変態

「いやあああああああぁぁぁっっ!! 覗き魔あああぁぁっ!!」


 大浴場を反響した澄んだ悲鳴がゼクスを通り抜けて寮内を駆け巡った。


 走馬灯のように思い出していたカーラの言葉によって時が止まっていたゼクスは、紅髪の少女の絶叫を皮切りに現実へと戻ってくる。

 まずい、と思い首からメリッと悲鳴が出るほどに勢いよく横を向けて視線を逸らす。


 少女はばしゃりと湯舟に身体を潜めて、侵入者を凄まじい剣幕で睨みつけた。


「なんでここに男がいるのよ!? ここ私の寮よね!? 私帰ってきたよね!? まさか暗殺者!?」

「え、あ、いや、違う!! 俺は暗殺者とかじゃなくてただ風呂に入りに来ただけだ!!」

「私と一緒に!?」

「それも違う!! ヘンな勘違いをするな!」

「じゃあそんな汚物見せびらかしておいて、私がどう勘違いしてるっていうのよ!?」

「え――!?」


 いけない。必死で状況を説明しようとするあまり、下半身がノーガードになってしまっていた。

 これではただ覗きに来たのではなくて、見せつけに来た変態上級者へと格上げされてしまうのも無理はない。


「違っ!! ただ寒くて、温まりたいだけなんだ!!」

「私と一緒に!?」

「どうしてそうなる!?」


 ダメだ。完全に誤解されて取り付く島もない。

 誤解を解かねば、早く熱を取り戻せと身体が震えて急かしていた。

 問答をしている間に浴場から煽られた湯気が皮膚に張り付き、余計に身体の熱を奪って震えが加速していたのだ。


「本当に寒いだけなんだ! 部屋の魔道具が壊れて冷水を被って、このままじゃ凍えて風邪を引く……!」

「なら、私が温めてあげる――」

「え……?」


 ばしゃりと立ち上がり、少女は持ち込んでいたタオルを左手にして身体を隠し、右腕を大きく広げて構えた。

 涙を溜めて深紅の瞳を吊り上げてゼクスを見据えながら、怒りをぶつけるように叫んだ。


「死ぬほど熱いのをくれてやるわ!!!」


 ゾクリ、と嫌な予感がゼクスの頭の先から全身を駆ける。

 もはやお互いにほぼ全裸で対面していることなど忘れるくらいの身の危険。

 少女の身体からは怒りを体現したような赤い可視光粒プラーナが放出され、足元に浸かっているお湯がマグマのようにぐつぐつ沸き立っていた。


「"紅蓮の炎槍よ"!!」


 少女が叫ぶと同時に赤い魔力がうねり、手の平に集束して焔を熾した。

 魔力を得てたちまちに膨らんでいき、やがてメラメラと燃える火柱へと変貌する。


 ――やばい!


 構築するのに数秒にも満たない早業だった。

 少女の手に追従するように細長く伸びた焔は荒れ狂い、火と言う現象に質量を与えたような確かな存在感がある。

 ゼクスとしてはそのまま暖を取らせて欲しいものだが、激情した少女にそんな優しさは期待できない。

 

「死ね変態!!」


 ド直球ストレートな言葉と共に投擲するようにして腕を振り抜くと、凄まじい勢いで火柱が飛んでくる。


「うおおぉぉっ!?」


 ――バコォンッ!!


 間一髪のところで避けれはしたが、後方から発されたのは耳を劈く厚みのある重い破砕音。

 恐る恐る振り返って確認すると、石壁が破片を無惨に散らしてまるで抉られたような窪みを作っていた。熱で融解した淵は丸みを帯びてその凄まじい熱量を物語っていた。


 確かに、死ぬほどに熱そうである。それはもう身体がどろどろに溶けてしまうほどに。


 どんな魔法かはわからないが、当たれば死ぬ。そう直感して背筋が凍らせながら遮蔽に隠れる。

 様子を伺うために壁越しに覗き見るが、もはや少女の艶めかしい肉体など注視する気にもなれず、ゼクスの認識はただの危険人物へと切り替わっていた。


「あ、謝るから矛を収めてくれ!! 

