寮長
「確かに
ゼクスの部屋を訪れたカーラは魔道具のスイッチをカチカチ押して温水が出ていないことを確認した。
専門的な知識はわからない、という表情をしているとそれを察して説明を加えた。
「この魔道具は魔力で魔法術式を書き込んだだけの簡易刻印式で構築されていたのですが、その式が消えています」
「覗きの理由に無理やり壊したわけじゃないですよ!?」
要は元ある仕組みが機能していない、機械の歯車が壊れたのと同じだ。
表情が変わらないので、疑いの目で睨みつけられたのかと思ったゼクスだが、別にそんなことはなく、
「わかっています。刻印式に書かれた術式を無理やり消そうとすると方法は限られます。魔道具を物理的に傷付けるか、式を上書きするか、の二つですね。どちらにしろ痕跡が残ります」
「じゃあ何が原因で……?」
顎に指を当てては魔道具を見つめて思案するように沈黙した。
元々怜悧さを秘めた美人なのでその仕草が絵になる。
「……魔力切れですね」
「え?」
長考した割に答えは意外とシンプルだった。
「簡易刻印式は手軽な分、効力が長持ちしないんです。水を湯に変える熱系魔法が書き込まれていましたが、これではただの水を出す道具ですね」
カーラは魔道具に手を伸ばしながらそう説明し、少し弄ると手の平に収まる程度の装置を外した。
「新しいものと取り換えるので、少し待っていてください」
ゆっくりと部屋を出て、扉がきちんと閉まったのを確認してから外した魔道具を見つめてカーラは呟いた。
「魔力が切れても
頭の中で予想を組み立て、喉まで出かかった答えを飲み込む。
憶測を元に検証してみることも考えたが、恐ろしい匣を開けようとしているような感覚がして手を引いてしまった。
それに他人である自分が不用意に事実を確定して、それが間違っていた時も困る。
――彼自身のことなのだから、いずれ自分で答えをみつけるでしょう。
心の中で、私は教育者ではありませんし、と付け加えた。
「学園長に一応報告しておきますか」
歩きだした足音には少し重みがあった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ふあ、おはようセラ」
欠伸をかみ殺しながらゼクスは談話室へと入ってきた。
朝の陽気が差し込む窓辺のソファに座っていたセラは、ゼクスを認めると柔和な笑みを作って立ち上がる。
「おはよう。ゼクスの制服姿、似合ってるね」
微笑んだセラは光の加減のせいか、目の前の幼馴染を初めて見たような気分に陥らせる。
刺繍が織り込まれた暗い紺のコルセットスカートに膝上まである黒い靴下を履いて、糊の利いた真っ白なシャツを着こなし、さらさらの銀の髪を反射させた少女はどこか大人っぽい印象を与えていた。
制服は事前に渡されていたが、セラが試着しているところは見たことがない。
不意に味わった甘い雰囲気に戸惑い、返そうとした感想を飲み込んでしまう。
そんなゼクスの内心も知らず、いつも通りの空気で話を切り出した。
「ねえ、ゼクス。昨日の夜に女の子の悲鳴が聞こえたんだけど、何があったか知ってる?」
「えっ!? さ、さあ……」
思わず声が上擦ってしまった。だがセラは特に気にも留めていない。
知ってるどころか悲鳴を上げさせた当事者だからな……と昨夜の行いに呆れつつ努めて平静を装う。
結局、魔道具を交換して貰った後はちゃんとお湯が供給された。
赤髪の王女ことアリスにもその旨を伝えたそうで、ゼクスが謝罪の意思を示すと『今はやめておいた方が良い』とカーラは即座にそれを否定された。
同じ寮にいるわけだし謝罪の機会ならいくらでもあるだろう。
今はそれよりもこの人生の汚点をどうセラに隠し通すかが問題である。
人の風呂を覗くような変態だと幻滅されたくはないので、内々に処理したい。
ここは知らないフリを通して誤魔化す。
「気になって見に行こうとしたらカーラさんに、危ないから私が行くって止められちゃったの」
「あ、ああ、俺もそうだよ。後で何があったノカ聞イテミルカー……」
やばい。自然な会話を延長させようとしたら墓穴を掘った。
だがここで朝ごはんの話などに急変更するのもおかしい。しかも食べた物はたぶん一緒だ。
カーラにはうまく話を合わせて貰おうと勝手に期待するゼクスだった。
「お二人とも、準備は整いましたか?」
控えめに扉を開けたのは件のカーラだった。
「カーラさん。昨日って結局何があったんですか?」
「ああ、それは――――」
言いかけて気付く。ちょうどセラの背後に立っている形で、ゼクスが目を血走らせながらも全力で顔を左右に振っていた。
行動の意味を察して言葉を変える。
「……寮生の一人が昨日の夜に帰って来ていまして、お風呂場で滑って転んだんです」
「え、でも転んだ音よりも、もっとすごい音がしたような……?」
「彼女は少々気性が荒いんですよ。常にハイテンションと言いますか、滑った床に"死刑よ!"とか理不尽なことを言って暴れたんです。とにかく何もありませんでした」
「それは何かある部類なのでは……?」
