第39話 エリーゼのちから7

 魔法灯の明かりの下でせっせと刺繍に励んでいると、影が落ちてきた。

 顔を上げると、アレックスが佇んでいる。

 夜も更けてきた頃合い。そろそろ眠りにつくために寝台に入ろうかという時間だ。


 エリーゼはふわりと微笑んだ。この三日間、アレックスは王城に宿直だったのだ。国の重要人物でもある王付き魔法使いたちは緊急時に即座に対応するために、持ち回りで王城に宿直をしている。王城にはシェリダイン家の人間が使うことのできる部屋が用意されている。


「それはなんの鳥なんだ?」


 エリーゼが刺しているのは手巾だ。花と鳥をモチーフにしている。できあがったらアレックスに贈るつもりなのだが、彼に隠し事など出来るはずもないため、最初から刺繍を刺していることは知られている。

 エリーゼが鳥の名前を言うと、アレックスは「今度観察に行こう」と提案をした。


「そういえば、ゆっくりと公園に行っていないですね。出会いは公園だったはずなのに」


 結婚生活に慣れることに手一杯で、せっかく気持ちの良い季節なのに、公園を歩いていない。とはいえ、王城やら王立魔法学院やら、緑の美しい場所を訪れているため、欲求不満というわけではない。


「きみとまた、外で昼食を食べるのもいいな。公園でなくても、フィデリスから少し離れてどこかへ行くのでもいい」

「それは楽しそうですね。お弁当を持っていきましょうね」


 生まれてこのかた、フィデリスから出たことが無いため、その提案には心が弾んだ。

 フォースター家は地方に荘園も持っているのだが、マーカスは遠縁に管理を任せており、彼自身がその地を踏むことは滅多になかった。


「その前に舞踏会があるな」

「はい。アレックスの魔法楽しみです」


 アレックスが両腕を差し出した。エリーゼは立ち上がり、その腕の中に飛び込む。

 即座に抱きしめられて、胸の中が満たされる。一人きりの寝台は物悲しかった。お仕事とはいえ、一人寝は寂しいとここ最近特に感じてしまうのだ。


 アレックスへの気持ちを認識して以降、どんどん彼のことが好きになっている。

 彼の胸に顔を擦りつける。ふわりと、アレックスの香りが鼻腔をくすぐり、とても安心をした。


 今日はきっと、甘い夜になる。

 その予感に、身体の方が先に反応してしまう。


 どちらからともなく、顔を近づけ掛けたその時、扉が大きな音をたてて叩かれた。

 容赦のない音と、外から聞こえる、リッツの急いた声に二人はぴたりと動きを止めた。

 アレックスは不愉快そうに、眉を寄せ顔を扉の方へ向けている。


「リッツ。一体、何の用だ」


 ため息をひとつ吐いて、アレックスは大きな歩調で扉へと近づき、がちゃりと開けた。


「旦那様、王城から至急の伝令です」

 リッツがアレックスの耳元で何事かを囁いている。

「なんだ、それは」

「とにかく、事態の収拾を図ってほしいとのことで、魔法の遣いが届きました」


 エリーゼは二人のやり取りを見守っていて、話が一区切りついたところで彼らに近寄った。


「あの。何か、あったのでしょうか」

「フォースター家の屋敷に巨大な生き物が現れたらしい。屋敷が襲われているそうだ」


 ぐらりと、身体が傾いだ気がした。血の気が引いて、足元がおぼつかない。

 力が抜けて、崩れ落ちそうになったところを、アレックスが支えてくれた。


「うそ……」


 だって、今は夜だ。何事もなく、もうすぐ一日が終わるのに。

 一体何が起こっているのだろう。エリーゼの身体がカタカタと震えだす。


「今から私が行って確認をしてくる」

 アレックスがしっかりとした声を出したから、エリーゼの頭にも酸素が回り始めた。


「わたしも。わたしも行きます」

「だめだ」

「でも!」


 アレックスはにべもなく言い、エリーゼを置いて出て行ってしまう。


 何かしていないと、気がおかしくなりそうだった。だって、実家が襲われているのだ。あそこには家族がいる。父がいるのだ。優しくされた覚えなど一度もないのに、それでもやはり、彼はエリーゼのただ一人の父なのだ。


 エリーゼは衣裳部屋に駆け込んで、白い木綿のシャツと紺色のスカートを取り出した。ガレイド教授のもとに通うようになり、用意してもらった汚れてもいい服だ。これなら外出着とは違って一人でも着替えられる。


