第41話 エリーゼのちから9

 時間は少し遡り、エリーゼを腕に抱き支えながらアレックスは空を飛んだ。

 フォースター家とシェリダイン家の屋敷はそこまで離れていない。共に貴族のお屋敷街に建っている。空高く飛び立つと、比較的すぐにフォースター家を目視することが出来た。

 屋敷は半壊状態で、黒く不気味な大樹が文字通り暴れまわっている。


「でかいな……」


 アレックスが誰に言うでもなく、感想を述べた。


 エリーゼとしても同意見だった。たしかに大きい。本来のフェス・ディ・アーボがどのような形態の木なのかは分からないが、魔法灯で照らされているそれは、人が何人も手を繋いでやっと幹を一周できそうなくらい太く、表面も固そうだった。


 通常だと、何百年もかけてここまで太く成長するような巨木が、フォースター家の屋敷から生えていた。


「おそらく、いくつかの集合体だ。どうやら魔法省の結界部門と王付き魔法使いたちが力を合わせて結界を張ったようだな」

 隣を飛ぶガレイド教授が状況を解説する。

「しかし、結界に閉じ込めても時間稼ぎにしかならないぞ。結界は魔力で出来ている。何層にも渡って結界を敷いているが、奴が魔力を吸いきってしまえば結界は崩される」


 分厚い結界を張っても、魔力を吸うフェス・ディ・アーボには少々の時間稼ぎにしかならない。結界を構成する魔力がフェス・ディ・アーボにとって食事も同じだからだ。

 それでも、結界を張っておかないと周囲に被害が拡大する。


 アレックスが近くへと移動する。

 確かに、フェス・ディ・アーボは凶悪に枝葉を動かしているが、何かに閉じ込められているように、天井や側面に当たって弾かれるような動きをしている。

 フォースター家を見下ろせる場所から視界を下にやる。屋敷は見るも無残な状態だった。


(お父様たちは無事なの? どこにいるの?)


 エリーゼはせわしなく視線を巡らせた。地上にも大勢の人々が集まっている。

 フォースター家の近くの屋敷も、場所によっては屋根が吹き飛んでいる。


 アレックスの到着に、地上から幾人かの魔法使いが飛び上がってきた。飛空の魔法でアレックスの側へとやってきて、対処方法について話始める。


 一番手っ取り早いのは、フェス・ディ・アーボごとあたりを吹っ飛ばすやり方だ。アレックスを含めた幾人かの魔法使いが力を合わせれば可能だが、それをするとあたり一帯が焦土と化す。


「ここは奥方の出番だ。奥方よ、強く願うんだ。この間、紫胞子の木を静めた時のように。あれに触れて、強く。出来るか?」

「やってみます」


「フェス・ディ・アーボを吹っ飛ばすかどうかは、奥方の能力を試した後だ」

「そんな悠長な暇などないのではありませんか、ガレイド教授。結界は今にも破られそうですぞ」


 ガレイド教授の案に、魔法使いの一人がかみついた。


「あっ! 魔法樹の勢いが増したぞ」

「結界を張りなおせ!」


 誰かが叫び、全員が下を見下ろした。

 結界がぴしりと音を立てたのが分かった。実際に音が鳴ったわけではない。しかし、透明なはずの結界が一時光り、ひびが入ったのだ。


「私が張りなおす」


 アレックスが片方の手を前に出す。

 力を込めているのがエリーゼにも分かった。フォースター家周辺が一瞬光り、フェス・ディ・アーボの動きが再び制限された。


「エリーゼ、危険だ。それでも、行くのか?」


 アレックスの声は先ほどよりも静かだった。彼だって分かっているのだ。ここまできたら、もうエリーゼを止めることはできないということを。それでも、彼はもう一度問いかけた。


「ええ」

 しっかりとアレックスの目を見つめて、エリーゼは返事をした。

「大丈夫です。わたしはアレックスを信じています」


 自分一人では足がすくんでいた。

 けれども、すぐ隣にはアレックスがいる。それがとても心強い。信じられる人がいるから、多少の無茶だって出来るのだ。


「そういうわけで、ガレイド教授にはおとり役をしてもらいたい」

「ふへっ? 私が?」


 突然の指名にガレイド教授が変な声を出した。


「あれを引き付ける役が必要だ。その間に私とエリーゼが根元に降りる。盛大に引き付けておいてください」

「なっ。絶好の観察の機会だというのに! よし、その役目ドリゲルズ君に任せたぞ!」

 ガレイド教授が近くで箒にまたがる男を名指しした。


「何人でもいい。とにかくあれの気を引け」

 アレックスの声が一段低く、そしてぞんざいになった。


「おい、根元に女が取り込まれているぞ!」

 魔法使いの一人が叫んだ。女と聞こえて、エリーゼの肌がぞわりと粟立った。


「ほんとうだ! だからさっき奴の勢いが増したんだ!」

「くそ。早くどうにかしないと、彼女が魔法使いなら、魔力をどんどん吸われることになるぞ」

 周辺を飛ぶ魔法使いが口々に話し始める。


「まさか、マリージェーン?」

「急ぐ必要があるな。誰でもいい。さっさとおとり役をしてこい!」


 彼らは次々と結界の中へ侵入をして、フェス・ディ・アーボに向けて魔法を放った。風魔法が太い枝を切り刻む。

 攻撃魔法を受けたフェス・ディ・アーボは、標的を空中の人間たちに変え、一斉に枝を伸ばしてくる。すさまじい速さに、防御魔法が追い付かない。


 エリーゼたちもその隙に結界内へ侵入をして、巨木へと近づいた。すると、近づく人間の気配に気が付いたのか、こちらにも枝葉が伸びてきた。

 アレックスは魔法を使い、フェス・ディ・アーボの枝を燃やし落とした。しかし、枝はすぐに生えてきて、こちらに向かってくる。切り刻んでも同じだ。すさまじい生命力にエリーゼは心が折れそうになる。


