第30話 特異能力の開花5
今日は本当に濃い一日だったと、寝間着に着替えた今もしみじみと感じ入ってしまう。
アレックスの訓練の見学から始まって、王太子夫妻を交えた即席昼食会に、温室見学。
最後は数百年に一度の僥倖に、魔法省からも多くの人が集まった。
「エリーゼ」
名前を呼ばれた途端に、アレックスの胸の中に捕らえられていた。
互いに薄着のため、彼の体温が頬に当たっている。彼はエリーゼを離す気も無さそうだ。王城から帰ってくる間中、ずっと彼は静かだった。いや、何かに耐えるように唇を引き結んでいた。
「アレックス様……?」
「すまない……強く抱きしめ過ぎた」
「いえ……」
アレックスは一度エリーゼを解き放った。彼を窺うと、こちらを見つめる黒曜石の瞳と視線が絡んだ。ふわふわの髪の毛を、彼がそっと撫でていく。
「そういえば今日、あの髪飾りを付けてくれたのだな」
先日買ってくれたガラス細工のことだ。
「はい。とても、きれいで。その……お気に入りなのです」
「気に入ってくれて嬉しい」
他愛もない話をする間も、アレックスはずっとエリーゼの髪の毛をもてあそぶ。
くるくると、指に巻き付けたり、そっと持ち上げて口元へ運んだり。
何気ない仕草に、心をどれだけ騒がせているのか、彼は知っているのだろうか。
アレックスの指先がエリーゼの片方の手を拾う。そのまま持ち上げて、さきほどと同じように口付けを落としていく。
「エリーゼ、ガレイド教授の元に行きたいか?」
「それは……あの」
言いよどむと、アレックスがエリーゼを抱きかかえた。
とっさに彼の両肩を掴む。エリーゼの目線が彼よりも高くなった。
「植物の研究……ということですよね?」
「それだけであることを願っている」
アレックスがエリーゼを寝台の上にそっと降ろした。
どうやら、エリーゼには不思議な力があるらしい。それを指摘したのはガレイド教授だった。数百年に一度しか咲くことのない幻の花、エ・デューラ・ベルゾアが一斉に咲いたのは、エリーゼの願いに反応したからだ、というのがガレイド教授の見立てだった。
「緑の手というのは精霊のいとし子とも言う。緑の精霊に愛された存在であるとも言うべきか。わかっていないことの方が多いが……言えることは、特殊体質の一種であるということだ」
あのあと、ガレイド教授は自身の際どい発言のせいで、抹殺の危機に遭った。本気で命の危機を感じた彼は、暴れ馬を落ち着かせようとする厩番のように、両手を前に出しアレックスに落ち着くよう説得をしつつ、緑の手について説明をはじめた。
ガレイド教授が存外に真面目な顔をしたものだから、アレックスは手の中に魔法玉を作ったまま、一応は聞く姿勢を持った。
「緑の手、だと?」
「私も古い文献で読んだことがあるくらいだ」
「でも、わたし魔力なんて一かけらも持っていません。何度も魔力測定をしたので、間違いではないです」
エリーゼは間髪入れずに申告をした。
「これは魔力の有無とは関係ないことなのだよ。昔からこの世界には精霊の生まれ変わりと呼ばれる人間がいる。例えば風を読むことが上手い人間。彼らは天気を読めば百発百中だ。水に愛された人間は、どんな嵐の中でも必ず生き残ったとか、その人間を乗せて船を出せば、酷い嵐でも船は無傷だとか伝えられている。そういう人間が稀にいる。それが精霊の生まれ変わりと言われる者たちだ。精霊のいとし子とも一部地域では呼ばれているそうだ」
それは酷く曖昧な説明だった。魔力の有無ではなく、体質だから測定できるものではないとガレイド教授は続ける。そして、その体質に気づかず生涯を終える人々もまた多いのだとか。
「本当に精霊の生まれ変わりなのかどうかは分からん。魔力関係なく、何か一点のものから愛される能力だ。その中のひとつに、緑の手という言い方があるのを読んだことがある」
緑の手を持つ人間は植物に奇跡を起こす。とくに魔法植物との相性が良いそうで、過去の文献には緑の手を持つ者の手によって貴重な植物の成長を促したとか、数百年に一度しか咲かない花を咲かせたなどという伝承が残っている。そう、ガレイド教授は続けた。
「ここに植えられているエ・デューラ・ベルゾアも、やがては枯れていくはずだった。なにしろ、奇跡の花だ。歴代の植物学の権威が必死になって守り育ててきたのだが、生育環境も良く分からん花だからな。年々、元気がなくなり、残った苗もこればかりになった」
眉唾ものの伝承めいた緑の手の力を目の当たりにしたガレイド教授はすぐさま魔法省へと走った。温室の持ち主である王家にも、だ。
おかげで、あのあとエリーゼは多くの人間に取り囲まれることとなった。
「私は怖い。きみが、私の手の届かないところへ行ってしまうのではないかと思うと、とても怖くなった」
ようやく手に入れたんだ。アレックスの胸元に引き寄せられた途端に、かすれた声が落ちてきた。
「わたしは……アレックス様がよいとおっしゃってくれるのなら……王立魔法学院の、ガレイド教授の元に通いたいです」
本心を呟くとアレックスの体が少しだけ揺れた。
「でも……シェリダイン家の妻として相応しくない行動だというのなら――」
「離婚はしない」
「え……?」
エリーゼの言葉を遮り、アレックスが断言をした。
「いえ、あの」
「離婚はできない。私は、きみを手放せない。エリーゼ、きみを愛している。私を棄てないでほしい」
エリーゼを抱きしめる腕に力が籠ったのを感じた。
