焦燥

「あの男の子、全然ダメねー。魔法だってロクに使ってないし」

「魔力は持っているみたいだが、実力的に位階クラス『F』というところだな」

「逃げ回ってばっかじゃ勝てないよー?」


 試合が始まってからまだ数分とも経ってない状況。

 既に少年の手足にはいくつかの切り傷が創られ、近づくどころかむしろ後退させられ防戦一方の展開が続いていた。

 もの珍しいから来てみれば、攻めるでもなく、ただ逃げ回っているだけの試合展開に観客席からは口々にがっかりといった心無い言葉が飛び交う。

 冷ややかな群衆の中に、期待の熱を宿すのはただ二人。


「頑張れゼクス……!」


 観客席の最前列、少年の後ろ姿のよく見える位置でセラが柵の手すりを握り締めながら祈るように呟いた。

 不安そうに震える手をひんやりと冷たい指先が包み込む。


「今は耐えるしかありません。その先に必ずチャンスが来ます」

「カーラさん……そうですよね……!」


 眉を下げて見上げる少女に、こくりと安心させるように頷いた。


 先日カーラの提案した戦術には運任せな部分もある。だが、今はそんな不安要素を切り出しても仕方ないだろう。

 傍観者に出来ることは何もない、と信じるしかなかった。


「それに彼、すごい順応力ですよ。私もまさかここまでとは思っていませんでした」


 逆境に立たされている状況でもカーラが予想外と驚いたのはゼクスの対応力だった。

 初見こそは反応しそびれ、一撃二撃と牽制の攻撃を貰っているものの、致命的なダメージは一回も受けていない。

 何回か攻撃を受けながらも徐々に回避のコツを掴み、持ち前の柔軟性で何とか危機を乗り切っていた。


 それともアリスが遊んでいるだけなのか?

 虐めるために当たらないように調整している可能性もあるが、それにしては間延びしすぎている。

 どちらにしろゼクスにとっては好都合。


「勝負はここからです」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「"砕破の焔矢よ"!」

「……ッ!」


 矢筈が熱を広げて爆発しては軌跡に燐光を残して地を砕く。

 少年がギリギリのところで避けて反撃に転じようとするも、即座に次の魔法でその足を止める。

 その繰り返しをもう何十回と重ね、距離は縮まるどころか最初よりも開けていた。

 どう見ても防戦一方な試合展開、明らかにゼクスの行動を封殺しているはず。


 しかし、その光景にアリスは自分の瞳をすり替えられたのではないかと思う程に目を疑っていた。


 ――何故、当たらない?