(まさか、こんなにも強い植物だなんて)


 安易に役に立てると思ってしまったことを悔やみそうになって、慌てて弱気な心を追い払う。ここで踏ん張らなくては、最終的には屋敷ごと燃やすことになってしまう。

 そうなると、フェス・ディ・アーボに捕らわれているマリージェーンも道連れになってしまう。


(そんなの、絶対に駄目!)


 いじわるなことばかり言われたけれど、死んでほしくはない。

 絶対に助ける。


 頭上から魔法使いたちの攻撃魔法が一斉に解き放たれた。フェス・ディ・アーボの気がそちらにそれた。アレックスたちに向いていた枝たちの軌道が上に向いた。


 おとりが功を奏し、アレックスはその隙にフェス・ディ・アーボの下へと降りていく。

 エリーゼは無意識に息を詰めた。半壊の屋敷に根を下ろす、その近くにマリージェーンがいた。幹に半ば埋まるように捕らえられている。


「マリージェーン!」

 エリーゼは叫んだ。けれども返事はない。もう一度叫んでも同じだった。


「まずい! 気づかれた」

 その声とエリーゼが足を地につけたのが同時だった。急いで巨木に駆け寄り、両手を前に突き出す。


「お願い! 大人しくなって。小さく、なって!」


 この騒ぎを静めてほしい。これ以上暴れないで。

 マリージェーンを返して。彼女と、こんな風に別れたくない。


「フェス・ディ・アーボ、静まって! 言うことを聞いて!」


 ありったけの願いを込めて叫んだ。

 わたしに植物を操る力があるというのなら。ここで発揮して。

 これ以上の被害を出さないで。


 ぐっと力を込めた。強い願いを、フェス・ディ・アーボに伝えるように、何度も頭の中で繰り返し同じ言葉を紡いだ。


 どれくらい時間が経ったのだろう。

 気が付けば、喧騒は止んでいた。触れていた幹がどくんと脈打ったような気がした。

 抵抗のように、ぶるりと震えたそれが、ゆっくりと縮んでいった。


 とん、と両ひざを床についた。

 フェス・ディ・アーボが静まっていく。時間を逆回転させるかのように、巨木が小さくなっていった。その途中、幹に半ば埋まるように捕らえられていたマリージェーンが自由になった。


「マリージェーン!」


 エリーゼは従妹に駆け寄った。

 どさりとその場に倒れた彼女の近くに身を屈めて、呼吸を確認する。弱弱しくはあったが、マリージェーンの息遣いを確認してホッとした。


(よかった。ちゃんと生きていた)


「エリーゼ……」

「エリーゼ」


 二人の男の声が同時に聞こえた。

 振り向くと、アレックスと父マーカスの姿があった。マーカスは、顔に擦り傷を作っていて、腕を汚していたが、きちんと自分の足で立っていた。


 その姿にもう一度安堵をした。


「お父様、アレックス」

「エリーゼ、頑張ったな」


 アレックスの声を受けて立ち上がろうとしたら、膝が今頃になって震えてきて、そのまま前に倒れそうになった。

 すかさずアレックスがエリーゼを抱き留め、そのまま横抱きにした。もっと、毅然としていたかったのに、まだまだだ。


「あ、フェス・ディ・アーボは?」

「小さな姿に戻った。あれだとただの草のように見えるな」


 アレックスが体の向きを変えた。

 半壊になった屋敷の床だった場所で、すっかり小さくなったフェス・ディ・アーボの苗木が数本、うねうねと動いている。

 それを見て、ようやく丸く収まったのだと実感をした。


「エリーゼ……礼を、言う」


 マーカスがためらいがちに声を掛けてきた。

 その言葉に、エリーゼは目を見張った。父から礼を言われたのは初めてのことだった。彼はどこかきまり悪そうに小さく咳払いをした。そこでエリーゼは自分が固まっていたことに気が付いた。


 何か、言わなければ。


「い、いいえ。役に立ててよかったです」

「こちらこそ……助けに来てくれて、礼を言う」


 再び感謝の意を示されて、胸が早鐘を打つ。今まで否定ばかりされてきたため、これ以上何を話していいのか分からない。


「あぁあああああぁぁ‼ 貴重なフェス・ディ・アーボがぁぁぁぁ‼」


 気まずい空気をかき消すかのように叫び声が聞こえた。この世の終わりのようにその場に崩れて嘆いているのはガレイド教授だった。

 すぐそばで、何かが燃えている。先ほどまでフェス・ディ・アーボが動いていた場所だ。

 気が付くと大勢の魔法使いたちが現場を取り囲んでいた。


「こんなもの、さっさと燃やすに限りましょうが」


「しかし、貴重なサンプルだぞぉぉぉぉ」


 燃やした魔法使いの男に、ガレイド教授が涙を流しながら取りすがっている。

 辺りが一気に騒がしくなった。

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