第2章 1話 棚橋凌の休日。

 昔からバレンタインにはいい思い出が無かった。


 好きでもない人から沢山チョコレートを貰って、それを微妙な顔してお礼を言う、あれが得意じゃなかったから。中学生の時からそんな感じだったから、さすがに高校生になった時には、もう顔を作るのも慣れていたし、本命のチョコレートをくれた人にお断りするのも、上手くなっていたと思う。


 バレンタインからの1週間は、俺が貰ってきたチョコレートを小山理央の家で、仲のいい4人で食べるのが恒例だった。


 俺が一番好きだったのは、バレンタインの次の日に、松谷友乃が持ってきてくれる、せんべいとかスナック菓子とか、しょっぱい物。バレンタインのせいで甘いものがあまり好きでは無くなったから、しょっぱいものは本当に有難かった。


 勿論、鷲尾瑞希が毎年焼いてきてくれるマフィンも美味しかった。プレーン味にしてくれてるところが優しさだな、と思っていた。



 小山理央、松谷友乃、鷲尾瑞希、それから俺、棚橋凌。4人は高校の時仲良くなって以来、ずっと一緒に遊んでいる腐れ縁みたいな、仲のいいメンツだ。


 そして、今は一緒に暮らしている。シェアハウスってやつだ。



 この間、冷蔵庫の友乃の段に入っていた、バレンタインパッケージのチョコレートを見てから、バレンタインのことをふと思い出していた。


 カレンダーを見ると、もう2月の頭だった。今年も、もうすぐバレンタインがやってくる。



 大きめの一軒家に帰ると、階段から降りてきた理央と鉢合わせた。



「あれ、今日早いね。おかえり。」


「うん、早く終わったんだ。ただいま。」


「友乃も瑞希もまだだから、お風呂入っちゃいなよ。」


「そうする。ありがとう。」



 理央はリビングの方に入っていった。


 多分、夕飯を作ってくれるんだと思う。


 俺は、2階の自分の部屋に向かった。



 俺の隣は瑞希の部屋。向かい側が友乃の部屋。


 なんで右と左で男女で分けなかったのかは、多分理央が友乃のことを好きすぎるから。


 好き、というのは、過保護にしてる、という意味だと思う。



 自分の部屋の扉を開けて、いつもの場所に荷物を置いてから、スーツを脱いだ。



 本当はこんなものは望んでいなかった。


 スーツみたいなお堅いイメージのものは好きではなかったから。


 でも、初めてスーツ姿で友乃と瑞希に会った時、異常なくらいのテンションで褒められたことを、嫌になる度に思い出して、踏ん張っているのだ。


 ふたりにとっては、俺のスーツ姿は、有り、だったそうで、それならいいや、と思っている。



 お風呂の準備をしてから、部屋を出てお風呂に向かった。



 ご飯を作るのは、理央と瑞希。


 友乃も俺もやらないことは無いけど、友乃は料理が嫌いで、俺は効率が悪い。上手く出来ない、と言った方がまだ聞こえがいいくらい。


 瑞希は、家事全般嫌いだけど、ご飯を作るのは別らしい。嫌いじゃない、と言っていた。高校の時に、毎年マフィンを作ってくれていたくらいだから、それもそうなんだと思う。



 いつも通りシャワーだけで済ませて、脱衣所に出ると、理央と瑞希の声が聞こえた。


 一緒にご飯を作ってるみたい。



 友乃はいつも帰って来るのが最後。仕事の都合上、家を出るのも一番遅いし、帰りも一番遅いのだ。



 服を着てから、リビングに行くと、キッチンにはエプロンを付けた理央と瑞希が立っていた。



「瑞希、おかえり。」


「凌、ただいま。今日はオムライスだよ。」


「友乃が喜びそう。」


「友乃、オムライス好きだよね。私、お風呂入ってくる。」



 瑞希は俺の横をすり抜けて、2階の自分の部屋に向かった。


 俺は、理央の隣に並んで、グラス一杯の水を飲んだ。



「明日、友乃と一緒でしょ?」


「ん? ああ、休み?」


「そう。いいなー。僕も休みたい。」



 明日は木曜日。


 俺は仕事の都合上、不定休なのだ。


 そして、日曜日固定休で他は不定休の理央と友乃。火曜日が固定休で他が不定休の瑞希。


 明日は俺と友乃が休みが被るらしい。



 理央は隣で俺に向かって、羨ましそうな声を出した。



「それは、俺と一緒なのがいいな、なのか。友乃と一緒なのがいいな、なのか。どっち?」


「友乃に決まってんじゃん。」


「本当に、友乃のこと好きだな。」


