04.冒険と花畑

 朝日が昇ってしばらく。

 廊下から早起きなタミーの足音が聞こえてくる。

 そのタイミングを逃さないよう扉を開けると、思った通りタミーは目を丸くしていた。


「お、お嬢様。こんな朝早くに、どうなさいましたか」


 普段の私はどちらかというとお寝坊さんなほうだ。

 だからこんな時間に、それも扉にもたれかかるようにしている私に驚いているんだろう。


「タミー……少し体調が悪いの。今日一日、部屋で一人で居てもいい?」


「風邪でも引かれましたか? すぐに医者を……」


「ううん、そういうのじゃないの。ただ、昨日よく眠れなくて。

 目眩がするから静かな場所に居たいの」


 眠れなかったのは本当だけど、それは準備と興奮から。

 それがばれないように、弱気に見えそうな顔をしてタミーの反応を待った。


「……かしこまりました。本日のお稽古はなしにして、軽いお食事の準備を」


「朝も昼も、お部屋で食べてもいい? もし眠れても、ノックで起きちゃうかもしれないから」


 そんなお願いにもタミーは頷いてくれて、足早に厨房へと向かった。

 それからすぐに軽食が運ばれて、夕食までそっとしておいてもらえるよう頼んだ。

 これで夕方までは自由の身。

 早速軽食を小さな鞄に詰め込み、昨日考えた変装をすることにした。

 料理屋で着ていたのと同じショートスカートに、くすんだ薔薇色のオーバースカート。

 あとは、金髪を見られなければ私が私だと気付く人は少ないだろう。

 だから真っ先に隠すべきだと思い、目深にかぶるものを作ることにした。

 雑貨屋で思わず買ってしまったけど、使うあてのなかったもの。

 鮮やかな赤色をしたビロードの布は、頭から被って首元をリボンで結べば出来上がり。

 ドレスキャップより頭巾と呼ぶのがぴったりなものは、普通の女の子としか思われないだろう。

 少しはみ出した髪だって、赤い影で金髪には見えないはずだ。

 ごめんなさい、タミー。でも今日だけは許してほしいの。

 心の中で思いっきり謝りながら、窓辺に植えられた大きな木へと飛び移った。


 人通りの少ない道を急ぎ足で進み、辿りついたのは昨日の教会。

 牧師のノエルさんは何かしているのか、外から見たところ姿がない。

 これはきっと神様の後押しだ。

 周りに誰も居ないことを確認して壁に駆け寄ると、思った通りそこには小さな扉があった。


「やっぱり……!」


 木の扉はとても古いようで、だけど使われているようにも見える。

 防壁の外に行くには、誰だって門を使うはずなのに……。

 どうして教会に扉があるのかは分からないけど、今はそれを気にしている暇はない。


「ちょっとだけなので許してくださいっ!」


 誰も聞いていない、というより聞かれていたらまずいのに、つい言い訳をしてしまう。

 ドアノブに触れた手が震えていることに気付いたけど、そのまま強く握りしめた。

 頼りなさすら感じる扉なのに、不思議と重たく感じる。

 いつも眺めていた防壁の外。

 出てはいけないと言われ続けてきた場所に、自分の手で進んでいくんだ。


「……行こう!」


 軋むことなく開いた扉の先は、広大な景色が広がっていた。

 防壁の外は、見渡す限りの平野だ。

 あるのは畑に牧草地、あとは小さな作業小屋くらい。

 そして上を見上げると、遮るもののない広い空。


「眩しい……」


 雲一つない晴天に、思わず声が漏れていた。

 太陽の位置からすると、ちょうど警備隊が魔の森へ向かった頃だろう。

 赤い頭巾を深く被り直し、扉から伸びる小道を歩くことにした。

 うっすら続く細い道は、人が踏みしめてできたものだろう。

 ということは、この先には人が居るか、少なくとも人が行っても平気な場所のはず。

 変わらない幅でまっすぐな、迷いのない道しるべだ。


「外って、こんなに気持ちいいんだ」


 吹き抜けるそよ風は、土と草の匂いがする。

 防壁の中では味わえない感覚に、恐る恐る進んでいた脚も軽くなる。

 長閑な風景は遠くまで広がっていて、どこまでが領地かなのか分からなくなってしまいそうだ。

 遥か遠くで熱心にお仕事をしている姿を眺めながら、続く小道をひたすら歩いた。


 扉をくぐってどれくらい歩いたか。

 本当の令嬢だったら力尽きていたかもしれない。

 だけど私は毎日領内を歩き回っているし、給仕で力仕事だってしてたんだから。

 太陽がじっくりと進んでいるのを感じながら、脚を止めることはなかった。

 そうしていると、周りの景色は少しずつ変わっていく。

 広がっていた平野に起伏が生まれ、耕された畑は遠く後ろに続いている。

 進んでいくうちに、濃い色の葉っぱを付けた木々が鬱蒼と茂り始めた。

 そのせいで、視界いっぱいに広がっていた青空は領内のように狭まってしまった。


「なんか、雰囲気変わった……?」


 人の手の入った場所から、そうではない場所に。

 だけど小道はまだまだ伸びていて、終着点は見えない。

 確か、魔の森の入り口には警備隊が注意喚起の看板を立てているはずだ。

 ここに来るまでにそんなものは一回も見ていないから、ここはまだ違うんだろう。

 怖い気持ちもちょっとだけあるけど、ここまで来たのに帰るわけにはいかない。

 狼の末裔に会いに来たんだから、これくらいで挫けちゃ駄目なんだから!

