06.ランチのお誘いと食の好み

 休息日の今日は、ほとんどの人がお休みだ。

 住み込みで侍女と家庭教師をしているタミーですら休むことになっている。

 だけど警備隊に休みはなく、今日も防壁の門の前には何人もの人が集まっていた。

 革鎧を付け剣や弓を手にした人たちは、当たり前だけどみんな体格がいい。


「クレア」


 その中でも一際逞しい姿が私に気付き、広い歩幅で近寄ってきた。

 他の人と違い、模様の入った緑色のマントを揺らして歩くのはマーカスだった。

 フロンティエル領の紋章を印したものは隊長の証なんだって、タミーが言ってた。

 目の前で止まったマーカスは、しゃがむように腰を落として私の顔を覗き込む。


「昨日も一昨日も顔を見なかったから心配していたんだ。

 具合が悪かったと聞いたよ。もう大丈夫なのか?」


「あっ、うん、全然平気っ!」


「そうか。でも、無理はしないようにね」


 頭にぽんと乗せられた手は大きく、温かい。

 私の嘘でマーカスにも心配をかけちゃったんだ……。

 労るような笑顔を向けられると、ごめんなさいって気持ちでいっぱいになってしまう。


「今日も、魔の森に行くんだよね?」


「ああ。いつ何時魔獣が現れるか分からないからな」


 魔獣……そう、魔獣だ。

 一昨日、魔の森で見た魔獣は、マーカスも見たことがあるのかな。

 明らかな敵意を向けてくる、四本脚の大きさな生き物。


「ねぇ、マーカス。魔獣ってどういう姿なの? やっぱり、大きくて怖い?」


「クレアにとっては大きいかもしれないけど、オレたちにとってはそうでもないよ。

 そうだね……外にいる牛くらいって思えばいい」


「え……?」


 牛くらい……? ううん、私が見たのはもっともっと大きかった。


「それでも大勢で戦わないといけないし、魔力を持った魔獣はそう簡単には倒せない。

 どんなに気を付けても怪我することだってある。だから、森から出てくる前に駆除するんだ」


 十人以上の隊員に視線を向けるマーカスに、どういうことかと聞いてみたくなる。

 だけど出発の時間になったようで、隊員たちから呼ばれてしまった。

 背筋を伸ばしたマーカスは、向かう前に私の肩に手を置く。


「クレアの見送りがあると、やっぱり嬉しいよ」


 そう笑ってくれた言葉に、私は何も返せなかった。


 お見送りをしてから商店街で用を済ませて、相変わらず誰も居ない教会へと入り込む。

 前と同じ時間だから大丈夫だとは思っていたけど、ちょっと安心。

 今日も薔薇窓は大きくて、日差しを受けてきらきら輝いていた。

 家に戻って済ませた変装は、今日も私をしっかり隠してくれている。

 金髪をすっぽりと覆ってくれる赤い頭巾。

 これだけで、私は領主の一人娘ではなく、ただの赤ずきんになれるんだ。

 柔らかい木で編まれた籠を手に、古びた木の扉を抜けて細い一本道をひたすらに歩いた。

 平野を抜けて木々が茂り始めた場所が、魔の森との境界なんだろう。

 狼さんが言っていたように、魔の森からの帰り道は何にも遭遇しなかった。

 だから魔獣避けの結界っていうのは、本当に効果があるものなんだ。

 それが分かったから、今日は絶対に道を外れないようにと注意する。

 たとえきれいな花が咲いていても、見たことのない鳥が飛んでいても。

 本当は近くで見たい。だけど、あの時出会った魔獣は本当に怖かった。

 だったら魔の森になんて行かなければいいのかもしれない。

 でも、狼さんに会うためにはこれしかないんだから。

 小さな震えを振り払うように、小道をどんどん歩き続けた。


 押しつぶされた花畑を通り過ぎ、さらさら流れる小川を飛び越えて。

 本当に辿りつくのかと不安になってきた頃に、小道に終わりが見えてきた。

 道を囲むように生えていた木々が途切れ、開けた平地が現れる。

 突然現れた場所は秘密の隠れ家のようで、ほうっとため息が出てしまう。

 木の家と、前は見えていなかったけど畑のようなものもある。

 家のカーテンが閉め切られているから、もしかしてお留守かな?

