07.初めての気持ちと不安な気持ち

 お稽古、勉強、ご挨拶。

 厳しすぎる家庭教師タミーから開放された私は、昨日役目を終えた籠を持って商店街に来た。

 警備隊の出迎えの前に料理屋に行くと、休憩中のヴァネッサが出てきてくれる。


「お皿、返しに来たよ」


「あー、はいはい。こっち持ってきてー」


 赤茶色の髪を乱しているヴァネッサは、お昼の営業で疲れているんだろう。

 店長にも謝ったけど、私が来れなくなったせいで給仕は一人のままらしい。

 できることなら戻りたいのに、最近タミーもお母さんも妙に厳しくてなかなか言い出せないでいた。


「ごめんね、ヴァネッサ」


「いーのいーの。にしてもクーがお持ち帰りなんて珍しいじゃん。それも二人分なんて」


 ヴァネッサは周りをきょろきょろ見回したあと、こそっと聞いてくる。

 あんまり人に聞かれていい話じゃないから、私も声を落として答えた。


「ちょっと、食べさせたい人が居て……」


 残念ながら食べてはもらえなかったけど。

 ちょっとしょんぼりしちゃったけど、好き嫌いを聞かなかった私が悪いんだから仕方がない。

 次はお肉じゃないものを選ばなきゃ!


「一緒に食べに来られない相手ってことは……さては男ね?」


「うん、男の人だよ?」


「は? うわっ、ほんと? やっだいつのまに!?」


 差し入れなんて珍しいことじゃないのに、どうしてそんなに驚くんだろう?

 その場でぴょんぴょん跳ねるヴァネッサに、思わず首を傾げてしまった。


「誰だれ? マーカスさん……は違うか、警備してるし。

 他に居たっけかなーっ? ねっ、教えてよー!」


 目をきらきらさせているヴァネッサは、どうしても相手が知りたいみたい。

 全部言うのは無理だけど、ちょっとくらいはいいかな?

 とっても素敵な狼さんのことを、私一人で抱えているのはもったいない。

 内緒にしてねって前置きをしたら、ヴァネッサは力強い指切りをしてくれた。

 それから、私がこっそり防壁の外に出たことと、そこで男の人と知り合ったことを教えた。

 さすがに魔の森の、それも狼の末裔とまでは言えなかったけど。

 領内を出歩くことさえ制限されている私の行動に驚きながら、ヴァネッサは熱心に話を聞いてくれた。


「へぇーっ、クーって見かけによらず行動派よね。ねね、どんな人なの?」


「とっても強くて格好よくて、優しいの」


「強いってことは傭兵かなんか?」


「ううん、魔術師だって」


「魔術師? こんな場所にめっずらしー。それで、うまくいってるの? 告白したの?」


 告白……?

 赤茶色の目をらんらんとさせるヴァネッサに、またしても首を傾げてしまう。

 私が狼さんに、何を告白するんだろう?

 そう聞いてみると、ヴァネッサはぽかんと口を開けてしまった。


「クー、あんた、その人に会いたいんだよね?」


「タミーに見つからないなら毎日でも会いたい!」


「格好いいって思うのよね?」


「髪も瞳もとってもきれいなの!」


「見てるとどきどきぽわぽわするって?」


「うん!」


「あんたそれ、恋でしょ」


 ヴァネッサは笑いながらそう言って、ニヤニヤと口角を上げる。

 お話の中でしか知らない言葉は、不思議とすとんと落ち着いた。

 そっか……これって、恋なんだ。

 自覚した瞬間、頬がぽっと熱くなる。

 胸がきゅうっと苦しくなって、頭の中に勝手に狼さんの姿が浮かんできた。


「十六歳にして初恋ねぇ。さっすが箱入りお嬢様」


「もうっ、ヴァネッサ!」


 からかうような口調を怒っていると、防壁の門から人のざわめきが届いた。

 いけない、もう警備隊が帰ってくる時間だったんだ!

 慌ててさよならを言って門に行くと、そこには警備隊の人たちが揃っていた。


「おかえりなさい!」


 がやがやと賑やかなほうに声をかけると、今日は近くのお店の人たちも集まっているみたい。

 いつになく盛り上がっている理由は、魔獣を一体仕留めてきたからなんだとか。

 今までも何回かあったみたいだけど、防壁の内側に運ぶことはないから見たことはない。


「あっ、マーカス!」


 門の横で緑色のマントを見つけて駆け寄ると、はっとしたように振りかえる。

 マーカスの後ろでは、外で畜産をしている人たちが見たことのない道具を手に立っていた。


「どうかしたの?」


「いや、これから魔獣の解体をするんだ。

 見ていて気持ちのいいものではないから、クレアは戻っているといいよ」


 そう言って、マーカスは私の背中をそっと押す。

 離れていく門の外では、聞いたことのない変な音が響いていた。


「魔獣の身体は場所によっては商品になるんだ。貴重な収入源の一つだって知っているだろう?」


「毛皮とか角とか、そういうのだよね?」


「さすがに肉を食べる人はいないからね」


「ねぇ、マーカス。魔獣と戦ってると、お肉が食べられなくなったりしないの?」


 狼さんが言っていた。

 毎日魔獣を見ていたら、お肉なんて食べられなくなるって。

 だからマーカスも同じだったりするのかと思ったけど、笑って首を振られた。


「そんなに繊細じゃ、警備隊なんてやってられないよ」


 じゃあ、お肉が苦手な狼さんは繊細な人なのかな……。

 そういえば、魔獣の素材は剣の柄や鞘にも使われるって、タミーが言ってたっけ。

 マーカスの腰にある長剣は、握りの部分がつやつやしていた。


「剣、重い?」


「そりゃあ重いさ。でも、これが命の重さだから。

 みんなの命を守るためなら、重いなんて言ってられないよ」


 触れると剣がカシャンと鳴り、支えのベルトが伸びているのが分かる。

 それだけ重たいものを持ち、魔獣に向けて振っているんだ。


「さぁ、もう帰ろう。早く屋敷に戻らないと狼の末裔に襲われるよ」


「マーカスまでそんなこと言うの?」


 からかい混じりの言葉に、つい口先が尖ってしまう。

 マーカスは、ううん、この領に住む人たちは、狼の末裔なんて存在しないって思っているんだろう。

 でも、本当は存在してるって言ったら?

 魔獣なんて作らないし、人のことを襲ったりもしない、人狼なんてものでもない。

 私たちと同じ人間なんだよって言ったら、どんな反応をするんだろう?


「警備隊の人は、居るって信じてるの?」


「まさか。ただ、伝統として銀矢は毎回持っていってるよ。

 人狼には銀の武器というのは、昔からの言い伝えだからね」


 そういえば、私も最初は銀のペーパーナイフを持っていったっけ。

 まったく必要なく、そして役にも立たなかっただろう。


「狼の末裔に会ったら……マーカスは、どうする?」


 立ち止まって聞いてみると、マーカスは少し歩いて振り返る。

 夕日で真っ赤に染まった顔は、優しい顔つきなだけじゃない。

 下がった目尻を険しくして、長剣の柄をぐっと握った。


「魔の森に住んでいれば、それは魔獣と同じだ。

 もしも出会うことがあるのなら、オレはみんなのために全力で戦うよ」


 それが警備隊の役目だから、って。

 ピリッとした空気に身体が震え、胸がどきりと跳ね上がる。

 本当は、少し期待していたんだと思う。マーカスは優しいから。

 だけどそんなのは私のただの希望でしかない。

 マーカスの言葉に何も返せず、私は黙って隣を歩く。

 狼さんの剣には……一体、どんな重さが乗っているんだろう。

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