第52話 書籍化記念SS ブラッドリー殿下は迷走中 後編

 その部屋はひんやりとしていて、肩掛けを羽織るくらいでちょうどいい気温だった。

 王城の北東に面した場所を改造して、雪うさぎという魔法動物専用の飼育部屋にしたのだとブリギッタが教えてくれた。


「とっても可愛いですね。ふわふわもふもふ」


 エリーゼの膝の上には真っ白な毛玉……もとい、雪うさぎが丸まっている。人に馴れているようで、撫でると気持ちよさそうに膝の上でうとうとし始めたのだ。


「その子は三号なのだが、一番人懐こいんだ」

「三号……って、この子の名前ですか?」

「ああそうだ。一号から十号までいる」


 分かりやすさ重視のネーミングである。ペットを飼ったことのないエリーゼは、名づけとはそういうものなのか、とあっさり納得した。


「三号……ちゃん? 可愛いですね。他の子たちも、みんなふわふわ。ふふ、わたし、本物のうさぎを見るのは初めてです」


 部屋の床はひんやりとした大理石張りで、その一部にじゅうたんが敷かれている。他には小さな子供ならその上で眠れるのではないかというくらい大きなクッションがいくつか置いてある。人間用の家具は置いていなくて、うさぎのための穴倉を模した、箱が点在している。


 雪うさぎたちは銘々のんびり寛いでいる。その様子が微笑ましくて、いつまででも眺めていられそうだ。


「可愛いエリーゼと、可愛い雪うさぎたち。ああ、眼福だ。永遠に眺めていられる。シェリダインの妻などやめて、わたくし専用の話し相手になってほしいくらいだ」


「そのような……恐れ多いです」

「本気なんだが……」


 自分のような平凡を絵に描いたような人間が麗しの王太子妃殿下の話し相手が勤まるはずもない。

 そっと目を伏せると、ブリギッタの無念そうな声が聞こえてきた。


「そうだ。餌やりをしようか」

「餌やりですか?」


「ああ。おやつの時間てわけだ」


 ブリギッタの声に合わせるように室内に控えていた侍女がしずしずと近づいてきた。

 おやつの匂いを嗅ぎ分けたのか、エリーゼの膝の上に乗って丸まっていた雪うさぎがぴょこんと顔を上げた。ぴんと張った長い耳がなんとも愛らしい。


 ああ可愛い、と至福の時間を満喫していると、何やら外が騒がしくなった。


「なんだ。まだ自由時間内だろうに」


 ブリギッタが訝し気に呟くと、扉が開いて女官が近寄ってきて、彼女の耳元で何事かを囁いた。


「まったく。狭量な男だな!」


 ブリギッタが嘆息交じりに声を荒げた。一体どうしたというのだろう。エリーゼはブリギッタと女官の顔を交互に見やった。


「お迎えが来たらしい。どうせブラッドリー殿下がシェリダインのところに告げ口しに行ったのだろう。ちょっとこの部屋への立ち入りを禁止しているからと言って、大人気ない」

「アレックスが来たのですか?」

「そういうことだ。ひとまずおやつやりは中断だ。シェリダインにこの部屋を破壊されたくはないからな」


 ブリギッタは半ば本気の言葉だったが、エリーゼはそれを冗談だと受け取った。優しい彼はそのような破壊活動はしないはず。

 でも、アレックスが来ているのなら会いたい。結婚して数か月の新婚なのである。大好きな彼と思いがけず会えるとなれば、心がふわりと沸き立つ。


 雪うさぎを抱えたまま部屋の外に出れば、なるほど確かに前室にアレックスとブラッドリーの姿があった。

「アレックス様。お仕事ですか?」


 もしかしたら、ブリギッタへの急ぎの用事があるのかもしれない。

 首を傾げて問いかけると、アレックスが即座に近付いてきた。そしてそのまま抱え込むようにエリーゼの背中に両腕を回す。

 その時、アレックスとブリギッタが視線で火花を飛ばし合ったのだが、アレックスの胸で視界をうめられていたエリーゼが気づくことはなかった。


「妃殿下、そんなにも美少女がお好きなら、そこのブラッドリー殿下があなた様のためにいくらでも美少女に扮するそうですよ」


「はあ? 何を言っている。奴は男ではないか」

「男でも魔法で髪を伸ばして適当に目の色でも変えて、ついでに化粧でもすればそれっぽく見えるでしょう」

「なんだ、それは見たくないぞ」


「いや、私はきみのために美女になってみせようではないか。素材はいいんだ。この際、女装で我慢してくれ。何なら、今日の夜はそういうプレイでいこうか」


(プレイ……?)


「エリーゼの前でド変態発言をするな」


 アレックスの低い声が即座に割って入る。


「あとは二人で話し合ってください。さあ、エリーゼ帰ろう」

「え、あの……三号ちゃんを返さないと……」




 今日もマルティニ王国は平和であった。

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