赤ずきんの令嬢は孤独な狼に食べられたい

雪之

01.令嬢生活と反発心

 鬱蒼と茂った森の中、すっぽりと空いた日だまり。

 色とりどりの花が咲き乱れる、つかの間の楽園。

 そんな場所で、私は一人の男性に出会ってしまった。

 使い込まれた灰色のローブに、真っ黒な髪と琥珀色の瞳。

 見たことのない容姿に見惚れていると、その人は少し吊り上がった目を細めてこう言った。


「……お前、馬鹿なのか?」


 低く響く声は耳から身体に染み渡り、全身に小さな震えが走る。

 心底呆れきったような表情に、私はひと目で恋をした。



「いってらっしゃーい!」


 揃いの革鎧と緑色のマントを身につけ、剣や弓を手にした後ろ姿に手を振る。

 ここは、イストワール王国の端にあるフロンティエル領。

 山の裾野にぽっかりと空いた平地にあるこの場所は、主に農業と畜産業で成り立っている。

 見るからに牧歌的な田舎領地だけど、実は他とはちょっと違う環境を持っている。

 なぜならここは、魔の森と接しているからだ。

 魔獣の生まれる森と呼ばれる場所と、人口の多い都市部の領地。

 その境にあるフロンティエル領は、防衛の要とも言える場所になっていた。


「クレア嬢ちゃん、今日も見送りかい?」


「うん! 門が開くの見るの、好きなんだ」


 住宅地をぐるりと囲うように建っている防壁は、見上げるほどに高い。

 だから外の景色を見られるのは、朝と夕方、警備隊が門から出ていく時だけだ。

 そして警備隊というのは、魔獣の討伐隊のこと。

 魔の森が目前にあるこの領地ならではの集まりは、領民から尊敬と親しみを受けている。

 今日もお見送りに何人もの人が居て、顔見知り同士の雑談が続く。


「いいなぁ、警備隊の人たち。私も防壁の外に行ってみたい」


「領主さんの娘さんにゃ無理な話だろぉ」


 いつも話すおじさんの言葉に、大きなため息が出てしまった。

 私の名前はクレア・フロンティエル。名前で分かる通り、領主の娘だ。

 領民は茶色の髪や瞳が多い中、金髪に青色の瞳と嫌でも目立ってしまう容姿をしている。

 その上、一人前と言われる十六歳になったというのに、私の身体はまだまだ発展途上。

 地面すれすれまである古めかしいシュミーズドレスは、小柄で肉感のない体格を見せつけてしまう。

 背中を隠すまっすぐな長髪と相まって、お人形さんみたいねと可愛がられてしまっている。


「羊飼いの家の子は外に出てるでしょ?」


「あの子らは家の仕事だからねぇ。クレアちゃんはご令嬢なんだから」


 エプロンを付けたパン屋のおばさんも笑って言ってくる。

 魔の森から魔獣が出てくるのを防ぐ警備隊と、外で畑や畜産を営む家の人。

 それ以外の人たちは、大して広くはない防壁の中で生活している。

 外から人が来ることも少ないこの領地は、裕福とは言えないけど安定してはいるんだろう。


「でも……」


「あ、いけない! そろそろパンが焼ける頃だよ!