 試しにノックをしてみたけど、返事は返ってこなかった。


「どうしよう……」


 せっかくここまで来たのに、会うこともなく帰るのはもったいない。

 一段上がった扉の前に座り込み、流れる雲を眺めて過ごした。

 ここは魔の森だというのにとても静かで、微かな自然の音しか聞こえない。

 そんな中、土を踏みしめるじゃりっとした音が耳に届く。

 すぐに空から視線を落とすと、そこには待ちわびていた人の姿があった。


「なんでいるんだ、赤ずきん」


 今日も灰色のローブを羽織った狼さんは、真っ黒な髪を少し乱していた。

 浮かべた表情は前にも見たもので、眉間にくっきりと皺を寄せていた。

 あぁ……やっぱりとっても素敵だ。

 人の姿を見て、こんな気持ちになるだなんて。


「狼さんに会いに来たの!」


「来んなって言っただろ」


「だって、会いたかったんだもん!」


 そう言うと、狼さんは中指でこめかみを押さえる。

 そして深い深いため息をつき、私を無視して家に入ろうとしてしまう。


「あのね、狼さん。今日はこないだのお礼にランチを持ってきたの!」


「自分の食事くらい間に合ってる」


「えっとね、野兎のシチューと、ミートパイと……」


「馬鹿、こんなとこで開けんな!」


 持ってきた籠の中身を広げようとしたら、狼さんはばんと蓋を閉じてしまう。

 ふんわり漂っていた美味しい匂いは閉じ込められて、ついでに私の手もしまわれている。


「お前、ここが魔の森ってこと忘れてねーか?

 そんな匂いを外でさせて、魔獣が寄ってきたらどうすんだ」


 琥珀色の目を細め、見下すように言い放つ。

 目の前から投げつけられた言葉に、私の胸がときんと跳ねた。


「ほら、さっさと帰れ。ピクニックじゃねーんだから、途中でその籠開けんなよ」


「で、でも……」


 一人で中に入ろうとする背中に呼びかけるのと同時。

 私のお腹がくぅっと鳴ってしまった。

 は、恥ずかしい……!

