第29話 特異能力の開花4
「なんだ、シェリダインではないか。どうしたのだね、こんなところで。きみはいつから植物学に転向したのだ?」
マーカスよりも少し年上かと思われる、壮年の男性は分厚い眼鏡の位置を押し上げながらじろりとアレックスを見つめた。身づくろいには無頓着なのか、茅色の髪の毛が耳を覆うくらいに伸びており、無精ひげも生えていて、羽織っている白衣はところどころ茶色く汚れている。
「妻に温室を見せに来ただけです」
アレックスが嘆息まじりに返事をした。
妻、という言葉に教授と呼ばれた男が反応をした。
「唯我独尊の偏屈男が結婚をしたと聞いてたが……。本物の人間だな。妄想でもなかったんだな」
「私はあなたに比べると大分まともです」
「失敬な男だな」
「お互い様です」
さきほどのブリギッタと相対した時と同様に、ぽんぽんと会話の応酬が続いていく。それぞれの顔を交互に眺めていると、気が付いたアレックスが補足を入れてくれた。
突然に現れた目の前の男性こそが、温室手前でアレックスが話した魔法学院で植物学を専攻しているガレイド教授。この温室には定期的にやってきて、研究をしているとのことだ。
「はじめまして。エリーゼ・シェリダインと申します」
エリーゼは膝を折り、淑女の挨拶をした。
「それで、きみはこの葉に興味があるのか?」
その挨拶をさくっと無視する形でガレイド教授は先ほどと同じ質問を繰り返した。
「はい。あの……わたしも育てていて」
「なんと! エ・デューラ・ベルゾアの苗があるというのか? 一体いつ手に入れたんだ? どうやって? どこかに自生でもしていたのか?」
矢継ぎ早に質問をされて、エリーゼは呆気にとられた。
するとアレックスがガレイド教授からエリーゼを守るように立ちはだかる。
ガレイド教授がむっと眉根を寄せるが、アレックスはどこ吹く風だ。
エリーゼはアレックスの背中から体の位置をずらして「わたしの実家がフォースター家でして、虫干しをしていたら種を見つけました」と説明をした。
「なんと。フォースター家の娘だったのか。確かに、ここにあるエ・デューラ・ベルゾアも彼の家から譲られたものだ。数代前の侯爵が手広い蒐集家だったのだよ」
ガレイド教授は虫干しでエ・デューラ・ベルゾアを見つけるとは羨ましすぎる、とぶつぶつと続けた。
エリーゼは口の中で今しがたガレイド教授が話した名前を言おうとしたが舌を噛んでしまった。一体どんな植物なのだろう。
好奇心に瞳を輝かせると、それに気が付いたガレイド教授が嬉々として語り出す。
「これはエ・デューラ・ベルゾアと言って、古い文献に記述があるだけのまさしく、幻の花だ。古い言葉で『神が落とした種』という意味でもある。花弁を茶にして飲むと、どんな魔法でおった傷もたちどころに治すという言い伝えがあるのだが、なにしろ幻過ぎて花を見たものはおらんのだよ」
「花が咲くんですか?」
「ああ。文献によると数百年に一度咲くらしい」
「数百年に一度ですか……」
壮大すぎる話に期待が一瞬でしおれてしまう。
「いつか、花が咲かないかなと大事に育てていたのですが……そうですか……数百年」
エリーゼはついに名前が判明した謎植物、もといエ・デューラ・ベルゾアに近づいた。
膝を折り、緑だけの苗の前にしゃがみ込む。
(そっかぁ……お花が咲いたところ、見たかったな。わたしが生きているうちに見られるといいな)
エリーゼはじっとエ・デューラ・ベルゾアを見つめた。
この子はどんな花が咲くのだろう。何色の花だろう。どんな形をしている? 実はつくのだろうか。
想像をすれば夢は膨らんだ。せっかくだから、生きているうちにこの目で見てみたい。
(わたしに見せてほしいな)
それに、きっとガレイド教授だってこの目で確かめたいはず。
普段あまり強く望まないのに、エリーゼは珍しく願望を心の中で表した。
きっと、数百年に一度という、壮大な年月を聞かされてしまったからだろう。自分ではどうしようもないことだからこそ、夢見てしまった。
強く願ったその時。
奇跡が起こった。
エ・デューラ・ベルゾアがゆっくりと新しい芽を息吹かせた。それは、まるで数か月間の成長を早送りで見ているかのようにぐんぐんと成長をしていく。
蕾が生まれた。
「うそ……だろう」
誰かが呆然とつぶやいた。
小さな蕾が大きく膨らんでいく。ぷっくりと丸くなり、ほころび、花開いた。
幾重にも花弁が折り重なった姿は艶やかさと清楚さが同居をする聖女のような佇まいの美しい花だった。ほんのりと青く色づく白い花弁はとてもつややかで上質の絹のようでもある。
「きれい……」
エリーゼは夢心地で感想をもらした。
「数百年に一度が……来たのか?」
アレックスの声にエリーゼはハッとした。
「それってすごい――」
「なんと! なんとなんとなんと! 、エ・デューラ・ベルゾアの花が咲いたぞ! それもいくつもだ!まさか、この目で幻の花を拝めるとは。なんていう僥倖だ‼」
エリーゼの感想はガレイド教授の雄たけびにかき消された。
驚きが収まったガレイド教授は文字通り小躍りしている。
たしかに、彼の言う通り主軸以外の枝にも花を付けている。直植えされている苗の全てが花をつけているのだ。
「すごい偶然ですね……」
エリーゼは改めてアレックスを仰ぎ見ようとしたら、彼はいつの間にか隣に腰を落としていた。
「ああ……」
アレックスは眉をぎゅっと寄せて、そっと花に触れている。
エリーゼは首を横に傾けた。なぜだか、彼の空気がピリピリしているように感じたからだ。
「いや、偶然ではないぞ‼」
「え……?」
「エリーゼ・シェリダイン! きみは緑の手を持っているに違いない」
いつの間にかガレイド教授まで座り込んでいた。
そして、エリーゼにずいっと顔を寄せ、その両手を握りしめた。
「これはものすごく貴重で素晴らしいことだ。私はきみが欲しい! 是非とも、一緒にこの世界の覇者を目指そうではないか」
「その前に私の愛おしい妻から手を離せ!」
エリーゼの脳がもたらされた言葉の数々を処理できないまま固まっている最中、男たち二人は大音量で言い合いを始めてしまった。
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