「凌だって、好きでしょ?僕は瑞希のことも好きだよ。」


「それはそうだろうけど。理央は友乃への愛が異常。」


「今に始まったことじゃない。いい加減、自分の部屋に戻れって怒られた。」


「何日一緒に寝てるの?」


「10日間くらい。」


「それは、一緒に居すぎ。」


「だって、僕が寝れない。」



 これで恋人じゃないんだから、不思議なくらい。



 俺も、理央も、友乃と瑞希に対しては、他の人とは明らかに違う距離感だと思っている。だけど、理央と友乃は俺が思っている距離感よりも、もっと近くにいるんだと思う。



 ふたりの関係は不思議で仕方ない。友乃も、なんて言えばいいのか分からない、と言っていた。


 でも、お互い特別なことに、変わりはないんだと思う。理央は友乃が居ないと不安みたいだし。友乃は理央のこと甘やかしすぎだから。



「雨の日も続いたからさ、仕方ない。」


「それは仕方ないけど。」


「でも、結局は僕が一緒に居たいだけなんだと思う。友乃は僕が居ないとダメだ、って友乃のせいにしてるだけ。本当は、僕が友乃が居ないとダメなんだと思う。分かってんだけどね。」



 俺は、理央の頭を撫でた。


 理央がここまで自分の気持ちを言えるようになったのは、友乃のお陰だったりするんだと思うから、そこは感謝かもな。


 高校生の時、金魚の糞のように俺にくっついて来るだけだった理央とは、だいぶ変わったし、成長したと思う。



 理央は少し嬉しそうな顔をして、洗い物を始めた。


 俺はそれを見て、キッチンを出た。


 脱衣所に戻って、俺の洗濯物を洗濯機に入れて回した。


 あ、瑞希のやつ入ってた。


 まあ、いいか。


 そのまま洗剤をふたり分の量入れて、回した。


 多分、また怒られるな。



 一度自分の部屋に戻って、スマホとメガネを持ってリビングに降りた。


 理央はソファーでくつろいでいて、ご飯を食べるのを待っているようだった。



「友乃はまだ?」


「今終わったって。もうすぐじゃない?僕、友乃帰って来てから一緒に食べるから、ふたりで食べてていいよ。」


「そっか。俺また、瑞希のと一緒に洗濯しちゃった。」


「また? また喧嘩するの。」



 理央に呆れた顔を向けられて、俺も同じような表情になってしまった。


 自分に呆れているのだ。



 毎日洗濯機の中を確認せずに回してしまうから、瑞希のものが入っていることを知らずに回してしまうのだ。


 それで、いつも瑞希に怒られる。


 そして、俺も意地を張ってしまう。


 毎日これの繰り返しだ。


 いい加減自分でも飽きてるし、呆れてる。



「そうかも。」


「もう、いい加減やめなよ。」


「俺も辞めたい。」


「僕と友乃よりも、凌と瑞希の方が問題だと思う。」



 理央は持っているスマホの画面から目を離さずに、俺に向かって呆れた声で言った。


 その通りだ。


 俺も、人の事なんて言える立場じゃない。


 今日は、冷静に謝ろう。


 喧嘩にならないようにしよう。


 毎日こんなことを思っているけど、結局は言い合いになってしまうから、本当に学ばないな、と自分で後悔するのだ。



 理央の隣でテレビをつけて、暫くぼーっと見ていると、洗濯機の終わった音と共に、お風呂の扉が開く音がして、その後すぐに、瑞希の怒りの声が聞こえてきた。



「凌!!!何回言ったら分かるのよ!!!」



 隣の理央が、クスッと笑ってから、俺のことを肘でちょんちょんっとつついた。



「がんばって。自業自得。」


「はい、」



 俺は重い腰を上げて、お風呂場に行こうとしたら、瑞希が大きな音を立ててリビングに繋がる扉を開いた。


 お風呂から上がったばかりの、部屋着の瑞希が仁王立ちでご立腹な顔をして立っていた。



「もう、何回言ったら分かるの!!!」


「ごめんって。悪かった。」


「毎日言ってんじゃん。」


「うん、ごめん。」


「ごめんって、何回言ったら治るのよ!!!」


「そんなに怒るなよ。」



 結局、いつも通りの言い合いが始まってしまった。



 ふたりが作ってくれたオムライスはもう冷めてしまったと思う。



 リビングでふたりで言い合っていたせいで、友乃が帰って来たことにも気付かずにいたのだった。

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