 ブラウスのボタンを閉めているところで、侍女が駆け込んできた。女主人の意をくんで、侍女たちが手早く支度を整えてくれる。


「アレックス様!」


 着替え終わり階下へ急いで向かうと、アレックスは今まさに出かけようとしているところだった。すぐそばには弟子のバートもいる。

 エリーゼの格好を見て、アレックスはその意図を正確に察し、ぎゅっと眉を寄せた。


「わたしも連れて行ってください」

「危険だ。この屋敷の周りに結界を張った。エリーゼはここから一歩も出てはいけない」

「でも、父がいるんです。マリージェーンだって、住んでいるんです」


 エリーゼはアレックスの胸にすがりつく。

 開け放たれた正面の扉からエリーゼも外に出た。暗闇に支配されているはずなのに、うっすらと橙色の光が夜空を染めている。


「閣下。お急ぎを」


 迎えに来た魔法使いがアレックスを急かす。

 そのとき、空から男性が降りてきた。箒に乗ったガレイド教授だった。


「シェリダイン! 奥方を借りたい」


 箒から降り立ったガレイド教授がエリーゼを見つける。勢いよく突進してくる、その進路を遮るようにアレックスが立ちはだかる。


「断る」

「フォースター侯爵の屋敷を襲っているのは、魔法植物だ。巨大化して、暴走している。私も空から眺めただけだが、あれはおそらくフェス・ディ・アーボという名の魔法樹だ」


 舌を噛みそうな名前である。


「悪魔の樹か。罪人の樹、とも呼ばれていた、古の魔法植物だな」

 アレックスがガレイド教授の言葉を引き継ぐ。


「魔力を吸うんだ。人や魔法生物など、魔力を持っている生物から魔力を吸い、成長をしていく。フェス・ディ・アーボというのは、古い言葉で悪魔という意味だ。魔法使いにとっては悪魔のような存在だ。その身に宿す魔力を吸われるのだから」


 アレックスがエリーゼのためにフェス・ディ・アーボの特性を説明してくれた。


「とにかく。暴走を止めるにはエリーゼ・シェリダインの緑の手が必要だ。彼女の能力は魔法植物によく効く。おそらく、暴走をしているアレにも効くはずだ。というか、私がそれを見たい!」

「ふざけるな。教授の興味だけで、私が可愛いエリーゼを危険な場所に送り出すとでも思ったのか?」

「行きます! わたし、やります」


 アレックスの声に被せるように、エリーゼは彼の背後から抜け出してガレイド教授に聞こえるように返事をした。


「エリーゼ⁉」

 アレックスが驚愕に目を見開いている。


「連れて行ってください」

「エリーゼ!」


 アレックスに抱き込まれる。ぎゅっと力が込められ、「だめだ」という言葉が落ちてくる。とても真剣な声だった。


「でも。魔力を吸って成長をするのなら、屋敷にいるはずの父やマリージェーンがどんなことになっているか……」

「私がどうにかする」


「いや、ここは緑の手の本領発揮の場面だろう。だいたい、シェリダインほどの魔力をぶつけたらフェス・ディ・アーボがますます元気になるだけだ」


「そもそも、一体どうしてそんなものが突然フォースター家に現れたんだ」

「おそらく、フォースター家の蒐集品に含まれていたのだろう。あああ羨ましい。私が育てたかった」


 その言葉に、エリーゼはぎくりとした。

 もしかして、自分が蒔いた種の中にその悪魔の樹のものが含まれていたのだろうか。

 いや、正体不明の謎植物として育てていた苗は全部お嫁入りの時に持ってきた。種だって、種類が違えば形や大きさだって違うはず。エリーゼは一種類の種しか撒いていない。


「しかし、蒐集品が突然に芽吹いて巨大化するものなのか……?」

 アレックスが独り言のように、疑問を口にする。


「それについては、わからん。わかっているのは、フォースター家が大惨事だということだ。……ここで話していてもらちが明かないぞ。シェリダインよ」


 アレックスを迎えに来た魔法使いたちの顔にも焦燥の色が浮かんでいる。

 エリーゼはじっとアレックスを見つめた。

 互いの強い視線が交差する。ここで、目を逸らすつもりは無かった。


「だめだ」


 エリーゼの言いたいことを理解するアレックスは言い切った。

 仕方なく、ガレイド教授に顔を向けると、彼は「よし。私の箒の後ろにまたがれ」と元気な声で誘われた。


 頷きかけたそのとき、抱きしめられた。


「エリーゼ!」


 それは、エリーゼを行かせまいとするアレックスの悲痛な叫びだった。

 大事にされているのは、よくわかっている。アレックスはエリーゼのことを本気で心配しているのだ。

 その心が嬉しい。


「シェリダインよ。きみも国付きの魔法使いだろう。妻が大事なのはわかるが、義務を怠るな」


 父親ほどの年齢のガレイド教授が静かに指摘をする。アレックスはぐっと言葉を飲みこんだ。彼だって、分かっている。魔力を吸う特殊な樹を相手にするのなら、魔力のないエリーゼが切り札になる可能性があることを、きちんと理解をしている。


「アレックス。行かせてください。大丈夫。……だって、あなたがわたしを守ってくださるのでしょう?」


 エリーゼが勇気を出せるのは、アレックスがいるからだ。

 彼が守ってくれると信じられるから、未知の巨大植物とだって相対できる。


「エリーゼ……」


 アレックスが泣き笑いのような顔を作った。


「当たり前だろう。きみを守るのは私の役目だ。誰にも渡さないし、私以外の男と一緒に箒に乗るのも禁止だ」


 そっと、彼の両手がエリーゼの頬に添えられる。互いに、見つめ合う。

 エリーゼが小さく頷くと、アレックスの口付けがこめかみに落ちてきた。


「さて、話はまとまったな。では、シェリダイン移動魔法を発動されてくれ。根元に降り立って、奥方に一気に沈静化させてもらう」

 と、そこでアレックスとエリーゼが固まった。


「それはできない」

「どうしてだ⁉」

 この期に及んで断られると思っていなかったガレイド教授が叫んだ。


「エリーゼは移動魔法酔いをする。前回は気を失った。緑の手の能力を使うどころではない」


 アレックスの隣で、エリーゼは肩を小さく縮こませた。

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