さくらはな
ねこいか
さくらはな
はらり。はらり。
満開の桜が、街から公園へと続く道に花のトンネルを作っている。
今年も、この季節がきたんだ。
胸に一杯の桜の香りを吸い込んで、トンネルへと入っていく。陽に透かされたうすい桜の花びらに目を取られて早速足を止める。
「ここ、いいなぁ」
首からかけていたちょっと性能のよいカメラを向ける。
「はい、笑って」
いつも人にかけるのと同じように花にも声をかける。そのほうが、花もかわいく撮れる……気がするからだ。少しずつ前に進んでは足を止め、を繰り返しながら、一枚、また一枚と撮っていく。
しかし納得のいくまで撮っていてはいくら時間があっても足りないし、目的の場所まで辿り着けないことはわかっていた。一通り満足したところで、カメラを下ろす。レンズ越しの世界からの帰還だ。
「ふぅ」
「おにーさん!」
自分の目で見る世界に戻ってきたとたんに、スマホを持った若い女性から声をかけられた。
「なんですか?」
「おにーさん、写真撮ってましたよね? あたし達のも撮ってもらえませんかー?」
陽気な女性の声の後から、え! 撮って! という声が複数聞こえてきた。どうにもこういう、ノリは苦手だ。だが断る理由もない。
「あなたのスマホでいいですかね?」
「え! もちろん! ありがとうございますー!」
陽気な声の女性のスマホを受け取ると、四人の女性が並んでポーズをとった。
「はい、笑ってー」
カシャリ。
撮ったものの確認をしてもらうため彼女達に見せる。彼女達は写真を見ると、これでいい? いいよ! というような会話を短くして、満足したのかこちらを見た。
「おっけーです! ありがとうございましたー!」
「おにーさんありがと!」
「はーい」
そのまま彼女達はわいわいしながら街のほうへと歩いていった。意外と荷物が多かったから、もしかしたらこの先の公園でお花見をしていたのかもしれない。
彼女達の様子を見るに、俺の満足できる光景がある、と思う。そう考えると自然と足は速くなり、ずんずんとトンネルを進んでいた。
数分後、ぱあっと開けた場所に出る。と、同時にむせ返るほどの桜の香りが脳に響いた。
「はぁ……」
思わず溜め息が出る。世界のどこを見ても桜。
その中でひと際存在感を放つ、少し丘になっている公園の真ん中にある、大きな、大きな桜。
引き寄せられるように前に進む。
「そういえば、あの子も桜が好きだったな」
ぽつりと出た自分の言葉に、思い出がよみがえる。
***
あれはもう、十五年以上も前の話。
もともと体の弱かった俺は、病院に出たり入ったりしていた。
幼いころのコミュニケーション能力は恐ろしいもので、入院した次の日には友達が出来ていた。その中の一人、
満ちゃんは桜が好きだった。そのためか、会うときはいつも、病院の中庭にある桜の木の下だった。
「みちるちゃん!」
「……なおくん!」
その日は、新学期も始まったばかりの四月。
快晴で、桜が満開だったことを覚えている。
病室の窓を開けていると、桜の花びらが一枚、枕元にふわりと舞い落ちてきた。窓の外を見ると、満ちゃんが一人で桜の木の下にいて、思わず大きな声で呼んでしまった。満ちゃんは驚いて、周りをきょろきょろ見回したあと、上にいる俺に気がついた。
「いまいくから! まってて!」
部屋を出て、階段を下りる。
看護師さんに見つかれば怒られるが、走って満ちゃんのもとへと行った。
満ちゃんは一人で車椅子を動かせないらしく、上から見たときと同じ場所で、俺を待っていた。
もしくは、桜を見ていただけかもしれないが。
「はぁっ、はぁっ」
「なおくん、はしってきたの?」
「うん」
「はしったら、かんごしさんにおこられちゃうよ」
「だって、みちるちゃんとはやくおはなししたくて」
「わたしはくるまいすをうごかせないから、いなくならないよ」
満ちゃんはへにゃりと笑う。なにか、悲しげだった。
今思うと、きっと走れなかったからだと思う。
満ちゃんは、なにか重い病気で、激しく体を動かすことができないと聞いていた。詳しくは知らないが、そういうことだった、と思う。
「ねえ、なおくん」
「なに?」
「なおくんは、さくら、すき?」
どきりとした。
好き? と言ったときの満ちゃんの顔があまりにも優しくて。色素の薄い茶色の、緩いウェーブのかかった髪と白い肌が相まって桜の精のように見えた。俺はどんな顔をしていただろうか。なんだか顔が熱かったのを覚えている。
「おれは、あんまりすきじゃないかなぁ」
よくわからない意地を張った答えだった。小学二年生の頃の思考なんて、今はもう何一つわからないけど、男子小学生たるもの、必ず通る道であったことは確かだ。
「どうして?」
