第48話 呪い設定のその後 前編

 バートが呪われている。そう切り出したのはキャロルの主であるエリーゼだった。

 同じ年の奥様エリーゼはふわりと物腰が柔らかで庇護欲をそそられる、それは大変に可愛らしい女性である。


 その彼女がある日、悲壮な顔でキャロルたち侍女を集めて言ったのだ。曰く、バートは女性と話すと苦しみだす呪いを背負っていて、それはアレックスであっても解くことができない代物。


「だからね、バートさんのためにもわたしたちはあまり彼に近づかないようにしなければならないの」


 エリーゼの忠告にキャロルたちはこくこくと真剣な面持ちで頷いた。

 異性と話すと苦しみだすなんて、それはとても生きづらいに違いない。しかし、彼はそのような境遇であるにも関わらず、いつも明るく元気だ。


 きっと、彼はわざとあのように元気いっぱいに振舞っているのだ。そうに違いない。魔法使いの家系ではないキャロルには、その知識もあまりなく難しいことは分からないけれど、人生笑った方が断然にいい。嫌なことだって笑えば多少は忘れることができるから。

 バートは頑張り屋さんなんだなあ。キャロルは密かにそう思った。


「おはよう、キャロル、ディースリー。今日もいい天気だな」

 満面の笑顔で食堂に現れたバートが自分たちに向かって話しかけてきている。

「……」

「……」


 キャロルたちはそっと彼から視線をずらした。彼は会えばこちらに挨拶をしてくる。もちろん、それはとてもよいことだ。円滑な人間関係を築くうえで大変に重要なことだと思う。


 しかし、しかしだ。

 キャロルはあからさまにバートから視線を逸らした。


(わたしたちがあいさつに応じると、会話が成立しちゃうじゃないっ!)


 彼は呪い持ちなのだ。女性と話すと苦しみだすのに、うっかり返事をしてしまうわけにはいかない。そうすると彼の呪いが発動してしまうではないか。

 それなのに、彼はいつもそれをこちらに悟らせないように演技するのだ。


「ええと、今日の朝ご飯はなにかな。卵料理はオムレツかな。それともゆで卵かな」

「……今日は、ゆで卵よ」


 居たたまれなさに負けてキャロルがつい返事をすると、隣の席に座っていたディースリーが小突いてきた。分かっている。しかし、ここで無視をするのも良心が咎めてしまう。だって、彼はこんなにも健気なのだ。


「そっか。ゆで卵か」


 使用人用の食堂はまだまばらで、バートは素早く皿の上に己の分の朝食を取り分けた。ここでは給仕はいないのである。大皿に盛られた料理から自分の食べたい量を皿に取るのだ。たまにデザートが供されることもあって、取り合いになる。


 キャロルと話したバートは気丈にも痛みを押し隠し、朝食を頬張り始める。心配になってついそちらのほうを見てしまう。


(バートさんったら、とっても健気……)


 今だって苦しさを見せまいとしているに違いない。

 見つめていると目が合った。途端に彼が破顔した。曇りのない、晴れやかな笑顔である。

 再び彼が口を開きかけたため、キャロルは思い切り彼から顔を背けてしまった。





 健気なバートはキャロルやディースリーら侍女たちに積極的に話しかけてくる。奥様付きの侍女とアレックスの一番弟子(というか弟子は彼しかいない)という立場なので、日々それなりに顔を合わせる機会があるのだ。


 そういうとき、彼は社交辞令なのかこちらに会話を振ってくるから、いつもひやりとしてしまう。

 エリーゼもバートとはなるべく口を利かないように努力をしているのに、キャロルはつい話しかけられると返事をしてしまうのだ。まずいと思って最近はお仕着せのポケットの中に紙を用意した。ディースリーの知恵である。


 無視するのは悪いから、「おはよう」や「はい」や「いいえ」などといった言葉を書いた紙を用意しておき、その場面に応じて彼に見せるのだ。

 なかなかの名案だと思ったのだが、これをバートに見せた時、彼はあからさまに頬を引くつかせていた。それからぶつぶつと「師匠のあほんだら」とかなんとか言っていた。


「ああ、キャロル。バートのところにこれを持っていっておくれよ」


 料理番から呼び止められたキャロルはちょっとだけ躊躇ってしまった。なるべく彼とは接触しない方がいいのでは、と考えるからだ。

 しかし、料理番はそういうことに頓着しないのか、大きな体を揺らして「冷めちまうからよろしく」とキャロルに仕事を押し付けて、行ってしまった。


「もう……」


 バートは屋敷の離れに住んでいる。一階はアレックスの研究室で、二階がバートの部屋である。彼の立場はキャロルのような使用人とも微妙に違う。何しろ彼は優秀な魔法使いなのだ。しかも、あのアレックス・シェリダイン閣下の一番弟子。

 本当なら使用人用の食堂を使う必要も無いのである。だが、人懐こい彼は大勢で朝食をとることのほうが好きらしい。朝食はその傾向が顕著だ。


(だからつい忘れちゃうのよねえ。バートさんて、エリート魔法使いなのよね)


 キャロルは外に出て離れに向かった。入り口は開いているから二階までは自由に出入りすることができる。

 扉をノックすると、すぐに開いた。


「はーい」

 間延びした返事が中から聞こえた。その数秒後、扉が開き目の前にバートが現れた。

「キャロル!」

 バートの顔が明るくなった。人懐こい笑顔のおかげでバートとは話しやすい。


「うわ。キャロルが来るなんてめずらしい。あ、でも今散らかってて」


 キャロルは無言で届けものを彼に押し付けた。銀色の容器の中には本日の夜食が入れられている。

 彼とは話してはいけないのにいつもこうして話しかけてくるのだ。大体、エリート魔法使いなのだからもっと気取っていればいいのに。侍女となんて話す価値もないぜ、的な感じで厭味ったらしい男であればこちらも罪悪感を持たずに彼から話しかけられても無視できるのに。


「え、ああ。俺に夜食……。使いパシリさせちゃったか。ごめん。あ、そうだ。お菓子あるんだけど、食べる?」


 キャロルはふるふると全力で首を振った。

 すると、彼はあからさまに消沈してしまう。なんとなく、捨てられた子犬を思い浮かべてしまいキャロルの胸がきゅんと痛んだ。

 しかもたかだか侍女に気遣いまでしてくれるだなんて。やっぱりとてもいい人だ。


「これはひとり言なので、聞き流してください。明日も仕事なので、あんまり長居できないんですぅぅぅ」


 それだけ一気に言うと、キャロルは脱兎のごとく逃げ出した。

 どうか呪いが発動しませんように。それだけを祈った。

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