第51話 書籍化記念SS ブラッドリー殿下は迷走中 前編

ダークウェル・ホプソンズは王付き魔法使いである。御年七十一歳。三十八歳でこの役職を拝命してから、現在に至るまで王家に寄り添い数多くの難題に立ち向かってきた。

 七十を超えてもなお、現役バリバリで王からの信頼も厚い。また、後進の育成も積極的に行い、魔法省に数多くの弟子を送ってきた。


 そのダークウェルは現在困惑していた。

 目の前にはブラッドリーの姿があった。青年期の盛り、男としての貫禄をつけつつあるマルティニ王国が誇る優秀なる王太子殿下である。


「お願いだ。この私を可憐で思わずぎゅっと抱きしめたくなるような美少女の姿に変えて欲しい」


 いやいやいや……。

 何を言い出すんだ、この男は。ダークウェルは沈黙を貫いた。でないと、口から突っ込みが垂れ流しになってしまいそうになるからだ。


「素材はいいはずなんだ。だから女になれば稀代の美少女になるはずだ」


 ダークウェルは凍り付いた。

 一体、何を言ってやがるんだ、この王太子殿下は。脳裏に幼いころのブラッドリーのあれやこれやが走馬灯のように浮かび上がる。幼いころは純粋で可愛かった。魔法の練習も剣の稽古も平等に励み、才能を開花させた。少なくとも、意味の分からない台詞を吐くことはなかった。


「ホプソンズは深い知識を持ち、年を重ねた分、経験もピカイチだ。もしかしたら以前にも変身魔法を成功させたことがあるかもしれないと思ってだな。どうだろう、私を可愛い女の子に変えてくれないだろうか」


 ああ、最近の若者の考えていることが分からない。

 これが世に言う、ジェネレーションギャップというものなのか。今度最年少の弟子トーマス(十九歳)を連れて飲みに行こう。そして若者の主張的なあれやこやをじっくり聞こうではないか。よし、そうしよう。


 王太子殿下を前に、軽く現実逃避に走った最年長国付き魔法使いはひとまず、問題を丸投げすることにした。




「シェリダインよ、ブラッドリー殿下がお悩みだ。相談に乗って差し上げるように」


 部屋の扉が開くなり、そんなことを言われたアレックスは片眉を器用に持ち上げた。

 何の断りもなく入室してきたのはマルティニ王国が誇る筆頭王付き魔法使いのダークウェル・ホプソンズであった。長老と呼ばれるこの国の魔法使い社会の重鎮でもある。


「ホプソンズ殿、状況は大体理解したので、今すぐにそこの殿下を魔法使いの棟から締め出してください」


 アレックスは素っ気なく言い放った。

 すると、ブラッドリーがくわっと目を見開いた。


「アレックス! きみに情というものはないのか!」

「あります。ただしエリーゼに対してだけです」

「いっそすがすがしいな!」

 言い切ったアレックスである。ブラッドリーだってそんなことくらい百も承知だろうに、何を今さら喚いているのか。


「とにかく、殿下は政務でお忙しくされていて、少々心が寂しくなられているようだ。こういうときは、同世代であるシェリダインの出番だろう」

「さりげなく殿下を置いて行こうとしないでください。私だって忙しい」


「ふむ。それでは、今私のもとに届いている陳情書を分別して明日までに返事を書いて提出するのと、次の魔法省合同会議の議案の意見のまとめをおぬしが引き受けてくれるということだな」


「……」


 アレックスが黙り込んだ。

 ダークウェルはその沈黙の隙にブラッドリーを置いて部屋を後にした。どうせこの男は素っ頓狂なことを言い始めて、長老を困惑させたのだろう。


「アレックス、私を美少女にして欲しい」

「寝言は寝て言え」


「つれない! つれないぞ、アレックス! 私ときみとの仲だろう」

「そんな仲あるわけがあるか」


 突然にふざけたことを言い出したブラッドリーを前に、なけなしの敬意が吹き飛んだ。ぞんざいな口調になるアレックスに対して怒るでもなく、ブラッドリーは「私も美少女になってブリギッタにぎゅぅぅっとハグされたいんだ!」と言い募った。


「無理ですね。変身魔法はありません。せいぜいが髪や目の色を変えるくらいです。人を別のものに変える魔法は精霊や神の領域です」


「そこを何とか」

「なるものか。阿呆」


「アレックス、魔法使いは不可能を可能にするべく日々鍛錬をするべきだと思うんだ。ぜひとも変身魔法を研究して、私を美少女に――」


 もろもろ面倒になったアレックスは呪文を口の中で唱え始めた。移動魔法である。光り輝く魔法陣がブラッドリーの足元に浮かび上がる。


「わー、ちょっと待て! 大体、おまえにだって関係あるだろ」

「ありません」


「ブリギッタのお気に入りはエリーゼ夫人なんだ!」


 エリーゼの名前が出た途端、アレックスは魔法の発動を止めた。


「ブリギッタはエリーゼ夫人がお気に入りで、今日も彼女自慢の雪うさぎを餌にエリーゼ夫人を城に招いている。男子禁制と言われてしまって、私は部屋に入ることはできない」

「……」


 確かにブリギッタはエリーゼのことがお気に入りのようだ。何かにつけて彼女を呼び寄せていることはアレックスも把握している。

 雪うさぎは寒冷地方に住まう魔法動物だ。うさぎの一種で弱いが魔法の力を持っている。ひんやり冷気を出すことができるだけで大して脅威でもないため、寒冷地方では貴重なたんぱく源として重宝されている、などと愛好家のブリギッタが聞けば怒りそうな情報をアレックスは頭の中に思い起こした。


「確かブリギッタ殿下は輿入れの際、雪うさぎを連れてこられたのだったか」

「ああ。今は十匹ほど専用の部屋で飼っている。白いモフモフを抱きしめながらエリーゼと親睦を深めるのだそうだ。ずるい……。私だってブリギッタにぎゅぅぅっとされたいのに」


 ブラッドリーは悔しそうに呻いた。要約すると、ブリギッタに構ってもらたくて、だったら自分が美少女になれば彼女の興味がこちらに移るだろうと考えたそうだ。

 ちなみに雪うさぎ部屋は男子禁制、ブラッドリーも未だに入ることを許されていない。雪うさぎたちは全員メスで、わたくしの娘たちに男は近寄るな、ということらしい。なんともブリギッタらしい言い分である。


 アレックスはすくっと立ち上がった。

 ブラッドリーを置いてすたすたと部屋から出て行こうとする彼をブラッドリーが追いすがる。

「私を置いてどこに行くんだ。あ、もしかして王城の図書室か? 古の魔法書に変身魔法のヒントが隠されていないか調べに行くんだな?」


「エリーゼを回収しに行く」


 アレックスは素っ気なく言って部屋を後にした。




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