事実を伝えてもよかったのだが、故意ではなかった他人の失態を面白半分に言いふらすことでもないだろう。話をわざと曲解させるのが好きではないカーラは穏便に済ませようとした。
ちなみに棚に小指をぶつけた時に「死刑よ!」と言って、その棚を燃やしたことがあるので強ち彼女の理不尽さについては嘘を言っていない。
「ま、まあカーラさんも何事もなかったって言ってるし、いいじゃないか。早く
「う、うん……そうだね」
そう言ってセラの背中を無理やり押して玄関へと向かった。
寮内には学園まで通ずる転移用の魔道具が設置されており、リアンの言っていた瞬間移動の方法がこれである。
無機質な陶器のような質感をした乳白色の門には細かな文字で
これを潜ると指定された別の転移装置に繋がるらしいが、ゼクス達は見ただけで未だ試していなかった。
「じゃあ行こっか」
そう言って恐る恐るセラが手を伸ばしてゲートに触れると、まるでミルクの中へ潜るようにして飲み込まれていった。
特に痛みもないセラは大丈夫だと確信すると、思い切ってゲートをくぐった。
トプン、と波紋を広げて少女の身体は消えるのを確認して、カーラは窘めるような睨んだ。
「私に変な嘘を吐かせないでください。一応アリス様には説明しましたが、あれは納得なされておられません。一日経って多少熱も冷めてることでしょうから、ちゃんと和解するように」
「はい……まあ、裸を見ちゃったのは事実だし、謝り倒します」
会釈をしてゼクスもゲートをくぐろうとすると――
「――あれ?」
触れようと手を伸ばした場所から反発して、乾いたように白い面が消失する。
ぐいっと腕を突っ込んでみるが、ゲートは綺麗にゼクスの身体の縁を象り、奥の壁へと指先が到達してしまった。
魔道具に否定されて通れない。
「――あぁ、やっぱり」
カーラはそれを見るとあまり驚きもせずに、聞こえないように口の中で呟いた。
これは学園長への報告案件が増えたな、と思いつつ、何もわからずゲートと格闘しているゼクスに声をかけた。
「友人に嘘を吐いた天罰ですね。走りますよ、入学式に遅刻など私が許しません」
「えぇ……?」
状況がイマイチ飲み込めないゼクスはとりあえず従うしかなかった。
寮を出て五分。
ゼクスとカーラは広く長い学園までの舗装路を走っていた。
転移装置を通れないのはゼクスのみで、あの後カーラは普通に学園まで転移してセラに事情を伝えて先に行ってて貰った。
戻って一緒に行く!と言ったそうだが、一緒に連れてこなくて正解だとゼクスは思っていた。
ダッダッと不細工な足音を鳴らして息を途切れさせながら走るのはゼクス、その前を足音すら鳴らさず涼しく走るカーラ。
道案内も兼ねてカーラに走っているのだが、恐るべき速度で移動するためゼクスは追い付くのに精いっぱいなのだ。
モンスターの牽引する車が通ることを想定しているためかやたらに幅があり、目的地の講堂までは辟易とするほどに遠い。
運動が得意ではないセラが走るとほぼ確実に遅刻してしまうのは目に見えていた。
「はあっはあっ……なんでカーラさんは疲れてないんですか……っ!?」
「鍛え方が違いますから。魔女だって魔力に頼らずとも日々鍛錬するものですよ」
チラっと確認するが、真っ白なエプロンを靡かせて、ロングスカートの裾を持ち上げ横を走る女性は滅茶苦茶に鍛えられているようには見えなかった。
むしろ細身で繊細な美女、といった印象だ。
ゼクスが不思議そうにじろじろ見ていると視線を返して、
「冗談です。身体を鍛えているのは事実ですが、これは魔力を効率良く使っているだけですよ。ただ放出させるだけではなく、使いどころを工夫すれば楽に走れます」
まあ、あなたは魔力の使い方がお粗末なので出来ないかもしれませんけどね、と要らない一言も添えられる。
ムッとしていると飴と鞭を使い分けるようにヒントをくれた。
「身体を操るように魔力を使うのも大切ですが、足を踏み込ませる瞬間に出力を高めた魔力で地面を押し出すんです。魔力はエネルギーの塊ですから、指向性を持たせてあげると幅が広がりますよ」
「なるほど……っ」
走りながらチャレンジするが、そう上手くはいかない。
だが、少し楽になる程度には変わった気がする。
この辺りはやはり訓練次第なのだろう、そもそもカーラとゼクスでは魔女としての年月に差が開きすぎている。
「にしても、さっきの
温水の魔道具が壊れたり、転移装置が不調だったりと不運が続きすぎている。
いくらなんでも原因があるのではないかと疑うのも無理はない。
「さあ、どうでしょう。それを見つけるために
知っておきながら、意地悪をした。
カーラ自身、人を成長させるのは自己の成功体験が必要だと思っている。
小さな「発見」でも良い、安易に答えを与えて学びの感覚を摘んでしまうのは罪だ、と。
そのため、この男を甘やかす程に愛着もない、と冷たくいつも通りな平坦を意識して言ったつもりだったが、彼女自身の本質的な優しさが出ていたことには無自覚だった。
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