第3章 1話 鷲尾瑞希の休日。

 ショーウィンドウがバレンタイン一色に染まった頃。


 興味のないチョコレートたちを、見たくもないのに見てしまう。


 色とりどりのチョコレートが、高級感のあるケースに入って並んでいて、またこの時期が来たな、と本当に憂鬱になった。



 高校時代、仲の良かった3人は、もしかしたら、楽しい思い出だったかもしれない。


 超絶モテた男、棚橋凌が貰ってきたチョコレートを、我儘末っ子の小山理央の家で、4人で楽しく食べていた。


 そして、次の日には私の大好きな親友、松谷友乃が塩っぱいお菓子をいっぱい持ってきてくれて、それと一緒に甘いチョコレートを食べた。


 それは確かに楽しかったのかもしれない。



 だけど、学校での私はある意味地獄。


 バレンタインというものは、女の子が好きな男の子にチョコレートを上げる、という偏見で成り立っているものだとしたら、私はそれを蹴り飛ばしてやりたい。


 毎年平均10個は貰っていたと思う。


 男子から、私が。


 知らない人とかも結構いて、全部断っていたのを覚えている。


 しかも、いつも凌と一緒にいたせいで、隠れて呼ばれることが多かった。


 だから、学生時代に私がたくさんチョコレートを貰っていたのはみんな知らないと思う。


 何となくみんなに知られるのが嫌で、ひとりで隠れてコソコソと消費するのは大変だった。



 高校時代には、彼氏がいたのは一瞬だった。


 結局は向いてないと思ったから。


 と言うよりは、仲のいい4人でいる方が楽しかった、と言う方がいいかもしれない。



 専門学生になってから、また彼氏が出来たけど、シェアハウスを始めるタイミングで別れた。


 やっぱり、3人といる方が断然楽しいと思ったから。



 キラキラした街並みから外れて、家の近くの小さなコンビニが見えてきた。



 そういえば、この間友乃が、バレンタインパッケージのチョコレートを買っていたな。あれは、確かに美味しそうだった。


 私はコンビニに入って、この間見たパッケージを探すけど、見当たらなくて、結局何も買わずに出てきた。


 やっぱりチョコレートとは相性が合わないのかも。


 合わない方がいいんだけど。



 未だに男性から貰うチョコレートの量は変わらない。


 女の子は友チョコなんていうものもあって、どっちにしても面倒くさいと思っていたバレンタイン。


 そして、学生を卒業したのに続くこのイベントは、ただ私を苦しめていくだけだった。



 私も友乃みたいに割り切って、塩っぱいものを渡せればいいんだけれど。職場の人たちに、最初のバレンタインの時に、それなりのチョコレートを渡してしまったせいで、引くにひけなくなったのだ。



