05.狼の末裔と領地の歴史

 身体の節々が痛い。

 不快な感覚に引っ張られた意識は、すぐにはっきり浮上する。

 同時に目蓋を開いたら、そこは見たことのない場所だった。

 板張りの床に、太い丸太で組まれた壁。ということは、ここはどこかの家の中だ。

 そんな建物の中で、私は床に横たわっていた。

 

「ようやく起きたか、赤ずきん」


 離れた場所から聞こえてきたのは、低く響く声。

 意識を失う直前に知った音を、私はちゃんと覚えていた。

 赤ずきんって……私のこと、だよね?

 自分の頭に触れてみると、深く被っていた赤い頭巾はそのままだった。

 両手をついて身体を起こすと、さっきの男の人は安楽椅子に深々と座っている。

 灰色のローブを着たままで、手には分厚い本を持っているようだ。

 視線はページに向けられ、こっちに顔すら向けてくれない。


「あの、私……」


「一人で魔の森に来るなんざ自殺志願か何かか? 迷惑な奴め」


「ち、違うもんっ! 看板がなかったから魔の森だなんて思わなくて……」


 思わず反論すると、ちらっと視線を向けられてすぐさま元に戻す。

 そして深いため息をつき、本をパタンと閉じた。


「違わねーだろ。それも俺の道を使いやがって……」


「え? どういうこと?」


「起きたならさっさと立て。出てけ」


「ちょっと待って!」


 重たそうな木の扉を開き、しっしと追い払うように片手を振られる。

 だけど私はあえて床に座り込んだまま、その人に向かって叫んだ。


「あなたを探しに来たの!」


「……はぁ?」


「あなた、狼の末裔よね? 私、あなたに会ってみたくてここに来たの!」


 魔獣が現れる森で暮らしているなんて、狼の末裔しかあり得ない。

 それも、あんなに簡単に魔獣を倒しちゃうんだから!

 追いかけてきた興奮に胸を躍らせていると、深いため息が響いた。


「お前、あの領地のガキなら知ってんだろ? 関わる必要なんてないはずだ」


 ローブの合わせ目を強く握ったその人は、私を見下ろして吐き捨てるように言う。

 知ってるって、あの子ども騙しのお話のことかな。

 魔獣を作っているとか、人間に襲いかかるとか、若い女の人を食べちゃうとか。

 そして、もう一つ。


「あなた、人狼なの?」


 どう見ても普通の人間だけど、夜になったら違うのかな?

 そんな期待を込めての質問への答えは、冷めた視線と共に戻ってきた。


「そんな非論理的な存在、居るはずねーだろ」


 鼻で笑ったその顔が、射し込む日差しに晒される。

 真っ黒な髪に縁取られた、凜々しい顔立ち。

 琥珀色の瞳を収めた、吊り目がちな目元。

 高く伸びる鼻。薄い線のような唇。

 どう見ても、とても素敵な男の人でしかなかった。


「分かったらさっさと帰れ。迷惑だ」


「あのっ……あなたのお名前、聞かせて!」


「嫌だ。もう会うこともねーだろ。教える必要がない」


「会う! 絶対会うから!」


「絶対嫌だ。そもそもガキの散歩に魔の森を使うな」


「散歩じゃない! それに私は十六歳だからガキじゃないよ!」


 勢いを付けて立ち上がると、身長が全然違うことが分かる。

 私の頭はこの人の胸の高さまでしかないだろう。

 だけど子どもじゃないんだから、それを証明するためにスカートの裾に手を伸ばした。


「私、クレアっていいます。お名前を教えていただけますか? 狼さん」


 スカートの裾を摘まみ、片足を後ろに引いて身体を落とす。

 タミーに叩きこまれた令嬢のご挨拶をすると、口をへの字に曲げられた。


「誰が言うか。さっさと帰れよ、赤ずきん」


 そう言って、狼さんは私の服の襟を摘まみ扉の外にぽいっと放り出した。

 さっきとは違う場所は、歩いてきた小道の終着地だったらしい。

 一方向にだけ伸びる小道を指し、狼さんは低い声を出した。


「死にたくなかったらこの道から絶対に外れるな。分かれ道はない。まっすぐ進め」


「外れたらどうなるの?」


「魔獣に食われて終わりだ。道の上にだけ魔獣避けの結界がしてあるからな」


 結界……。聞いたことのない単語に首を傾げてしまうと、狼さんは再び呆れた目をする。

 考えてみれば、さっきの魔獣を倒したのは狼さんで、倒した方法は多分……。


「狼さんって、魔術師なの?」


 会ったことのある魔術師とは比べものにならないけど、それ以外に思いつかない。

 だとしたら、ものすごい魔術師ということだ。

 期待に胸を膨らませながら答えを待つと、狼さんは小道にすっと指を向けた。


「か、え、れ!」


「いーやっ! 答えてくれるまで帰らない!」


 開いたままの扉にしがみつき、狼さんをじーっと見上げる。

 近くで見ると琥珀色の瞳がとってもきれいで、いつまでも見ていたいくらいだ。

 そんな狼さんは肩を落とし、観念したかのように中指でこめかみを押さえた。


「あー、ったく……魔術師だよ!」


「魔術師なのに、剣を持ってるの?」


「魔法が効かない場合は剣で戦うしかねーだろうが。答えたから帰れ、日ぃ暮れんだろ!」


 言われてみれば、太陽の位置は低くなっていた。

 私は一体どれくらい気を失っていたんだろう?