「だって、さくらってすぐちっちゃうし、おそうじたいへんそうだし、あと、こわい」
そう言うと満ちゃんは鈴のなるような声で小さく笑った。
「さくらはこわくないよ」
「こわいはなしをきいたんだ!」
「でもそれはおはなしだから、ほんとうのことじゃないでしょ?」
「わかんないけど」
二歳年下の、しかも女の子に言われてしまえば、口をとがらせるしかなかった。
入院の数日前、テレビで、桜の木の下には死体が埋まっていて、桜のピンクは血の色、という話を聞いたのを鵜呑みにしていたのだ。
「なおくんはおもしろいね」
「おもしろくないよ」
俺があまりにも口を尖らせたままであったから、満ちゃんはさっきよりもわかりやすく笑った。
「おもしろいよ。わたしだったらそんなふうにかんがえないもん」
「じゃあみちるちゃんはさくら、すきなの?」
「もちろん! だってさくらはピンクでかわいいから!」
正直、これを聞いたときはえ、それだけ? とは思った。ピンクでかわいいから。理由にもなっていないじゃないか。
そんな俺の表情を読み取ったのか、満ちゃんはそれだけじゃないよ。と続けた。
「さくらはね、みているひとをにこちゃんにしてくれるんだよ!」
「にこちゃん?」
「そう! みんな、さくらをみるとにこー! ってわらうの」
だから、だいすきなの! そう、言い切る満ちゃんのほほはなんだか少し赤くなっているようだった。
「わたしはね、こうやってみんなにげんきになりますようにー! にこー! ってしてくれるさくらさんがだいすきなんだよ!」
「みんなが、にこー、って……」
「うん!」
満ちゃんの肩が呼吸に合わせて大きく揺れる。少し、様子が、おかしい。そんなことも気にしないかのように、満ちゃんは続ける。
「だから、わたしは、さくらさんになりたいんだ!」
「さくらに……?」
「う、ん! みんな、を、げんき、に……っ……」
満ちゃんの体がぐらりと前に倒れた。
小さかった俺は支えることはできなくて、地面に倒れた満ちゃんに、ただ、大きな声でずっと、だいじょうぶ⁉ と声をかけ続けていた。
その声は通りがかった看護師にも聞こえていたらしく、すぐにたくさんの人が満ちゃんを囲んだ。俺は病室に戻され、その日は、それで終わった。
翌日、満ちゃんに無理をさせてしまったことを謝ろうと、桜の木の下で待ち続けた。その次の日も、その次の次の日も。
しかし何日待っても満ちゃんは来なかった。看護師に聞いても、うまくはぐらかされるだけで、当時の俺はそれを信じていた。
そうして、俺が退院する日がきてしまった。結局、桜の話をした日以降、会えずじまいだった。
どうしても謝りたくて、また会いたくて、看護師に伝言を頼んだ。
みちるちゃん、このあいだはごめんなさい。また、おはなししたいです。と。
看護師は、笑顔を崩すことなく、しっかり伝えておくね。と言った。
***
ハッと今に帰ってくる。
しかしどうして今まで思い出さなかったのだろうかと思うほどに鮮やかに思い出すものだから、大きな桜の前で茫然としてしまっていた。
ふと視線を感じて下を見る。白いワンピースを着た、緩いウェーブの髪の少女が、こちらを見上げていた。いや、正しくは桜を見上げていた。その瞳はキラキラと、陽に輝くガラスよりも輝いていて、この瞬間を永遠に残したいと思った。思ったときにはもう手は動いていて、いつのまにかシャッターを切っていた。
「わっ」
シャッターの音に驚いたのか、少女はこちらを向いた。
「あ。ごめんね」
「……おにいさん、だあれ?」
少女の問いは至極全うなものだった。
「おにいさんは写真を撮る人だよ。本当は桜を撮りにきたんだけど」
そう言いながらカメラを持ち上げる。少女は俺の持っているカメラを見て、先ほどまでの警戒を解き駆け寄ってきた。
「おっきいカメラ! すごい!」
「でしょ? 今これできみを撮ったんだ。どうかな?」
しゃがんで画面を見せる。我ながらばっちり撮れている。少女は画面を見ると、ぴょんぴょんと飛び跳ねながらすごい! すごい! と喜んでくれた。
勝手に撮ったことなど、少女はもう覚えていないようだった。
「おにいさんはどうしてしゃしんをとっているの?」
「え」
ぴょんぴょんと飛び跳ねながら聞いてくる。俺が返答に困っていると、少女は飛び跳ねるのをやめて、じっ、と俺のことを見つめてくる。
この話はしてもいいのだろうか。
数秒考えたが、意を決して話すことにした。この少女とは、もう会えない気がしたから。
それなら話しても、きっといつか大きな桜の記憶に溶けて、俺の記憶は溶け去っていくだろうから。