 身を縮めて隠れてしまいたいと思っていたら、狼さんは小さなため息をついた。


「……さっさと食って、さっさと帰れ」


 そう言うと、狼さんは顎でくいっと中に入るよう促してくれた。

 粗野な仕草も格好いい。

 それに、結局はお家に入れてくれるんだから、優しい人でもあるんだろう。

 狼さんは戸棚から籠を取りだし、音を立てて椅子に座った。


「人を入れることなんてないんだから、座る場所はねーぞ」


「大丈夫!」


 お稽古で習った立食パーティだと思えば問題ない。

 籠の中身をテーブルに広げている間に、狼さんは固そうな黒パンに歯を立てた。


「待って待って、パンも持ってきたの!」


「それはお前の昼飯だろ」


「ちゃんと二人分だよ!」


 小鍋の中身もパンの数も、しっかり二人分持ってきた。

 なのに狼さんはパンを食べる手を止めてくれない。


「私が働いてる料理屋さんで買ってきたの。とっても美味しいんだから」


 看板料理は誰が食べても美味しいって言ってくれるから、狼さんも気に入ってくれるはず。

 そう思っていたのに、狼さんは水を煽ってこう言った。


「なんで見ず知らずの他人から食い物をもらわなきゃなんねーんだ。食うなら一人で食えよ」


 冷たい口調で言われ、お皿を並べる手がぴたりと止まる。

 生まれた時から領地の人と過ごしていたから、優しく接してもらえるのが当たり前だと思っていた。

 だけど私と狼さんは出会ったばかりで、会話らしい会話だってできていない。

 私は仲良くなりたくて来ているけど、狼さんは来るなって言う。

 だから言われたことはもっともなんだけど、なんだか悲しくなってしまった。

 どうしよう……泣きそうだ。

 つんと痛む鼻を押さえると、近くでことんとパンを置く音がした。


「……俺は菜食主義なんだよ」


 狼さんはテーブルの上に肘をつき、頬杖をしてそっぽを向いている。

 口をへの字にしたその表情は、気まずいとでも言いたげだった。


「え……嘘?」


「嘘じゃねーよ。毎日魔獣を見てんだ。それで肉を食いたいとか思うわけねーだろ」


 私が知ってる男の人たちは、みんなお肉をもりもり食べる。

 それが普通だと思っていたから、狼さんの発言が本当なのかと疑ってしまう。

 そこまでして私と一緒に食べたくないのか。

 それを確かたくて、籠の中から最後の一皿を取りだした。


「これ、私の大好きな胡桃のタルト。これならどう?」


 狼さんの前に置いてみると、ちらっと見てからのろのろ手が伸びる。

 そして明らかに不満ですって顔をしながら、口へと運んでくれた。


「……うまい」


 口をもぐもぐさせながらの呟きに、鼻の痛みは吹き飛んでしまった。

 私の好きなものを美味しいって食べてくれた。それだけで、嬉しさで胸がいっぱいだ。


「さっさと食え。食ったら帰……」


「はぁい!」


 帰れの言葉の前に大きな返事をして、広げた料理に手を伸ばした。


 たくさんのご飯をゆっくり食べている間に、狼さんは安楽椅子へと移ってしまう。

 離れてしまったことは寂しいけど、せっかく同じ部屋にいるんだから。

 食べ物をきちんと飲み込んでから、狼さんへと話しかける。


「ねぇ、狼さん。狼さんはここで何をしているの?」


「話してる暇があったら食え」


「魔獣を見てるって言ってたけど、前みたいに退治してるの?」


「食わないなら帰れ」


「食べるもん」


 怒られる前にパンをちぎり、口へ運ぶ。

 今朝マーカスから聞いたことは、私が見たものと矛盾している。

 たった一回魔の森に来ただけの私の判断より、狼さんに聞いたほうが確実だ。


「狼さん、魔獣ってどういうものなの?」


「そんなもん領民に聞け」


「狼さんから聞きたい」


「食い終わったなら帰れ」


「お腹がいっぱいで動けないの」


「か、え、れ!」


「いーやっ! 聞くまで帰らない!」


 ここまで歩いてせっかく会えたんだから、ご飯を食べて終わりなんて嫌だ。

 さっきまで狼さんが使っていた椅子に座り、テーブルの端にしがみつく。

 そのままじっと視線を向けると、狼さんは中指をこめかみにあて、長いため息をついた。


「聞いたら帰れよ」


 そう言ってからのお話は、私が今まで生きてきて、一度も聞いたことがないものだった。


「魔法を使う動物は、すべて魔獣と呼ばれている。意思疎通はできないし、攻撃性も高い」


「この間の魔獣も魔法を使うの?」


「元々はあんな大きさじゃねーんだよ。身体を大きくするのは魔獣にありがちなもんだ」


 狼さんは安楽椅子に寄りかかりながら、コップに注いだ水を飲む。

 ごくんと動く喉仏がとっても男の人らしくて、なんだかどきりとしてしまった。


「あっ、あの、警備隊の人に聞いたの。魔獣は牛くらいの大きさだって」


「領地を守る目的なら手前だけ周れば十分なんだろ。奥に行きゃもっとでかいのも居る」


「狼さんは奥まで行くの?」


「必要に応じて。もういいだろ」


 狼さんはすっと立ち上がり、作り付けの本棚から分厚い本を取りだす。

 片手で軽々持つものは、自宅のどの本よりも分厚そうだ。


「じゃあ、狼さんってとっても強いのね!」


 警備隊が大勢で相手する魔獣を、たった一人であんなに簡単に退治しちゃうんだから。

 見た目が素敵なだけじゃない。強くて格好いい人なんだ。

 ぽわぽわと温かくなる頬を押さえていると、狼さんはなぜかすぅっと目を細めた。


「……こんな力があったら、俺も魔獣と一緒だろ」


「えっ? どうして?」


 吐き捨てるような呟きに、なんだか胸が痛くなる。

 どうしてそんなことを言うんだろう。

 俯いたせいで琥珀色の瞳が隠れ、引き結んだ唇だけが見える。


「あの領地は魔術師が寄り付かないから知らないだろうが、俺の魔法は異常なんだよ。

 魔法を使う動物が魔獣なら、人間だって同じだ」


 確かに、狼さんほどすごい魔法は見たことがない。

 でも、そんなことを言ったら魔術師はみんな魔獣だってことになっちゃう。

 そんなの絶対違うって思うし、それよりももっと大きな違いがある。


「狼さんは私を魔獣から助けてくれたもん。

 それに、わざわざここまで運んでくれたでしょ?

 人に優しくしてくれる人が魔獣だなんて、絶対あり得ないよ!」


 気絶してしまった私を放置することだってできたはずだ。

 なのにお家まで連れてきてくれて、起きるまで待っていてくれた。

 それを優しいって言わないでなんて言うんだ。

 安楽椅子の横にしゃがみ込み、俯いている顔を見上げる。


「狼の末裔って、とっても優しいいい人なんだよ!」


 間近で見る顔はやっぱりきれいで、ぱちりと瞬きをする琥珀色の瞳は宝石みたいだ。

 なのにすぐに手の平で覆われてしまい、狼さんの顔が見えなくなってしまった。


「……そんなこと言う奴、初めてだ」


 不機嫌そうな低い声。

 だけど全然怖くなくて、なんだか嬉しくなった。



「狼さん、私そろそろ帰るね。もっと居たいんだけど……」


「どんだけ居座れば気が済むんだ」


 太陽が少しずつ傾いてきたから、さすがにもう駄目だろう。

 夜になっても帰らなかったら、せっかくの休息日まで家から出られなくなるかもしれない。

 食器をしまった籠を持ち、赤い頭巾を深くかぶり直す。


「もう来んなよ。赤ずきん」


 扉を開く直前に、背中に声がかけられる。

 やっぱり低くて不機嫌そうだけど、呼ばれた名前に胸が弾んだ。


「また来るね!」


「来んなって言ってんだろ!」


 鼻に皺を寄せての言葉は怒っているみたいだから、慌てて外へと飛び出した。

 うーん、さすがに迷惑だったかな。でも、一緒にいたいんだもん。

 話しかけてもあんまり返事はしてくれないし、何度も帰れって言われたけど。

 今日は首根っこを掴んで放られることはなかった。

 だったらぎりぎり許されてるって思うことにしよう。

 休息日に素敵な狼さんと一緒に過ごせただなんて、なんていい日だっただろう。

 タミーの令嬢教育では、男の人と二人で過ごすなんて駄目って言われてた。

 でも、今の私はただの赤ずきんだから。

 小道を抜けて防壁の扉をくぐるまで。それまで私は、赤ずきんで居られる。


「また、来ちゃうんだから」


 聞こえないように呟いて、細い小道を歩いた。

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