問題

「あれがキミたちの通うセレスティア魔法学園だ。うら若き魔女見習いの集う由緒ある名門校だ」


 馬車を走らせて数十分、街の賑わいも冷め始めた大通りの向こうをリアンは指差した。


 一言で表せば雄大。


 山を切り崩したような基礎の周囲には川が流れ、それを跨ぐように区画を繋ぐ大橋が架けられている。園外との敷地を区切る塀を見渡しても左右に果てが無いほどに広い。

 橋を渡って正門を抜けると広場になっており、突き進んで正面にある大階段を登った先には、色気のない石造りではあれど質素な印象は一切なく、荘厳な造りから気品の高い学舎たちが待ち構えている。


 ゼクスにとって背の高い建物と言えば、街に建てられていた物見やぐらや鐘楼が精々で、丘になっている地形を考慮してもここまで巨大で堅実な建造物は今まで見たことがなかった。


 広場を曲がって学舎を横目に併設されている学生寮へと向かうと、華美な意匠は凝られていないものの清潔かつ高級感のある館が見えた。


 その玄関エントランスの前には一人の女性が佇んでいた。


 切り揃えられた艶やかな漆黒の髪に氷のように薄い碧の瞳、人形のように無機質な冷たさのある美貌、白と黒で清潔に整えられたお仕着せエプロンドレスを身に着けたその女性ひとは待つようにして馬車を見つめていた。

 ゆっくりと速度を落とした馬車はちょうど女性の前に止まり、リアンが声をかけた。


「久しぶりだなカーラ。元気そうで何よりだ」

「私はいつも通りです。あなたもお変わりなさそうですね」


 感情を乗せてない淡々とした声だったがリアンは特に気にする様子はない。

 カーラと呼ばれた女性は長話するでもなく、ちらりと横目で馬車の客室なかみを一瞥すると、中に居たゼクスと目があった。

 ほんの少し目が見開き、リアンの方へと向き直した。


「流石のカーラも驚いただろう?」

「はい、嘘だったら氷漬けにしてやろうと思ってました」

「はははっ 学園に対してこんな嘘付く必要がどこにあるんだ。さあ、二人とも挨拶を」


 指名をされた二人は客室から出ると並んでカーラの前へ立った。


「セラ=ストレイリアです。お世話になります……!」

「ゼクス=ライラックです。よろしくお願いします」


 これは事前に決めていたことだ。

 孤児院ではただの「ゼクス」と「セラ」だったため、入学するにあたって新たに姓を登録しておいたのだ。

 セラは頑なに「同じ姓にする!」と吠えていたのだが、変な勘違いをされても困るので断固としてゼクスが認めず今の姓へと決まった。


「私は寮長のカーラ=コールセントです。事情は知っています。くれぐれも問題を起こさないようにゼクス=ライラック。もしも寮内で不純行為を働けば氷漬けにしますからね」

「は、はい……肝に銘じておきます」


 凍てつくような視線がゼクスを睨み、溢れ出る凄みと共に周囲の温度が一気に冷える。

 完全に警戒されている目だ。

 もとより問題を起こす気などさらさらないが、これはより気を引き締めて行動しなければいけない。


「では寮室へ案内します。リアンは帰っていいですよ」

「社交辞令でもお茶くらい出すとか言ってくれよ……まあ、学園長に挨拶があるから帰るが。二人とも後は寮長に従うように」


 馬車の荷室から鞄を取り出してゼクスらに渡すと元来た道を引き返して行った。




 それから寮に入り、歩きながら各部屋の説明を受けた。

 談話室、図書室、整備室、遊技場、調理場、大浴場……と寮にしては充実した施設が揃っており、何でも大浴場には浸かると魔力回復や治癒効果、色々な効能があるそうだ。

 そのため各自室には温水の出る魔道具付きの浴室が設けられているものの、好んで大浴場を使う人がいるらしい。

 しかしゼクスが女子も使う大浴場に入りにいくなど、死にに行くようなものである。その辺りは説明の最中に「串刺しにします」と釘を刺されたので、喜んで自室の浴室を使わせてもらうと決めていた。


