんはどうしてか口をへの字にしていた。


「どうかした? あっ、嫌いなものあった?」


 そうじゃなくて、と言いながら、狼さんは影を作る木の幹に寄りかかる。

 今日は日差しが強いから疲れちゃったのかな?

 私も赤い頭巾の下にほんのり汗をかいてしまっている。

 

「お前……どうしてこんな場所まで来るんだ?」


「狼さんに会いたいからだよ?」


 分かりきった質問に答えると、狼さんは中指をこめかみに押し当てる。

 何度か見た仕草は太くて長い指がよく見えて、首のあたりがそわそわした。


「意味分かんねー……」


 吐息と一緒に絞り出したような声に、胸がきゅんっとする。

 狼さんが動いたり喋ったりするたびに、私の恋心は大きくなってしまうらしい。

 狼さんはそんな私には気付いていないようで、影の下から視線を向ける。


「俺は、狼の末裔だ」


「知ってるよ?」


 最初に会った時に聞いたことだし、忘れるはずがない。


「お前んとこの領地は……狼の末裔を化け物か何かだと思ってんだろ」


 その言葉に、マーカスに言われたことを思い出した。

 魔の森に住んでいれば、それは魔獣と同じ。

 領地の多くの人がそう思っているのかもしれない。

 だけど、私はそんなこと絶対に思わない。


「私は狼さんのこと、とっても強くて優しい、素敵な人だって知ってるよ!」


 何も知らないで、知ろうとしないで、勝手に悪いって決めつけたりしたくない。

 そう思ってここにきて、狼さんに出会えたんだから。

 自信を持ってはっきり言い切ると、吐息混じりの声が聞こえた。


「……なんだよ、それ」


 笑ったみたいに聞こえたのは気のせいかな。

 木陰で顔がよく見えないけど、薄い唇は少しだけ弧を描いているように見えた。


「どうせ、帰れって言っても帰らねーんだろ」


「うん!」


「結界の外には出るな。俺の邪魔はするな」


「分かった!」


「返事だけは立派だな」


 そう言って狼さんは畑に向かい、雑草を抜いたり枯れ葉を摘んだり作物の手入れを続ける。

 そのすぐ横にしゃがみ込み、大きな手が滑らかに動くのを眺めた。


「ねぇ、狼さん。私もやってみたい」


「好きにしろ」


「どうやるの?」


「普通にやれ。あそこは農業が盛んなんだろ」


「やったことないの。汚れるからって言われちゃって……」


 領地の中で小さな畑を見ることはあっても、実際に触れたことはない。

 本当は土いじりが羨ましかったけど、畑の人もタミーも駄目だって言うから。

 こっそり触って何かを痛めちゃっても困るから、いつも見ているだけだった。


「とんだ箱入り娘だな」


 呆れたような声に肩がぴくんと跳ね、そっと隣を覗き込む。

 領内ではいつも言われるその言葉を、狼さんに言われてしまうのはちょっぴり悲しい。

 土に触ろうとした手を引っ込めて、膝を抱えて口を結んだ。

 その間にも狼さんはてきぱきと作業を続け、手慣れているんだと分かる。

 自給自足の生活を一人でこなすのは大変そうだ。

 想像するしかできない私は、やっぱり箱入り娘なんだろう。


「そこに生えてる雑草、同じのを抜いてけ」


「えっ?」


「見てるだけなら邪魔。働け」


 立ち上がった狼さんは、作物が茂る隙間にすいっと入ってしまった。

 雑草、抜けって?

 目の前の地面を見てみると、ひょこんと生えた細い葉っぱがある。

 道端でも見かける植物は、作物ではないんだろう。

 指で摘んで軽く引っ張ってみると、ずるっと根っこまで付いてきた。

 葉っぱの青い匂いと、地面の湿った匂い。指にざらざらまとわりつく土の感触。

 感じたことのない感覚が楽しくて、目に入る雑草をどんどん摘んでいった。


「たかが雑草取りに、熱中しすぎだろ」


 夢中になって続けていると、ふいに手元が影になる。

 何も考えずに顔を上げると、そこには狼さんが立っていた。

 いつの間にか灰色のローブを脱いでいたようで、白いシャツが眩しい。


「雑草取り、楽しいね!」


「面倒なだけだろ。手ぇだせ」


 言われるままに土まみれの手を差し出すと、不思議な音と一緒に水が落ちてくる。

 きっと魔法の呪文なんだろう。

 何もない場所から現れた水は、ひんやりとして気持ちよかった。


「そんなんじゃ収穫もしたことないんだろ」


「う……」


「俺の真似しろ」


 狼さんは目の前に実ったトマトを掴み、引っ張る。

 ぷちんと外れたトマトをシャツで拭いたと思ったら、そのままがぶりと噛み付いてしまった。


「えっ、えっ?」


「こうすんのが一番うまいんだよ」


 大きかったトマトは大きな口に消えていく。

 唇に残った果汁を舐め取る舌は、見ているとなんだか恥ずかしい気持ちになってしまった。


「あのっ、いいの?」


「労働の対価だ」


 そうじゃなくて、採ってそのまま食べていいのって意味なんだけど……。

 いつもだったら食べやすい大きさに切って、フォークで一つずつ食べるものだ。

 だけど狼さんはとっても美味しそうに食べていた。

 それに、ここには礼儀作法を注意する人も居ない。

 真っ赤に熟したトマトをそっと握り、思い切って引っ張ってみる。

 すぐに採れたものは手の中でずっしり重く、太陽のせいか温かい。

 少しだけ水滴のついた表面を袖でごしごし擦り、思い切って歯を立てた。


「んむ……おいし、わぁっ!?」


 ぷつんと弾けた皮から、一気に果汁が溢れ出してくる。

 口の端から零れてて顎をつたい、服につかないよう慌てて顔を前へと突き出した。


「下手くそ」


 狼さんは、残ったヘタを畑に放り投げながら……笑っていた。

 琥珀色の目を細め、少しだけ歯を見せた顔は、ちょっと意地悪そうだ。

 でも、初めて見る笑顔に胸がときめいて、頬がかぁっと熱くなる。

 恥ずかしいのに嬉しいだなんて、変な感じ。

 ぽたぽた滴る果汁に気をつけながら食べ終わると、狼さんはもう一度水で洗ってくれた。


「箱入り娘ってのは周りが作り出すもんだろ」


 突然戻ってきた話に、ハンカチを持つ手が止まる。

 真っ白だったハンカチは、ピンク色の模様がついてしまった。


「ここじゃそんな扱いしねーから。音を上げんなよ、赤ずきん」


 狼さんはそう言って、お家のほうへと歩いていってしまった。

 箱入り娘のお嬢さんじゃない。

 一人の赤ずきんとして扱われたことに、胸が一杯になってしまう。


「どうしよう、どんどん狼さんが好きになっちゃう……」


 トマトと同じくらい赤くなっていそうな頬を押さえ、急いで狼さんを追いかけた。

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