第33話 エリーゼのちから1
エリーゼはその後、週に二度ほど王立魔法学院に通うことになった。
二回目以降はエリーゼ一人で通っている。アレックスは何かにつけてエリーゼを送ろうとしてくれるのだが、丁重に断っている。彼だって忙しい身の上だからだ。
ガレイド教授の研究室は学院の奥に位置している。
学園の敷地は広大で、公園のように緑が生い茂り、美しく整備されている。歩いているだけでも良い運動になり、また初夏のこの季節、とても気持ちがいい。
とくに、奥に進むほど緑が濃くなってきて、大きな木々に隠されるようにガレイド教授の研究棟は建っている。
森のような木立を抜けると、今度は煉瓦の塀が現れる。エリーゼの腰ほどの高さのそれの向こう側に薬草園があり、その奥に研究棟と温室が建てられているのだ。
研究棟は、あまり大きくはない。とはいえ、郊外にあるそこそこ裕福な市民の戸建てくらいの大きさはあり、入口のすぐ横には控えの間と応接間も備わっている。
「あ、お待ちしておりました。エリーゼ様」
木立を抜けたあたりで、薄茶の髪の毛を後ろで無造作にまとめた女性が手を振り上げた。
「フィービーさん」
エリーゼは笑顔を作って駆け寄った。
ガレイド教授の弟子でもある彼女はなにかと親切で、毎回こうして迎えに来てくれるのだ。
「フィービーでいいですよぉ」
「けれども」
「ふふ。エリーゼ様は真面目ですねぇ。では、行きましょうか」
二十五歳だという彼女の方が年上で、長年ガレイド教授の弟子をしているのだ。身分ではエリーゼの方が上なのだが、だからといってすぐに砕けた言葉遣いになれるはずもない。
ふにゃりと相好を崩したフィービーと一緒にエリーゼは歩き出す。
エリーゼはガレイド教授に協力する形で、緑の手と呼ばれるものが実際どのような能力を有しているのか、そして植物にどのような作用を及ぼすのかの研究をすることになった。
特に魔法植物に対する効果についてガレイド教授は興味を抱いている。
温室に案内されたエリーゼは物珍しくて、つい顔をいろんな方向にやってしまう。
「ここで生育しているのは、そこまで凶悪なものはいませんから怯えなくても大丈夫ですよ」
冷たい飲み物を運んできたフィービーの声にエリーゼはひとまず安心をした。
シェリダイン家の蔵書にあった魔法植物辞典には、なかなかに恐ろしい人食い魔法植物が掲載されていて、顔を青くしたからだ。
森や山には人を食べる魔法植物も生息している。そのような凶悪なものたちから国民を守るために国の各地には王立軍魔法防衛隊が設置をされている。
「待っていたぞ、シェリダイン夫人」
今日もうっすらと無精ひげを生やしたガレイド教授が奥から顔をのぞかせた。白衣がよれっとしているから、数日家に帰っていないに違いない。
エリーゼがガレイド教授の研究室に通うことになって、アレックスは条件を付けた。
至極簡単なことで、要するに、エリーゼが男性と決して二人きりにならないことというものだ。これに対してガレイド教授は大分頭を抱え込んでいた。この研究室、女性はフィービーだけなのだ。
エリーゼとフィービーは並んで奥へと進んだ。
「女性の研究員、あんまり居ついてくれないんですよねえ。教授がコレなので……」
ふう、とフィービーがため息を漏らす。
「コレですか……?」
「変人なので」
さらりと酷い返事が返ってきた。下手に返事をしないほうがいいと思い、エリーゼは曖昧な顔を作った。
フィービーはなかなかに正直者なのだということをこの数回の訪問で学んでいる。
「大丈夫です。エリーゼ様のことはわたしがちゃんとお守りします。……でないと、この研究室ごとシェリダイン閣下にぶっ飛ばされそうですから」
今も楚々とした笑みを保ちながら、とんでもない発言をした。
さすがに、ぶっ飛ばしはしないはずだ。たぶん……。
エリーゼはきゅっと、胸元を飾る首飾りを握った。
温室の中はいくつかの部屋に仕切られている。
