02.お説教とおとぎ話

 夕日が沈みかける時間。

 防壁の外に行っていた人たちは、みんな戻ってきた頃だろう。

 赤く染まる外の世界は、寂しく見えるけどとてもきれいだ。

 だけど防壁の中で暮らす人たちは、夕方は影に隠れる時間としか思っていない。

 ここに居るのは、外を知らずに満足する人ばかり。

 平穏を好むのは悪いことじゃないけど、知ろうとしない考えは私には理解できない。

 なのに周りは、私を領内のお屋敷に閉じ込めようとするんだ。

 タミーに言われた課題をすべて終わらせ、夕食のためにわざわざ着替えをする。

 締め付けるコルセットと足首まで隠すスカートは、息苦しくて動きづらい。

 不満を抱えながら食堂に行くと、そこには生きた人よりも多い数の肖像画が飾られている。

 歴代当主とその家族の絵。

 まるで監視されているかのように思ってしまう場所には、私の両親の他にもう一人が座っていた。


「マーカス! どうしたの? 警備隊のお仕事はもういいの?」


「クレアちゃん、ご挨拶が先でしょう」


 私の向かいの席に座っているたのは、警備隊員をしている幼馴染みのマーカスだった。

 卓越した剣の腕を持ち、若干二十四歳にして警備隊長を拝命した……って、タミーが言ってたっけ。

 一人っ子の私にとって、八歳も年上のマーカスはお兄ちゃんのように思っている。

 だからつい嬉しくて話しかけたら、お母さんにぴしゃりと窘められてしまった。

 明るくなった気持ちが一気に削がれてしまい、礼儀作法に気をつけながら渋々席につく。


「相変わらずだな、クレアは」


 両親の談笑を耳にしながら、苦笑するマーカスに目を向けた。

 マーカスは焦げ茶色の短い髪に黒い瞳をしていて、目尻の下がった優しい顔立ちをしている。

 だけど警備隊員らしい身体つきは、顔に似合わず逞しいと分かる。


「マーカスまでお小言言うの? 今日はもう勘弁して」


「大丈夫。オレだって人に言えるほどちゃんとできていないよ」


 そんなことを言うけど、マーカスの食事作法は文句一つ出てこないくらいしっかりしている。

 警備隊員の人たちは大雑把な人が多いみたいだから、個人的なものなんだろう。

 私も叩きこまれたお作法を意識しながら実行していると、マーカスはふとフォークを置いた。


「クレア、毎日見送りありがとう。隊員たちもクレアに見送られるのが嬉しいって言ってるよ」


「え、あ、うん……」


 本当は、外の景色が見たいだけなんだけど……。

 せっかく喜んでくれているなら、わざわざ否定することもないのかな。

 笑顔を浮かべるマーカスに視線を合わせづらくて、スープに入った人参をスプーンでつつく。

 後ろめたさなのか、胸のあたりでなんとも言えないもやもやが広がった。


 当たり障りない会話をしながらの食事が終わり、全員の前にお茶が置かれる。

 そしてタミーがお父さんの後ろに立ったのを見て、これから始まる話がすぐに分かった。

 両親からのお説教。それも、幼馴染みという観客付き。

 あんまりな環境に、自分の顔が不機嫌に歪むのを感じられる。

 お父さんは似合わない口ひげを撫でてから、ゆっくりと口を開いた。


「さて……クレア、タミーから聞いたよ。料理屋で給仕なんてしているんだって?」


「なんて、じゃないよ。私と同い年の女の子がやってる仕事だもん」


「それは普通の家庭の女の子が、だろう? お前は領主の娘だ。普通の子とは違うんだよ」


「違わないよ!」


 小さな領地で一緒に暮らしているんだから、私とヴァネッサに違いなんてない。

 だから選ぶ仕事だって違わなきゃいけないなんておかしいはずだ。

 なのにお父さんは、タミーと同じく呆れたような表情を浮かべる。


「違うだろう? お前は将来、領主を支えていかなきゃいけないんだから」


「そんなのお父さんが勝手に決めたことじゃない!」


「決めたんじゃなくて決まっていることだ。

 まったく……とんだお転婆娘に育ってしまったな。苦労をかけるよ、マーカス」


 寂しくなった頭を撫でながらの言葉に、マーカスは曖昧な笑みを向ける。

 いくら警備隊長だからといって、苦労をかけるって何よ。