 確かに一発目から数えて何発かは軽いダメージを目的として、手足を掠らせて急所をわざと外していたことは認める。


 手練れの魔女ほど戦いの中で相手の癖を見抜いたり、どのタイミングで仕掛けるかなどの読み合いが発生することは自身も知っている。

 そのため牽制フェイントなど混ぜてこちらの手の内を完全に悟らせないようにするのは常套手段だ。


 だが、相手は見るからに魔女の基本的な戦い方すら覚束おぼつかないずぶの素人。

 そんなもの位階クラス『S』である魔女からすれば、多少動く案山子同然だ。


 なのに何故自分は今、玄人プロの魔女を射るような気概で攻撃を放っているのか。


「何なのよ……! コイツ……!?」


 アリスの圧倒的な優勢が続くと思われる反面、当事者は全く度し難い苛立ちに包まれていた。

 劣勢をもろともせず、ただ真剣にアリスを捉える黒の瞳。


 回数を重ねる毎にアリスの呼吸を読むようにして、紙一重ながらに攻撃が躱されていた。

 その内、躍起になって先読みを行って本気で狙い撃ち始めても、まるで意図を察したかのようにひらりと身を翻す。

 黒い残像だけを裂いて焔矢が何度も飛んだ。


 魔法が撃たれてから圧倒的な反応速度で躱す魔女を、アリスは一人だけ知っている。だがそれは彼女の使う魔法の性質上、人間の限界を超越しているだけだ。

 心を読む魔眼でもあるのではないかと疑ったが、目の前のものはそれらとは根本的に何かが違う。

 何か違う原理で攻撃を躱される。


 異質。


 思考が泥濘に沈み込んでいき、足掻いても見出せない。

 得体の知れない奇妙さと、誇りをなじられたような苛立ちから、不快感を露わにアリスは奥歯を噛み締めた。


 アリスが疑念のために置いた一拍に、黒の少年がほんの少し緊張を許して口を開いた。


「お前の魔法、一回爆発かそくさせると二回目の爆発こうげきはできないらしいな」


 目を瞠る。

 こちらは一切の解明も進んでいないのに、ゼクスはただ冷静に分析していた。

 もっとも、余裕のないゼクスは糸口を掴もうと必死だったというのもあるが。


「あの速度で飛ばした魔法を俺が躱すタイミングで爆発させれば、もっと嗜虐効率的に甚振れてたはずだろ」


 なのに、それをしなかった。


 考えられるのは二つ。


 手を抜いてわざと爆発させていないのか。

 それとも、爆発させられないのか。


 おそらくは後者。

 確信はできなかったが、放たれた矢のその後に注目すると以前見た魔法と違う点がある。

 浴室で放たれた魔法は、壁が内部から破裂したように破壊されていたのに対し、訓練場の床は引きずったような破壊痕なのだ。

 そして思い出したのはある一言だった。


『――私の魔法は対象に触れた瞬間爆発する特性があるの、でもそれは任意での爆発も可能なのよ』


 この情報が正しく、魔法一回につき何度も・・・・・・・・・・爆発が可能なら・・・・・・・床に付いた残痕は破裂したようになっていなければおかしい。

 もし、そうでないのなら――。


 ペラペラと不審者ゼクスに語ったのが裏目に出たな、と内心でほくそ笑む。


 図星を言われたのか、アリスの表情からいっそうの鬱陶しさが滲み出ていた。


「――どうやら正解みたいだな」

「それで私を攻略したつもり? 言っておくけど、私の魔法は一種類や二種類程度じゃないのよ」


 ハッタリでも何でもない事実だ。

 見せていたのはあくまで牽制用、アリスの持つ魔法の中でも低級に属する攻撃範囲も威力も抑えられたものだ。

 それに精度が悪いことは自分も認めている。


 アリスが心の中でそう言い訳していると、


「どんな魔法でも撃ってこいよ。お前の戦術パターンにはもう慣れた・・・


 傷だらけで逃げ惑うだけのネズミが息巻いた。


「――――ッ!! 調子乗ってんじゃあ、ないわよ!!」


 カッと腹が熱くなるのと同時に嚇怒の赤が身体に沸き起こり、今すぐにでも増長した鼻っ面をへし折りたいと頭が燃え上がる。

 この男はこの程度で形勢逆転したつもりなのだろうか。勘違いも甚だしい。

 そして、そのどこか見透かしたような瞳が気にくわない。


「"炎龍の咆哮よ、万象を焦がし、尊大なる小人を喰らい尽くせ"!!」


 小さな太陽のように掌に集約した紅の魔力は、今までの魔法とはまるで違う密度を誇り、辺りに陰りを残すほどに眩い。

 抑え込まれた膨大な熱量が観客席にまで飛び火し、危うい熱波を受けた生徒達はつい冷や汗を流す。


「避けられるモンなら、避けてみなさいッ!!」


 高純度の魔力から生み出された炎の奔流が決壊するように溢れ出し、与えられた詠唱式スペルに相応しい一撃がゼクスへと襲い掛かった。

 一帯を焼き尽くさん火炎は少年の身体を遥かに凌駕し、前後左右にも避けようがない。飛ぼうにも真下に灼熱の絨毯を敷かれ自ら死地へ飛び込む結果となる。

 不可避の大魔法。


「出し惜しみせず魔法使えー!」

「降参しとけー! 火傷じゃ済まないぞー!」


 前方から迫りくる炎海に、客席からは野次まで飛んでくる。

 その中の一つ、か細くも聴き慣れた少女の声が騒音を掻き分けて届く。


「ゼクス……!」


 柔らかな風に背中を押されるよう、たった一人のために剣を構えた。


 魔法なんて使えたら最初から使っている。

 それに降参なんてするもんか。

 なにせ、ゼクスは初めから、


「――この瞬間を待っていたんだ!!」

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