内扉を開けてはいると、足元をちょろちょろと小さなものが動き回っている。
毒々しい色をしたそれらは、どうみてもキノコだった。
「可愛いでしょう。毒キノコの一種です」
「……毒ですか」
フィービーのうっとりした声に頬が少し引きつった。
「けれども、臆病で脱走癖があって、管理が大変で」
「はあ……」
名前はウェネーム茸というとのこと。派手な赤色ややたらと発色の良い青色をした傘の大きなキノコはつぼの下から小さな足らしきものを生やして動いている。
彼らは人間の気配に気が付いたのか、散り散りになって隅っこの方へ隠れてしまった。
「毒キノコですが、乾燥をさせると耐魔法毒の治療薬にもなるんです。毒を持って毒を制するってことですね。とくに、げっ歯類系の魔法生物の毒に有効です」
フィービーの説明に感心して聞き入る。
この研究室では、魔法植物から通常の薬草まで幅広く育てているのだ。ウェネーム茸は有能だが、ちょろちょろと走り回り、捕まえるのが一苦労らしく、安定供給のため品種改良の真っただ中。
今日のエリーゼの主な目的は魔法生物に対して、緑の手がどのように作用をするのか、直接触れ合ってみようというのだとガレイド教授が説明してくれた。
エリーゼは言われるままいくつかの植物に触れていった。
エリーゼは確かに昔から植物を育てることが得意だったが、無意識だったため、未だに能力云々と言われてもピンと来ない。
発動にムラがあるらしく、想いを込めてもうまく作用しないこともある。
「相性の問題もあるのかもしれないなあ」
ガレイド教授がカリカリと帳面にペンを走らせている。
言われた通り、念じたのだが彼が期待する効果が無かったせいだ。
「やっぱり、わたしはごく普通の人間なのではないでしょうか」
「しかし、このあいだは綿(わた)胞子(ほうし)草を見事に開花させたではないか」
ガレイド教授が言う、綿胞子草とは、数年に一度ふわふわとした綿のような種を一斉にまき散らす植物で、その種には解毒作用がある。人の手の入った環境下ではなかなか育たず、安定供給を目指してフィービーが外の花壇に植えて、研究をしている。
「むさくるしいおっさんよりも、わたしのほうがエリーゼ様のお気に入りだとか?」
「フィービー君。本当にきみって子は一言多いな」
「無精ひげのままのおっさんなのだから、仕方ないです」
ガレイド教授のジト目にもフィービーは動じない。
エリーゼはあのとき、フィービーの話した内容に興味を引かれのだ。
趣味で薬草を育てているといっても、エリーゼが手に入れられるのは広く流通している種がほとんどだった。もちろんそれだって市井の人間からしたら高価でなかなか手が出せないというものもあったのだが、自生している植物を採集することは考えたこともなかった。
自分がこれまで見たことも触れたこともない薬草が目の前にあって、目をキラキラとさせた。人間見られないと思うと見てみたくなるもので、好奇心を刺激されたエリーゼはその想いを込めて綿胞子草に触れたのだ。
純粋な興味だけだった。せっかくフィービーが育てたのだから、成果が表れてほしいとも思った。
すると、花壇の綿胞子草たちが葉を揺らし、みるみるうちに成長をした。蕾をつけ、花を咲かせ、一斉に円形のふわふわした胞子を放出させたのだ。
この間のことを回想したエリーゼは、未だに言い合いを続けている仲の良い師弟に声を掛ける。
「ええと、おそらくですが……わたしの気持ちも作用しているのではないかと」
二人がぴたりと口を閉ざした。
エリーゼは花を咲かせる直前の心境を拙くも表現をした。
「ということは、エリーゼ様の興味をいかに引き出すかが重要なのですね」
「やみくもに植物に触れさせるのは駄目ということなのだな」
その後の話し合いで、エリーゼはしばらく魔法学院に生息する植物見学をしていくこととなった。
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