「謝って済む問題じゃない!! 乙女は生涯大切な人の前でしか肌を見せないのよ!! それを覗き魔の変態風情に奪われるなんて……!!」


 再び少女は炎を展開して、絶対に当てるという強い意志を秘めた厳顔で狙いを見据える。


「お前を消し炭にして過去を抹消なかったことにするわ――!!!」


 理論が飛躍しすぎていてゼクスは頭痛がしそうだった。

 ゼクスを消しても見られた過去は変わらないというのに、どうやら本人はそれでいいらしい。


 いくら暖を取りたいからと言って火炙りにされるのは御免だ。


 もはや説得も効かないだろうと判断したゼクスは、逃走経路を確認する。走れば脱衣所の出口はそう遠くはない。

 少女の魔法は早いけれど、避けれないわけではなかった。それを加味してゼクスは逃走のタイミングを見計らった。


「――そこっ!!!」


 ゼクスが身体を出した瞬間、少女は反応して魔法を放つ。

 しかし、ゼクスは半身だけを晒してすぐさま元の位置へと身体を引き寄せフェイントをかけた。


 予測ではあれど、そう連続で魔法は撃ってこないだろうとゼクスは高を括っていた。

 一度魔法を撃ってしまえば隙が生まれる。その間に脱出して逃げるしかない。


 目論見通り、引っかかてくれた魔法はゼクスを横切る――かと思った。


「――"爆ぜろ"!!」


 その言霊と共に過ぎ去ろうとした炎が膨れ上がり、体積が増す。

 見た瞬間にゼクスの危険予知が働き、慌てて後ろへ飛んで避けようとするが間に合わない。

 普段から魔力操作の訓練を怠らなかったおかげか、咄嗟に魔力を放出させてゼクスは身を護った。


 部屋全体を振動させるほどの爆発が視界を埋め尽くして、身体を吹き飛ばされる。


「ぐうっ!?」


 衝撃に押し出された身体は床を転がる。

 身を庇った腕に痛みはあるものの魔力で防御したおかげで目立った外傷もなく、本人の想像以上にダメージは少なかった。

 周囲を確認すると、脱衣所にあった棚や籠も全て吹き飛ばされて散乱し、一帯が強盗に押し入られたかのように荒れた光景となっていた。


「滅茶苦茶だろ……っ!」


 浴場への戸から悪戯を仕掛けて思惑通りに運び弾んだような声が聞こえてきた。


「さっきの着弾地点見てなかった? 私の魔法は対象に触れた瞬間爆発する特性があるの、でもそれは任意での爆発も可能なのよ」


 顔を覗かせた赤髪の少女が獲物を追い詰めた狩人のように笑う。


「このまま最大火力で火炙りに――――」


 言いかけて、少女の顔が固まった。

 驚愕、と綺麗な紅の瞳を大きく瞬きさせ、視線をゼクスに固定させていた。


 正確にはゼクスの頭、乗っていたモノだった。


 それに気付いたゼクスは手でそれを摘まみ上げた。


「――へ?」


 白。


 リボンのついた可愛らしいデザインで肌触りの良いシルクの布地のそれは、下着だった。

 ガッツリと顔の前で確認したゼクスは、再びやってしまったと自覚し、少女を見遣る。


「いや、これは――」


 怒りのせいか、羞恥のせいか、それとも風呂に入っていたからか。端正な造りの顔は恨みながらも真っ赤に染まり、鋭く吊り上がった切れ目のふちには涙が溜まっていた。

 何よりも感情を体現していたのは身体から溢れ出ていた紅く染まった魔力だ。

 不意に、少女が腕を上げる。それは突撃命令を下す指揮官のようにゆっくりと。


「――――ッ!!」


 次に起こることは察しが付く。その様子に顔引きつらせたゼクスは脱兎の如く出口へと駆けるが、遅かった。


「"紅蓮の炎弾よ"!!!」


 螺旋を描いて集まった魔力が膨れ上がり、人間一人を飲み込めるほどの大きさの火球が出来上がる。

 即座に射出された魔法から逃げるゼクスは間に合わないと身体を強張らせて足掻くように飛んだ。


 ――ドゴォンッ!


 殆ど真後ろから押し出され、脱衣所の扉を突き破って外へと投げ出された。


「がはっ!!」


 扉を破壊するほどの衝撃に肺の空気を全て吐き出してしまい廊下でうずくまる。

 すると視界に黒い靴が見え、持ち主は呆れたような声音で言い放った。


「まさか入寮初日から覗きとは……氷漬けだけでは足りませんね」


図らずも脱衣所から脱出することはできたが、そこには新たな災難が待ち受けていた。

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