第31話 特異能力の開花6

 翌朝、目が覚めるとなんだか世界の景色が変わったような気がした。


「おはよう、エリーゼ」

「おはようございます。アレックス様」


 この人から、昨日たくさんの愛情を注がれた。

 それは、エリーゼの胸の中にたくさんたくさん降り積もった。まるで、花畑からたくさんの花を摘んで、花弁をすべてエリーゼの心の中に振りまいたように、ふわふわと柔らかなものがエリーゼの中にあった。


 好きな人と心を通わせることが、こんなにも素敵なことだなんて、今まで知らなかった。

 自然と頬を緩めると、アレックスの表情も柔らかくなった。


「昨日は無理をさせたから、今朝は私がきみの世話をする」

「……」


 改まって言われると、昨晩のあれやこれを思い出して、顔に熱が籠ってしまう。

 だって、アレックスは寝台の上で、たくさん「愛している」と伝えてくれたのだ。


 耳裏に彼の少し急いて切羽詰まった声が蘇り、エリーゼの心臓がとくとくと早くなる。


「エリーゼ?」

「いえ、あの」


 エリーゼはなんでもない、と首を小さく振った。

 アレックスはエリーゼの頬を撫でたあと、起き上がった。なんとなく、恥ずかしくって視線を逸らしてしまう。

 互いにガウンを着込み朝の身支度を、と思う間もなくアレックスによって抱きかかえられた。


「え、あの?」

「今日は私に任せてほしい」


 一体何が始まるのだろう。目を白黒させているのに、アレックスの中ではこのあとの予定がすっかり固まっているらしい。使用人を呼び寄せ、二、三言話をして、なぜだか浴室へと連れていかれた。

 いや、相変わらず抱きかかえられたままだから、運ばれたという方が正しいのかもしれない。


 そして、待っていたのは。

 一緒に湯あみをするという、びっくりするような体験だった。


 これが普通なのだと言われて半泣きになるエリーゼに同情をしたのか、侍女が泡ぶろを作ってくれた。たしかに、泡のおかげで少しは体の線を隠すことができたが、そもそも朝ということもあり、浴室が明るい。


「アレックス様。あの、これが本当に夫婦の正しいあり方なのですか?」

「夫婦は一緒に湯あみをするものだと、聞いた」

「えええ……」


 エリーゼは困惑しか乗っていない声を出すのに、アレックスは平然としている。

 先ほどから、物理的に彼にお世話されっぱなしだ。


 大きな浴槽は、大人が二人入ってもそこまで窮屈さを感じさせない。

 しかし、後ろから彼に抱きかかえられるような体制のため、ものすごく心臓に悪い。


 それでも、相手がアレックスだからエリーゼもなんだかんだと湯あみをしてしまったわけで。

 ぴたりと合わさった肌と肌の温度が心地よくて、エリーゼは目をつむった。

 こんな穏やかな日々が来るとは、ほんの少し前の自分には想像もつかなかった。


 少々長めに湯あみをして、浴室から出たあとも、エリーゼはアレックスによって甲斐甲斐しく世話を焼かれた。

 アレックスは魔法を使ってエリーゼの長い髪の毛を乾かしてくれているのだ。暖かな温風が気持ちよくて、つい目を閉じて彼に委ねてしまう。


「エリーゼの髪の毛は柔らかいな」

「ふふ。アレックス様の手、気持ちいいです」

「私の髪とはまるで違っていて、ふわふわしている」

「くせっ毛なので、実は大変なのですよ」


 暖かな風と彼が触れているという安心感に、ぽろぽろと言葉が滑り落ちる。くせっ毛にまつわるあれやこれを聞きながら、アレックスが櫛を持ち、エリーゼのふわふわの髪の毛をゆっくりと梳いていく。


 何から何までさせてしまって申し訳ないと思うのに、大切に触れてくれているのが分かるので、とてもくすぐったい。胸の奥がうっとり蕩け切ってしまい、もう少しこのままで、と甘えてしまう。