最初、彼の言葉の意味が分からなくて、耳から素通りさせてしまった。
少し経過をして、頭が動き出した。
なにか、ものすごく大変なことを言われたのかもしれない。
「愛……していらっしゃるのです……か?」
「当たり前だ」
アレックスの最後の言葉を復唱するように、半ば呆然と問いかけた。彼はエリーゼの両肩に手を置いて、真剣な眼差しでこちらを見据える。
「この結婚は、私のエゴだ。きみの気持ちを押し切って、私の気持ちを押し付けた。きみが、私以外の男に貰われるところなんて、見たくも無かったし、耐えられなかった。きみが、親の決めた相手の元に嫁ぐというのなら、私がその相手になろうと、ウェイド男爵からきみを奪った」
頭の中が混乱をしていて、情報の処理が追い付かなかった。
喘ぐように息を吸う。ゆっくりと、彼の言葉がエリーゼの中に浸透し始める。
「わたしは、魔法使い社会の均衡を保つためにシェリダイン家の妻に選ばれたのだとばかり思って……」
そういう噂を婚約期間中にたくさん聞いた。
むしろ安堵をしたくらいだ。わかりやすい理由があったほうが、安心できた。
こんなにも素敵な人が、エリーゼのようななんの取り柄もない人間を選ぶわけがない。仕方のないわけがあったほうがエリーゼにとっても楽だった。
エリーゼの呆然としたつぶやきに、アレックスは心底不可解そうに目を眇めた。
「どうして、そういうことになるんだ?」
「こ、婚約期間中に連れて行かれたお茶会などで、そういう噂話を聞きまして……。どうやら、フォースター家はガチガチの血統主義らしく、国王も持て余しているとかなんとか」
「それは勝手な憶測だ。私は公園で出会ったエリーゼを好きになった。きみにもう会えないと言われたときの絶望を、想像できるか?」
真面目な声と顔で言われて、エリーゼは言葉に詰まる。
「竜の群れを相手にするときの方がましなくらい、目の前が真っ暗になった」
身体中が熱くなる。アレックスの言葉がエリーゼの耳から入り、血液を通して全身に行き渡ったかのように、頭から足の指の先まで火照ってしまう。
正真正銘、彼の気持ちを聞かされて、何て答えていいのか分からなくなる。
「だから、離婚だけは無理だ」
「……あの、わたしが言おうとしたのは……。シェリダイン家の妻が魔法学院に通うのがよろしくないのなら、わたしは家にいます、と。そう伝える予定だったのですが」
さすがに離婚云々は飛躍しすぎだ。
「私はきみの行動を制限するつもりは無い。いや、離婚と私の隣からいなくなるというのは受け付けかねるが……。他の男に渡すつもりは無いが、きみがしたいことをさせないとか、そういうつもりはないんだ。……離婚は別なんだが」
アレックスは苦悩の表情を浮かべている。
エリーゼの自由を保障すると言いつつ、手放すことはできないという己の気持ちとの間で感情がせめぎ合っているらしい。
アレックスがたくさんの感情を伝えてくれた。
エリーゼよりもずっと年上で、大人で、いつも冷静なのに、今は実年齢よりもどこか幼く思えた。エリーゼはアレックスの胸に頬を寄せた。すんなりと身を任せて、そっと耳を澄ませる。
アレックスの胸の鼓動が聞こえてきた。この音に安心する。結婚をしてから、彼と過ごすことが日常になって、夜眠る時、その腕に抱かれると安心するようになっていた。
「わたし……今日、王太子妃殿下とアレックス様が仲良くお話をされているのを見て……胸の奥がもやもやしました」
エリーゼはゆっくりと自分の気持ちを形にする。
アレックスが身じろぎをした。
「この間、アレックス様がおっしゃっていたことが、分かりました。わたしでも嫉妬をするのだなって、初めて思いました」
アレックスのことが気になるから、エリーゼ以外の女性と親しく話をしていると胸の奥にわだかまりが出来る。楽しそうに話をしないでと、もやもやして、先日アレックスが言ったことを思い出した。
互いに、まったく違う人生を歩んできたのだ。それぞれに自分の世界と人間関係を持っている。それでも、好きだから自分だけを見てほしい。
「わたしも……アレックス様のことが好きです」
「エリーゼ……?」
半信半疑のように、名を呼ぶ声。喜んでいいのか、と問うような声音に、エリーゼはゆっくりと顔を持ち上げる。
頬が熱い。身体中が大きく脈打っている。
この気持ちに名前を付けてもいいのだろうか。
エリーゼの中で、アレックスの存在はとても大きくなっているのだ。
気が付けば、大切な人になっていた。きっと、風毒鳥に助けてもらったあの日から、気になっていたのだ。
「私のことを、好きになってくれたのか?」
確かめるようなその声に、ゆっくりと頷いた。
アレックスの手のひらがエリーゼの頬を撫でていく。その存在を確かめるように、ゆっくりと目じりや唇、首筋を彼の手のひらが辿っていく。心の内側を愛おしむような触れ方に、身体中が疼いた。
「アレックス様、好きです」
そっと口に乗せると、優しい口付けが落ちてきた。
ふわふわと、何度もついばむようなそれは、エリーゼの存在を確かめるような仕草で。
今までよりも甘く感じる触れ合いに、エリーゼはそっと目を閉じた。
アレックスがエリーゼを寝台の上に優しく寝かせた。
互いに、好きという感情を確かめ合うように、抱きしめ合い唇を合わせ、互いの熱を感じ合い、そのまま朝を迎えた。
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