 それに花畑のあたりでもずいぶん歩いた気がしたから、もっとかかる可能性を考えると大変だ。

 体調不良で引きこもっているはずの私が居なくなっていたら、きっと大事件にされちゃう。


「また来てもいい?」


「ふざけんな」


 ふざけてるつもりはないのにな。

 小さな鞄を持って、木のお家から小道に下りる。

 狼さんは扉の前で機嫌悪そうに腕組みをしていて、これ以上は無理そうだ。

 だからちゃんと歩き出して、しばらく進んでから振り返る。

 家の前にはまだ灰色の姿があって、そのことがとっても嬉しかった。


「狼さーん!」


 木々のざわめきに負けないように、大きな声で呼びかける。


「助けてくれてありがとーっ! また来るねーっ!」


 大きく大きく手を振って、再び小道を歩き始める。

 背後からうっすら聞こえた言葉には、聞こえないふりをした。



 朝と同じように木を伝って部屋に戻り、変装を解除した時。

 控えめなノックの後にうっすら扉が開かれた。


「お嬢様、体調はいかがでしょうか?」


 外は真っ赤な夕焼け空。

 タミーは約束通り、今の今までそっとしておいてくれたらしい。


「もう大丈夫。タミー、ごめんね」


「構いません。お嬢様のお身体が第一なのですから」


 本当に心配してくれていたみたいで、罪悪感で胸がちくんと痛む。

 だけど、今日したことに後悔はない。

 外の景色の中に行けたことも、魔の森に入ってしまったことも。

 そして……とっても素敵な狼さんに出会えたことだって。

 着替えるからと一人にしてもらい、クローゼットから赤い布を取りだす。

 汚れを払った布を撫で、軽く頭に被ってみる。


「赤ずきん、だって」


 狼さんが呼んでくれた、誰にも言われたことのない名前。

 もう一度呼ばれますようにとお祈りして、きれいにたたんで元に戻した。


 次の日。今日も日課のお見送りに行こうとしたら、タミーに強く止められてしまった。

 昨日一日体調が悪かったという設定だから、言われてみれば仕方がないことだ。

 ついでにダンスのお稽古もなしになり、その代わりにお勉強が追加されてしまった。


「うぅー……」


 別に、お勉強が大っ嫌い! っていうわけじゃない。

 だけど、やりなさい! って言われるとやりたくなくなっちゃうのは、誰だってそうだと思う。

 今日は領地の歴史を学びましょうだなんて、そんな必要あるのかなぁ……。

 タミーが席を外している間に分厚い歴史書をぱらぱらめくる。

 そういえば、狼さんが読んでたのもこれくらい分厚い本だったなぁ。

 同じように片手で持ってみると、すぐに手首が痛くなってしまった。


「狼さん、力持ちだったもんね」


 腰に差した長剣を使うには、ちゃんとした身体が必要だろう。

 それに、私をぽいっと放り投げるのだって、結構な力がいるはずだ。

 自分で自分の襟を引っ張ってみても持ち上がるとは思えない。当たり前だけど。

 もう少し薄い本はないかと室内を彷徨っていると、部屋の隅っこのほうにある棚が目に入る。

 周りにあるものよりも新しく見える本は、同じ装丁で何冊かに分かれているらしい。

 題名は、フロンティエル領の伝承。なら、狼の末裔についても書かれているだろう。

 伝承本には番号が振られていて、古いものからざっと目を通す。

 思ったより新しい時代から始まった内容には、なかなか見たい項目が出てこない。

 最後のページになってようやく見つけたそのお話は、聞いていた通りのものでしかなかった。


「末裔っていうくらいなら、ずーっと居ると思ったんだけどなぁ」


 一番新しい年代の、一番後ろのページだなんて。

 叩きこまれた知識を精一杯思い出してみると、せいぜい百年前くらいの話だろう。

 なのに書かれたものは本人が言っていたことに少しもかすらない。

 狼の末裔は人間だし、魔術師だし、人を襲ったりなんてしない。

 それを確かようともせずに、悪い印象を植え付けて話を広めるだなんて。


「もしかして……だから狼さんは、森にいるのかな」


 それでなくても魔術師には暮らしづらい領地って言われているんだ。

 すごい力を持つ狼さんにとっては、更に辛いものなのかも。

 そうなると、生活に困ったりしないのかな。

 自給自足には限度があるし、一人でいるのはきっと寂しい。


「お嬢様? どちらにいらっしゃいますか?」


「あっ、はぁい!」


 帰ってきたタミーの声に、嘘ばっかりの伝承本を棚に戻して勉強机へと戻る。

 明日は七日に一度の休息日。ということは、お稽古だってお休みだ。

 やりたいことを考えながらのお勉強は、当たり前だけどまるで入ってこなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る