 まるで彼の愛玩動物にでもなったかのようだった。

 その後も彼の腕の中に抱きかかえられて、水分補給のあと、匙が口元に運ばれてきた。


「エリーゼ、美味しいか?」


 柔らかなパン粥は新鮮な牛乳で煮込まれていて、ほんのりとはちみつの香りがした。

 こくりと頷くと、アレックスが満足そうに目を細めた。


「公園で、水鳥に餌をやるきみを見て初めて、私は自分が飢えていることに気が付いた」


 アレックスが再び匙を運ぶ。

 彼の膝の上で、エリーゼはひな鳥のようにパン粥を食べさせてもらっている。

 上目遣いでアレックスを窺うと、彼はさらに口を開く。


「物心ついたころから、魔力の高さを褒め称えられて、世の中に対して冷めていたと思う。女性たちは私を獲物としてしか見ていなかった。すっかり女性不審になって、近寄りたくもなかったのに、公園で餌やりをするきみからは目を離せなかった」


 アレックスは静かに続けた。


「きみと水鳥たちはとてもあっさりとした関係だったから。きみは彼らに何も求めていなかった……」


 エリーゼが水鳥たちに餌をやるのは、基本冬の間だけ。春になれば公園に通うことはあっても、餌はやらない。エリーゼがおすそ分けをしなくても、簡単に食べ物が手に入る季節だからだ。


「きみの視界に入ってみたいと思った。きみは散歩をしている人間たちとも挨拶を交わしていただろう? 時おり、風に乗って声が聞こえてきた。きみが口にする世界は、ささやかで、平凡で。けれど満ち足りているようだった。私はきみの世界を知りたいと思った」

「わたし……どんなことを言っていたのでしょうか?」


「公園のどこで何の花が咲き始めたとか。昨日よりも、木々の芽のふくらみが大きくなっているとか」


 自分はこれまでそんなこと気にも留めてこなかったのだ、とアレックスは続ける。

 生きることの楽しみ方を教えてくれたのは母だった。


 魔力なしで、一族から蔑まれていたエリーゼに、世界の美しさを教えてくれたのはエリノアだった。魔法の力はなくても花は毎年咲くし、木々は成長をする。鳥たちは歌い、風は癒しをもたらす。


「母が教えてくれたんです。昨日よりも、今日の世界は違うのだと。雨が降り、その雫が大地を潤し、作物が育つのだと。風は、渡り鳥たちの移動を助けてあげるのだと。たくさんのことを教えてくれました。昨日とは違う、世界のすばらしさを見つけられる子になりなさいって」


「素敵な御母堂だ」

「はい。大好きな母です」


 エリーゼはにこりと笑った。


「お腹、空いていませんか?」


 ずっと食べさせてもらっていて、彼はまだ朝食に手を付けていない。とはいえ、すでに昼近いのだが。


「食べさせてくれるのか?」


 期待のこもった声に、少し恥ずかしくなったけれど、小さく頷いた。

 求婚時のあの言葉に大した意味などないと決めつけていた。家同士の結婚だけれど、エリーゼが少しでも納得できるように、言ってくれたのだと思ってしまった。


 けれど、彼にとっては本当に、それが真実だった。


 あの言葉の中に、エリーゼに惹かれた意味が隠されていた。こんなにも素敵な人が、自分を選ぶわけが無いと思い込んでいた。


 心を込めて彼の口に食事を運んでいると、いつものように「大丈夫だ」と遮られてしまう。

 どうやら、彼なりに葛藤があるらしい。

 最初は嬉しそうにするのに、途中からうっすらと頬が赤くなるのだ。


「アレックス様、恥ずかしくなるのなら、わたしだって同じなんですよ」

「しかし、妻は甘やかすものだと聞いた」

「甘やかしすぎるのも駄目です」

「難しいな」


 アレックスが真剣な顔をするから、エリーゼは口元をほころばせてしまう。

 彼の気持ちが本物だとわかるから、こそばゆくなってしまう。


「それに、今きみは様を付けた。アレックス、と呼んでほしい」

「……アレックス」


 復唱して、やっぱり恥ずかしくて最後は声が小さくなってしまう。


「湯あみの最中は沢山呼んでくれたのに」

「あれは……無我夢中で」


 散々気持ちよくさせられた中での行為だった。正直、あまり覚えていない。

 このあとエリーゼは練習だと称して散々名前を呼ぶ練習をさせられた。

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