「おにいさんはね、好きな女の子がいたんだ。その子とお話ししていると、みんな笑顔になっていくんだ。でも、それって一瞬のことだろう? それじゃ悲しいなって思って、その子の笑顔を、みんなの笑顔を残したいと思ったから、写真を撮っているんだよ」
「……むずかしくてよくわかんない……」
「あはは。そのうちわかるよ」
「でも、おにいさんはすきなこに、すきっていえたの?」
実に女の子らしい疑問だった。好き、か。
「ううん。おにいさんは好きじゃないって言っちゃった」
「なんで?」
「……桜、みたいだった、から」
少女は首を傾げるばかり。しまった、もう少しわかりやすく言わなければ。
「おにいさんはね、桜が嫌いだった。今は好きだよ? でもすぐに散っちゃうし、怖い話も聞いていたから、少し苦手だった」
「こわいはなし?」
「怖い話。怖くて夜寝れなくなったら困るからこのお話は秘密」
「えー」
「……ふふっ」
口を尖らせて、あからさまに不満です、といった顔に、思わず笑う。なんだか、昔に戻ったみたいな感覚だった。
「それでね、その好きだった子は、俺の話を聞いて笑ったんだ。桜は怖くないよ、って」
「うん」
「桜は、みんなを笑顔にしてくれるんだよ、だからわたしはさくらになりたいんだよ、って」
ぽたり。
いつの間にか握り締めていたこぶしの上に、水滴がついた。雨? と上を見上げると、天気は相変わらずの快晴。しかし、世界が歪んで、淡いピンク一色になっていた。
「……おにいさん、いたいの?」
「……うん」
痛い場所なんて、なかった。ただ、心が、ちょっとだけ、悲しかった。
「じゃあ、わたしがひみつのばしょにつれていってあげる!」
少女は勢いよく俺の手を引っ張って桜から離れていく。
連れられるままについていくと、そこは公園の隅のほうにあるであろう展望台だった。この公園にはよくくるのだがこんな場所があることは知らなかった。
「ここ! わたしのひみつのばしょ!」
少女が指をさす。その先を見てみると公園も街も、そこに咲いている満開の桜も全て視界に入った。
一瞬、世界の音が全て消え去った。
少女に手を引っ張られて意識が戻る。
「ね! きれいでしょ!」
「本当に、きれいな場所だね」
涙も乾き、視界がはっきりしてくると、良く分かる。淡いピンクと、白い街並みが、とてもきれいだ。カメラを持ち上げる手が震える。ゆっくりと息を吐きながら数枚写真を撮る。
そうやって、どのくらい時間が経っただろうか。詰めていた息を吐き出すと同時にカメラから目を離す。少女はどこにいくわけでもなく展望台にあるオンボロなベンチに座って足をぶらぶらさせていた。
「おにいさん、たのしそう」
「うん。すごく楽しい……!」
いつの間にか悲しい気持ちよりも、この景色への感動が勝っていた。こんなに素敵な景色を、忘れたくなかった。
「おにいさんはね」
気が付くと、勝手に口が動いていた。
「俺は、次の春にはこの街にいないんだ」
少女は静かに聞いてくれている。
「転勤、だって。この街じゃなくて、ずっと遠い街に」
「……おにいさんはもうもどってこないの?」
「……どうだろうね。でも、俺の写真の腕を見込んでの転勤らしいから、しばらくは戻ってこれないね」
「そっか」
少女に転勤という言葉の意味が伝わったのかはわからない。でも、遠いところにいくことはわかったらしい。
二十と数年生きたこの街を離れるのは、俺もさみしいものがある。
少女はワンピースを握りしめてこう聞いてきた。
「でもいつか、またあいにきてくれる?」
「……もちろん!」
少女は俺の答えに満足したのか、ぴょんと立ち上がり、目の前に立った。
「おにいさんをにこちゃんにできて、わたしすっごくうれしい!」
少女がにっと笑う。その顔にも、言葉にも覚えがあった。
「ここ、わたしたちだけのひみつだよ」
「待って……!」
言葉は届かず、風がびゅうとひと際強く吹く。思わず目を瞑る。次に目を開けると少女はいなかった。
代わりに、さっきまで無かったたくさんの桜の花びらが、少女がいた場所にあった。
「もしかして」
先ほど撮った少女の写真を探す。何回見てもあの写真は無かった。
しかし、俺の言葉に応えるようにたくさんの花びらが舞った。俺にはそれが、少女がおこしたものに見えた。
「……そっか。ありがとう」
最後に花びらの舞を撮って、その場を去った。
***
その後、何度あの場所にいこうとしても辿り着くことは無かった。
それでも残っている、あの場所の花びらの写真は、今も色褪せることなく俺の部屋に飾ってある。
ひらり、ひらり。
今日も、世界に、花が舞う。
end.
さくらはな ねこいか @__UoxoU__
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