 ふとゼクスは思う。


 この寮は広くて綺麗、充実した設備が整えられているが、寮としては入居用の部屋数が少なかった。

 各部屋もそれなりの広さを持っており、とても何十人もを住まわせるような造りとは思えなかったのだ。


「この寮って俺たち以外何人いるんですか?」

「現在入居しているのは二人です。この寮は少し特別でして、事情のある魔女せいとしか入居していないんです」

「なるほど」

「今は入学前の休みオフなので他の方々は出払っています。なので入寮者同士の顔合わせは入学式を終えた後に行います」


 その後ゼクスが案内された寮室はもちろん一人部屋だった。

 セラが悲しそうな顔をしていたが、カーラの有無の言わさない重圧に屈して泣く泣く案内された寮室へと入っていった。

 お互いの部屋へ入ることは禁じられているものの、談話室などでのコミュニケーションは許されているので、そこまで寂しがることもないはずだ。


「――よし、明日の準備はできたな」


 入学に当たって必要なものは制服から靴、筆記具に至るまで全てリアンが手配してくれていた。

 セレスティア魔法学園には女子用の制服しかないのだが、頼んで特別にデザインしてもらっている。


 翌日の準備を終えると扉がノックされ、奥からカーラの声がする。


「本日学園の食堂はお休みなので夕食を持ってきました」

「ありがとうございます。いただきます」


 受け取った包み紙を丁寧に剥がすとそこには塩漬け肉と新鮮な野菜を白いパンで挟んだ軽食が用意されていた。

 一口齧ってみると風味のある甘辛いソースで味付けされており、おそらくは手作りなのだろう。食べやすい大きさのためすぐに完食した。


 それから少しだけ魔力の操作訓練をしていたら、気付けば窓の外はすっかり暗い。


「明日は大事な日だし早めに寝ておくか」


 そう思って浴室へと向かう。

 使い方は一通り説明を受けていたので、服を脱いで教えてもらった通りに魔道具のスイッチを押した。


 すると、ぐぐっと同極の磁石をくっ付けたときの反発するような斥力がゼクスの指に働く。


 もちろんそれは小さな違和感だったが、これから起こり得ることを知らないゼクスは気にも留めなかった。


 仕掛けに応じて勢いよく頭の上から掛け流され全身を濡らしたそれは――


「――冷たああぁぁっ!!?」


 思わず声がひっくり返る。

 目を白黒させながら飛び退き何事かとお湯に触れてみると、それは紛れもなくただの水だった。


「ど、どういうことだ!? さっきカーラさんはお湯が出るって……!」


 垂れ流れている水に触れながら待っていても暖かな温水に変わる気配がない。

 いくら室内でも夜になって気温も下がり、なおかつ魔法都市アルカナムは標高が高いためそもそもとして寒い。


人間が裸で水を浴びて平気でいられる温度ではなく、


「くしゅんっ!!」


 ゼクスはガタガタと身体を震わせて身を縮こませていた。


「こ、このままじゃ風邪を引くぞ……っ か、身体を温めないと……っ」


 タオルで身体の水気をある程度吸い取ったはいいが、寒さで体の震えが止まらない。

 そそくさと脱いだ服を身に着けながら考える。


 ――寮長に相談すべきか? わざわざ説明して修理してもらっても、そんなことをしてる間に本当に風邪を引いてしまう。


『大浴場には浸かると魔力回復や治癒効果、色々な効能がある』

『今は入学前の休みオフなので他の方々は出払っています』


 二つが頭を駆け巡り、熱を求めた身体が勝手に動きだした。


 小走りで辿り着いた大浴場からは花のような香りの湯気が漂い、さっさと服を脱いでは投げ捨てて浴室の扉を開けた。


 焦りもあっただろうが、ゼクスは多くのことを見落としていた。


 大浴場は既に何故か・・・明かりが着いていたこと。

 脱衣所には誰かの脱いだ服が・・・・・・・・丁寧に折り・・・・・畳まれていた・・・・・・こと。

 そして扉を開ける前、知らない少女の鼻歌・・・・・・・・・が聞こえたこと。


 ――ガチャリ。


 ゼクスが見たのは 茜色の夕焼け空を溶かしたような落ち着きのある深紅の髪に、一糸すら纏っていない透き通る健康的な肢体の少女の後ろ姿だった。

 扉の開閉音に気付いた少女は湯舟に膝を浸けた状態から振り向いて、十分な質量のある豊かな膨らみを軽く弾ませ、強く秘めた意思を感じさせる大きな瞳を見開いた。


『くれぐれも問題を起こさないようにゼクス=ライラック。もしも寮内で不純行為を働けば氷漬けにしますからね』


 その瞬間、身体から熱が完全に抜けてしまった気がした。

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