 ポケットに入れてある銀のペーパーナイフを確認し、赤い頭巾を被り直した。


 頭上の木々は面積を広げ、さっきから薄暗い状況が続いている。

 だけど小道はまだまだ伸びる。

 だったら私もまだまだ進む。

 お腹がくぅと鳴ったから、もうじきお昼の時間かな。

 いや、朝ご飯を食べずに家を出たんだから空腹で測ることはできない。

 せめて、太陽が見えればなぁ……。

 立ち止まって背伸びをしてみると、視界のずっと先の方に、光の筋が見えた気がした。

 あれ……太陽の光、だよね?

 そう思って小走りに進むと、小道から離れたところに小さく開けた場所があった。

 茂っていた木々もそこには近付かないようで、くりぬかれたように青空が見える。

 地面には太陽を浴びようと、色とりどりの花が咲き乱れていた。


「きれーっ!」


 射し込む日差しは、そんな花を輝かせようとしているみたい。

 あまりにもきれいな光景に、思わず小道を外れて駆け寄った。

 僅かな隙間にしゃがみ込み、低い場所に咲く花を一つ一つ眺めてみる。

 見たことのない花たちは、鮮やかで、優しくて、可愛らしい色をしている。

 近付けばはっきり分かる香りは、花壇の花とはまるで違う。

 主張の激しさすら感じるものは、混ざり混ざって香水みたい。

 目を閉じて息を吸い込めば、花の香りで酔ってしまいそうだ。

 視界を塞ぐと周りの音がよく聞こえ、静かにじっと耳を澄ませた。

 近くの木からは、小鳥の鳴き声。

 遠くのほうからは、水の流れる音。

 そして、歩いてきた小道からは、土を踏みしめる音。


「え……?」


 それが自分で鳴らしてきた音と同じだと気付き、びくりと肩が震えた。

 こんな場所に居るということは、防壁の近くで働いている人ではないだろう。

 そうなると、警備隊の人たちかな。

 だとしたら、絶対に私だとばれちゃいけない。

 赤い頭巾をしっかり深く被り直し、その場でそっと振り返る。

 ゆっくりゆっくり開いた視界の中には、たった一人の姿があった。

 小道の上に立っているその人は、使い込まれた灰色のローブを着ている。

 背はとても高く、見るからに男の人だ。

 その一番上には、あまり見かけたことのない真っ黒な髪。

 少し吊り上がった目は鋭く、どこか野性的と感じられる。

 そして何より珍しいのは、目映いほどに透き通る琥珀色の瞳。

 そんな目がこちらをひたと見つめていて、思わず私も見つめ返していた。


「……あ、の」


 まっすぐに向けられ続ける視線につい、声をかけてしまった。

 するとその男の人はぴくんと身体を揺らし、ローブに包まれた片腕を腰にあてた。

 隙間から見えるのは、すらりとした長剣。

 しっかりした身体つきも合わせて、戦うことができる人なんだと分かった。

 戦う人なんて、警備隊くらいしか知らない。

 だけど警備隊だったら揃いの革鎧を着けているはずだし、単独行動なんてしない。

 だとしたら、この人は……?


「あなた、誰……?」


 震えそうになる唇でどうにか言葉を発したら、その人はすっと顔を横へ向けた。

 つられて同じ方向を見ると、そこには見たことのない生き物がいた。

 花畑のすぐ近くに立つ、四本脚の生き物。

 牛や豚とは違う、ごわごわとしていそうな汚れた毛皮。

 家畜とは比べものにならない大きさ。

 向けられただけで理解できる、敵意。


「ま、じゅう……」


 教えられなくても分かる。これが、魔獣なんだ……。

 魔獣はどすどすと花畑に踏み込み、きれいに咲いた花は土へと押しつけられる。

 だけどそれに悲しむ暇もなく、魔獣は私のすぐ目の前に迫っていた。

 近付いた魔獣から届く、嗅いだことのない嫌な臭い。

 しゃがみ込んでいた脚はもつれ、その場で尻餅をついてしまう。

 魔獣はそんな私を押しつぶすかのように、前脚を大きく持ち上げた。


「きゃああっ!!」


 死んでしまう。

 今まで一度も感じたことのない恐怖に固まっていると、離れた場所から不思議な音が響いた。


「――――――」


 音と一緒に風が吹く。

 そしてその風は、私の目の前を強く吹き抜ける。

 花が散り、土が舞い、魔獣が横へと倒れていく。

 色とりどりの花々を押しつぶした巨体は、そのまま動かなくなっていた。


「な、にが……」


 ひらひらと落ちてくる花片の合間から、灰色の姿が近付いてくる。

 平然と進む様子から、あの風はこの人が作り出したものなんだと分かった。

 私のすぐ近くで立ち止まったその人は、目を細め、眉をひそめながら鼻に皺を寄せる。

 そして心底見下すような視線で、こう言った。


「……お前、馬鹿なのか?」

 

 あからさまにうんざりしているような声色。

 自然の音に満ちあふれているというのに、低い声は私の耳にしっかり届く。

 ぶつけられたことのない声に、驚きとは違う震えが走った。

 あぁ、きっとこの人が……。


「狼の、末裔」


 口に出した直後。空がぐらりと落ちてきて、私の身体も花畑に倒れた。

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