 尖ってしまった口先を見られないよう、カップで隠すことにした。

 私のじとっとした視線に気付いたマーカスは、カップを置いてこっちに向き直る。


「領主様のお話についてオレが言えることはないけど、大通りの料理屋だったか。

 ああういう場所に警備もなく居るのは心配だな」


「何言ってるのマーカス。店長もお客さんも、みんないい人だよ?」


「少ないとはいえ領外の人間だって居るんだ。危ないだろう」


 田舎領地によその人が来ることは少ないけど、確かに居ないわけじゃない。

 そういう人は外のお話を教えてくれるから、私にとって嬉しい存在なのに……。


「領外とか領内とか、どうしてそんなことで区別するの?」


「外は危ないからだ。ここは特に魔の森に面している。用心するに越したことはないよ」


 私が聞きたい話とはずれてしまったけど、そういう意味ではそうなのかもしれない。

 限られた人しか城壁の外に出ないのは、単純に危険だからということは分かっている。


「その魔の森からだって、警備隊の人たちが守ってくれてるんでしょ?」


「まぁね。記録にある限り魔獣が森から出てきていないのは、警備隊の成果だと思っている」


 誇らしげな表情は自信の現れだろう。

 魔の森に唯一面してるこの領地は、近隣からの信頼も厚いって聞いたことがある。

 あえて国から警備の人員が派遣されていないのも、警備隊に対する信用なんだろうとも。


「なら平気じゃない。防壁の外でお仕事をしている人もいるくらいなんだから」


「それとこれとは話が違うよ」


 警備隊長であるマーカスを言い負かせれば、もっと自由に動けるかもしれない。

 そう思って続けようとしていたら、静かに話を聞いていたお母さんがテーブルをとんと叩いた。


「クレアちゃん。あんまり我が儘なことを言っていると、狼の末裔に食べられちゃうわよ」


「今さらそんな子ども騙しなんて言うの?」


 にこりと笑うお母さんが言っているのは、この領内で伝えられている伝承というか、おとぎ話だ。

 悪い子には怖いことが起こるっていう、ありがちなものだろう。

 箱入り娘だったらしいお母さんは、時たまこうして空気を読めない話を放り込んでくる。


「そもそも、魔の森に狼の末裔なんて居ないでしょ? 居たらマーカスが知ってるもんね」


「いや。オレたちが見つけられないだけで、息を潜めて獲物を狙っている可能性だってなくはないよ。

 そして、領内に入り込んでいないとも」


 すぅっと目を細めたマーカスだけど、小さい頃から一緒にいるんだ。

 それが私を怖がらせるためだけのものだって分かってる。

 あからさますぎるからかいに舌を出してみせると、マーカスはすぐに苦笑を浮かべた。


「なんてね。これは冗談としても、危ない目に合わないよう用心してほしい。

 ただの人間が、狼になることだってあるんだから」


 人間が狼に、ね……。

 そんなのあるはずないのに。

 その後、お父さんとマーカスだけで話があるということで追い出されてしまった。


 私は自分の部屋に戻ってすぐ、ベッドにぼふんと倒れ込む。


「狼の末裔なんて、久々に聞いたかも」


 狼の末裔。

 それは魔の森に住んでいる、人とは違う存在と言われている。

 子どもの頃に聞いたのは確か、魔の森の魔獣は狼の末裔が作っている、だっけ。

 それ以外にも、見境なく人間に襲いかかるとか、若い女の人を食べちゃうとか。

 あと、昼間は人間の姿だけど、夜には狼に変身する人狼だ、なんてのもあったかな。

 聞かされるたびに怖くて泣いちゃってたけど、考えてみればあり得ない存在だ。

 子どもの躾のためのお話が、面白がった大人によって広められているだけの気がする。

 窓から見える夜空には、少し欠けた月が浮かんでいた。

 満月の夜は人狼が現れる。そんな言い伝えを思い出して、つい笑ってしまった。


「ないない。早く寝よっと」


 明日の夜は満月か、それとも欠けていくだけなのか。

 うとうととした意識の中、そんなことを考えていた。

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