 プライドなんて持つもんじゃない。


 いつもそう思って後悔するけど、高いプライドで囲まれた私は、もう今となってはどうにもならないほどになっているのだ。


 本当に無駄なだけ。



「お姉さん、今日の夜空いてます?」



 コンビニを出て少ししたところで、男性から声を掛けられた。


 出たよ。毎日のようにこれだ。


 しかも、毎日違う人だから本当に迷惑通り越して不思議な話になる。



 いつものように無視をして、遠回りをして家に帰る。


 これのせいでいつも家に帰るのが遅くなるんだよな。



 私たちの住んでいる家の周辺の治安が悪いのか、それともこの時間が悪いのか、毎日のようにナンパされる。


 飯どうですか、とか、1杯でいいので、とか。


 これでまた記録更新、20日目だ。


 外に出ると毎回のようにこれだから、さすがにもう慣れたけど、気分が害されるのは変わらないことだった。



 家に帰って自分の部屋に向かうと、向かいの扉が開いて、理央が出てきた。



「あ、瑞希おかえり。今日はみんなで食べに行くってよ。」


「そうなの?友乃はもう少し遅いでしょ?」


「うん。でも、俺作るの面倒臭いし、凌が久々に4人で飲みたいって。お風呂入って来ちゃいな。」


 私は理央に笑いかけてから、自分の部屋に入った。



 この返事の仕方は、仲のいい3人がみんなやる返事の仕方。最初は多分理央から始まって、全員移ってしまったのだ。



 今日はいつもの居酒屋かな。



 私は直ぐにお風呂の準備をして部屋を出た。


 リビングに行くと、凌がテレビを見ていた。



「ただいま。」


「おかえり。俺と理央、もう入ったから。友乃はあと30分くらいで帰って来るって。」



 私は凌に笑いかけて、お風呂に向かった。



 またこの返事の仕方をしてしまった。


 多分、仲がいいゆえの甘えでしかない。


 笑うだけできっと分かってくれるだろうな、という甘えだ。



 脱衣所にある洗濯機の中に、自分の脱いだものを入れて、お風呂に入った。今日は時間無さそうだし、シャワーでいいかな。



 たまに友乃とふたりで入る時があって、その時はお湯を溜めて一緒にゆっくり話しながら入る。


 わざわざお互いの部屋に行って話すことがあまりない分、お風呂では全てを削ぎ落とした状態で素直に話せることが多い。



 友乃は私が高校生の時に初めて出来た女の子の友達。



 中学生の時は、私の性格とか、顔とか、色々な面で女子からは好かれることがなくて、女の子の友達がひとりもいなかった。


 そうなると、必然的に友達は男の子ばかりになるのであって、それがまた女子たちから標的にされる原因でもあった。


 だけど、高校生に入学してすぐに、席が近くになった友乃と凌、理央の3人が話しかけてくれて、仲良くなった。



 友乃は本当に可愛らしい女の子で、私には持っていない女の子らしい愛嬌を持っている子だった。


 だから、友乃に惹かれたし、絶対に他の人に取られたくなかった。



 中学時代の名残もあって、女の子同士の付き合い方が分からなかったから、最初の方は友乃に相当迷惑をかけたと思う。


 でも私は高校時代の3年間、友乃のお陰で女の子との付き合い方を学んだ。


 そして、凌のお陰で、他人との付き合い方を覚えた。


 私たちの中で、元々社交的だったのは凌だけだったから。


 多分、友乃も理央も、それは私と同じで凌のお陰で覚えたことだと思う。


 私たちはずっと付かず離れず、そして今でも離れられずにいるのだ。



 シャワーから出ると、洗濯機が回っていた。


 今日もか。


 恐らく凌が回したのだと思う。


 私は溜息を吐いた。


 確かに、洗濯機の中を見ずにそのまま脱いだ服を入れてしまったことは悪いと思う。だけど、凌も回す前に確認して欲しい。


 いつもこうなってしまうんだから、学んで欲しいよ。



 そうやって、何度やっても学ばない自分にも言い聞かせる。



 私は服を着てから凌を呼んだ。



「今日もやったな、俺。ごめん。」



 脱衣所がノックされて、凌が謝りながら入ってきた。


 素直にここで許せばいいものを、私はいつも無駄に意地を張って、強い言い方で返してしまう。


 これがいつも長引く原因。


 自分でも分かってはいるんだけど。



「本当だよ。いつもそうじゃん。」


「でも、瑞希も洗濯機の中を見てから自分の服入れろよ。」


「凌だって、回す前に見ない癖に?」


「だから、それは俺が悪かった。でも瑞希も悪かったところあるだろ。」


「そうだけどさ、」



 こうやって、初めは軽かった口論がどんどんエスカレートしていって、止め方を見失ってしまう。



 シェアハウスを始めるまでは、こんな喧嘩はしなかった。


 凌とは凄く仲が良かった。


 理央が友乃のことを独り占めすることが多くて、必然的に私と凌で一緒にいることが、高校生の時から多かったからだ。



 シェアハウスを始めてからは、自分のいい面も悪い面も、自分が知らなかった自分の一面まで引き出されていっていて、あんまりいい気分では無かったけど、ある意味それも今では、良かったと思っている。


 いい面も悪い面も、全部一緒に住んでる3人が指摘してくれるから。他の人に見つけられるよりは、全然いいと思ってしまっていた。



 暫く言い合いをしていたら、洗濯機が終わった音と、脱衣所の扉をノックする音が聞こえた。



「もう辞めなよ。私お風呂入りたい。」



 入ってきたのは友乃。


 友乃は呆れた顔をして、持っていたものを置いて、私の頭を撫でた。



「毎日やるのも疲れないの?お互い謝れば済む話でしょ?」



 友乃は出来るだけ優しく言っているのが分かった。


 私の頭を撫でて、そのまま抱きついてきた友乃。


 ね?、と言って私を上目遣いで見る。


 それを見た私は、負けたな、と思って、凌に謝った。



「ごめん。」


「うん。俺も、ごめん。」



 やっぱり友乃には敵わない。


 だって、可愛いから。



 凌は終わった洗濯機の中から自分のものを取り出していた。


 友乃は私から離れて、また頭を撫でてから上着を一枚脱いだ。


 理央の洗濯物があるから、また一緒に洗濯するんだろうな。


 私もいちいち気にせずに、素直になれればいいんだけど。一度張った見栄を曲げるのは難しいのだ。


 凌の隣に並んで、自分の籠に洗濯物を入れていく。


 それから、凌と一緒に脱衣所を出た。



「さっきの友乃、可愛すぎて負けた。」



 ふたりで自分の部屋に向かいながら、凌に言った。



「結局さ、俺ら理央と友乃には甘いから。ふたりに止められたら、止めないわけにいかないじゃん。」


「そうね。まあ、こんな毎日言い合いしなければいいんだけど。」


「それはそう。」


「分かってるから、それ以上は言わないでね。」



 自分の部屋の前に立って、隣の部屋の前にいる凌を見ると、優しく笑うだけで何も言わずに部屋に入っていった。


 それを見て、私も自分の部屋に入った。

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