 あとで領主様のお屋敷にお届けするからね。クレアちゃんの好きな胡桃のタルトもつけとくよ」


「あ……ありがとう」


 そう言って、パン屋のおばさんは小走りに店へと戻っていく。

 そんな話をしている間に門は閉まり、外の景色は見えなくなってしまった。


 日課である警備隊のお見送り……という名の外の景色観賞を終え、私は商店街へと向かう。

 その途中にある小さな広場には、今日も露店を広げる姿があった。

 今日居るのは、いつも子ども向けの紙芝居や人形劇をしてくれる人たちだ。

 あの広場には時たま領外の人たちも露店を開きに来る。

 いろいろな土地を巡ってくる行商人や、様々なお話を知っている吟遊詩人。

 そして本当にたまに、魔術師がくることだってある。

 魔術師は何もないところから小さな火や水を生み出し、そよ風を起こす。

 中には大きなガラス玉に、どこかの景色を映しだしてしまうこともあるんだ。

 まるで手品のような見世物に私は夢中になってしまうんだけど、そうじゃない人も多いらしい。

 火ならマッチを、水なら井戸を、そよ風くらいなら扇げばいい。

 そんな夢のないことを言う人ばかりだから、この領地は魔術師にとっては居づらい場所だそうだ。

 ちょっと残念に思いながら通り過ぎ、石が敷き詰められた道をこつこつ進む。

 食料品店や雑貨屋、服屋なんかを通り過ぎた場所にあるのは、領内で人気の料理屋さんだ。

 店長は昼の営業に備えて着々と準備をしていて、邪魔しないようこっそりと裏口から入った。


「おっそーい! まーた警備隊のお見送りしてたの?」


「ごめんごめん!」


「ま、営業時間じゃないからいいけどね。さっさと着替えちゃお」


 入ってすぐの控え室に居たのは、ここで働いている給仕のヴァネッサ。

 私と同じ十六歳の彼女は、赤茶色の髪と同じ色の瞳を持つ、ちょっと大人っぽい女の子だ。

 ふくらはぎを見せるショートスカートと、その上からオーバースカートとエプロン。

 働いている子がよく着ている服に着替えると、お互いの差が歴然としてしまう。

 背が高くて出るところは出ているなんて、幼児体型の私には羨ましくてたまらない。

 髪をまとめてすっぽり隠すモップハットを被っていると、お店の方から賑やかな声が聞こえてきた。


「ヴァネッサ、クー! 開店時間だ!」


「やっば、行こっか」


 厨房から響く大声に、私たちはすぐに客席の方へと向かった。

 いくつもあるテーブルはどんどん埋まっていき、ひっきりなしの注文にてんやわんやだ。


「クーちゃん、今日のおすすめは?」


「野兎のシチューセットです!」


「じゃあそれと、ミートパイね」


「はぁい!」


 ここでの私は、領主の娘さんのクレア改め、給仕のクー。

 スカートの裾を翻しながらどんどん聞いてどんどん運ぶ。

 もはや戦場とも言える客席を踊るように駆け回る。

 お客さんとの会話を挟みながら働いていると、あっという間に昼の営業が終わった。


「いやー、つっかれたー!」


 モップハットをむしり取り、赤茶色の髪をばさばさと梳かすヴァネッサ。

 私も同じようにしたいけど、近くに店長がいるのを見てぐっと堪えた。

 そんな私の緊張を感じ取ったのか、ヴァネッサは歯を見せて笑う。


「苦労するね、ご令嬢?」


「しーっ!」


 店長はくつくつと沸く鍋に集中していて、こっちの話は聞こえてなかったらしい。

 いわゆるご令嬢である私だけど、ここでは身分を隠して働かせてもらっている。

 そのことを知っているのはヴァネッサだけで、店長にだって言っていない。

 狭い領内では顔見知りが多くて、それでなくても領内で唯一の金髪を見られたらばれてしまう。

 だから用心に用心を重ねているというのに、大雑把な性格のヴァネッサはあまり気にしてくれない。


「ばれたら来れなくなっちゃうんだから、気をつけてっ!」


「あはは、ごっめーん。でも大丈夫だよ、クーはあたしの親戚ってことになってるんだから」


 ここに住んでいる人たちは代々領内で生活することが多いけど、ヴァネッサの家族は移民だった。

 最初は馴染むのに苦労したらしいけど、さすがに十年以上経てばそうでもないらしく。

 このお店の店長も元々は遠くの領地から来た家系って話だ。

 そのおかげで、領地の外から来たという設定のクーが受け入れてもらえている。

 まかないのシチューを口にしたら、優しい味にほっと気持ちが和らいだ。


「働けてるのはヴァネッサのおかげだよ。ありがと」


「いーってことよ、あたしも人手が増えて助かってるし。

 店長だって褒めてたよ? 看板娘も夢じゃないって」


「看板娘はヴァネッサでしょ」


「あったりまえ!

 でも、あたしん家は働かざるもの食うべからずだけどさ、そっちはそうじゃないじゃん?

 わざわざ働きたいだなんて、わっかんないなぁ」


 しみじみ言われるとなんだか気まずい気持ちになってくる。

 どこ家庭だって子どもは働き手の一部だ。

 ある程度の教育を受けたあとは、それぞれ親の仕事を手伝うのが当たり前になっている。

 だから嫌々やってる子が多いのは知ってる。だからきっと、ないものねだりなんだと思う。


「だって、礼儀作法とお勉強をするのがあなたの仕事、なんて言われるんだよ。

 私はもっと、人と直接関わる仕事がしたいなぁ」


「やっぱ、ご令嬢は大変だねぇ」


 残ったパンを口に放り込んだヴァネッサは、お皿を重ねて厨房へと持っていく。

 あとは客席の掃除をして、夕方に警備隊が帰ってくるのを待とうかな。

 太陽の高さを見ようと小窓を覗き込むと、そこには黒いワンピースをきっちり着込んだ姿が立っていた。


「うぇ……」


「うぇ、とはなんですか。お嬢様」


 無表情でじっと私を睨みつけてくるのは、侍女のタミーだった。

 茶髪をシニョンにまとめ上げ、焦げ茶色の瞳はガラス玉のよう。

 二つ歳上のタミーは、頑固で融通がきかなくて、遊び心も持ち合わせていない。

 私の両親に絶対の忠誠を誓っているらしく、ついでに私の家庭教師でもある。


「本日は午前にお勉強、午後にダンスのお稽古の予定だったはずですが?」


「え、っとぉ……」


「時折姿を見かけないと思っていたら、こんな場所にいらっしゃったのですね。

 旦那様と奥様に報告させていただきます」


「だ、駄目っ!!」


「駄目ではございません。領主の令嬢ともあろうお方が、給仕の真似事だなんて……」


 無表情で隠しているつもりなんだろうけど、タミーは明らかに軽蔑しているようだ。

 だけどこれは、私と同じ歳の、普通の女の子がやっている仕事なんだから。

 頭ごなしに否定するのは絶対に違うはずだ。


「私、働きたいの!」


「お嬢様のお仕事はお勉強とお稽古です」


「そうじゃなくて! 私、ここでお仕事できてるよ?

 家で一人で勉強するより、外に出て分かることだって多いはずだよ」


「外に出ずとも分かることだって多いのです。

 お嬢様は領主様の一人娘なのですから、ご自身の立場を自覚なさってください」


「好きであの家に生まれたわけじゃ……っ!」


 温度のない目でまっすぐに見られると、続きの言葉が出てこない。

 タミーの言うことは間違っているわけじゃない。

 だけど私の気持ちなんて一切考えてくれなくて、それが悔しくて……。

 何も言えずに唇を噛みしめていると、タミーはあからさまなため息をついた。


「お嬢様、お屋敷に戻りましょう。お勉強とお稽古、その後に領主様と奥様にお話を」


 もしかして、私の話を聞いてくれるのかな。

 そんな期待を込めて続く言葉を待っていると、タミーはすっと目を細めた。


「次代のフロンティエル領主となる殿方を迎える立場が、どのように振る舞うのが正しいか。

 現当主である旦那様に、よくよく教えていただきましょう」


 薄く浮かべた笑みに背筋が震え、店長に帰宅すると伝えるように言われてしまう。

 お仕事、まだ残ってるのに。

 だけどどんなにお願いしても聞き入れてもらえなくて、そのまま自宅へと連行されてしまった。

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