第27話 特異能力の開花2
「ああそうだ。エリーゼ夫人、あんまりアレックスに近寄ると汗くさいのが移るから気を付けてね」
「殿下は私とエリーゼの仲を引き裂きたいんですか」
「あはは」
ブラッドリーとアレックスは主従関係なく砕けた態度をとっている。
アレックスが当然のようにエリーゼの腰に手を回し、引き寄せようとしたところで、固まった。
「汗くさいか……?」
ぼそりと呟いたその言葉は、ブラッドリーのからかいを引きずっていた。
エリーゼは慌てて首をふるふると左右に振った。
「そんなの、本人を目の前に本当のことなんて言えるわけが無いじゃないか」
「い、いえ。そんな……。アレックス様は十分によい匂いです」
ブラッドリーがまぜっかえしたため、エリーゼは素早く否定をした。
「だそうだ、殿下。新婚夫婦に水を差すのはやめてもらおう」
アレックスは、自分の食事そっちのけでエリーゼのために甲斐甲斐しく給仕をする。
飲み物を注いで、銀色の皿の上に食事をとりわける。仕事を奪われた給仕係がちらちらとこちらに視線を送ってきて、エリーゼは心の中で謝った。
「エリーゼ、何が食べたい?」
まさか、ここでもアレックスはエリーゼの口に食べ物を運ぶ気だろうか。それはさすがにまずいのではないだろうか。
ちらりと正面に座るブラッドリーを窺えば、彼はニコニコ顔で成り行きを見守っている。
「ええと……」
どうしよう。少なくない人がいるのに、アレックスは通常運転だ。逆にエリーゼの方が背中に汗が伝ってしまう。
「遠慮しないで、普段通りにしてくれて構わないよ。アレックス、エリーゼ夫人」
「エリーゼ」
アレックスがパテを一口大に切り分け、エリーゼの口元に運んできた。
給仕係や、別のテーブル席に着いている騎士たちが固まっているのが視界に映り、エリーゼのほうも硬直してしまう。
このままではアレックス・シェリダイン閣下の威厳が地に落ちてしまう。
しかし、ここでエリーゼがアレックスを諫めても同じなのではないか。どっちに転んでも大変なことになってしまうような気がして、エリーゼはパニックになってしまう。
一向に口を開かないエリーゼの様子に、アレックスが悲し気に眉を下げた。
それを見たエリーゼはものすごい罪悪感に見舞われて、ついに口を開きかけたその時であった。
「なんだ、ずいぶんと楽しそうじゃないか。ずるいぞ、わたくしだってエリーゼと仲良くなりたいのに」
凛とした涼やかな声が響いた。女性の声は上から聞こえた。王太子妃ブリギッタのものだった。
白磁のような白い肌はきめ細やかで透明感があり、つるりとした肌の上に絶妙なバランスで眉や目、鼻と口といった各パーツが乗っている。稀代の大芸術家が彫ったのではと思わせるくらい完璧な美貌を誇るブリギッタの登場にエリーゼは慌てて立ち上がった。
銀色の髪を高く結った彼女は、藍色の瞳を細めた。神秘的な色合いの近寄りがたい美しい王太子妃に、ごくりと息を呑む。
「王太子妃殿下におかれましては、本日もご機嫌麗しく存じ上げます」
「かしこまらなくてよい。それより、同席しても?」
「もちろんです」
「おいで、私の可愛いブリギッタ」
ブラッドリーの猫なで声を無視する形で、ブリギッタはエリーゼの隣に腰を落とした。
少しばかり、緊張してしまう。そっと、伺うと、目が合って、にこやかに微笑まれた。美貌の持ち主の笑顔は迫力があって、びくりとしてしまう。
「怯えた表情も可愛いね。まるで子猫のようだ」
艶っぽい声を出されて、エリーゼは慌てて背筋を伸ばした。
ブリギッタはエリーゼの方に顔を向けて笑顔を作った。
「エリーゼ、そうかしこまらなくてよい。わたくしはあなたを取って食ったりはしないよ。そうだ、このあと温室を案内しようか。アレックスから聞いたんだ。珍しい植物を育てているのだって」
「え……」
温室という言葉に反応してしまう。
「もしかしたら、王城の温室に、エリーゼが育てている謎植物と同じものがあるかもしれない。昔、フォースター家から献上された珍しい植物の種を植えたという記録を見つけたのだよ」
流麗な声で続けたブリギッタにアレックスがすかさず「調べたのは私です」と口をはさんだ。
思いがけない情報にエリーゼの心が喜色に湧いた。すっかり謎植物という名前で定着をしてしまっているが、本来の名前を知ることが出来るかもしれない。
「アレックス様、調べてくださっていたのですか?」
「もちろん。きみが大切にしているものなのだから」
彼の気づかいに、胸が熱くなる。
それにしても、フォースター家が過去、王家に植物の種を献上していたとは知らなかった。
「何代か前のフォースター侯爵は蒐集癖があったそうだよ。それで、珍しい種を王家に献上したそうだ。エリーゼが育てている葉と同じかもしれない。あとで見ていくといい。許可ならわたくしが出しておくよ」
ブリギッタがぱちりと片目をつむった。
彫刻のように美しい彼女がそんなことをすれば、エリーゼの頬がぶわっと朱に染まる。きれいなひとは何をしても絵になってしまう。
「ありがとうございます」
エリーゼがお礼を言うと、何か物申したいのか、アレックスがブリギッタににらみを利かせる。
「どうして貴殿が私の手柄を横取りするのですか」
「可愛い女の子の前ではいい格好がしたいだろう?」
ブリギッタが、ふふん、と胸を反らした。
「エリーゼは私の妻だ。色目を使わないでいただきたい」
「仕方なかろう。エリーゼはとても愛らしい」
アレックスが即座に言い返す。それにまたブリギッタが反論をする。その繰り返しが続いていく。
エリーゼの知らない世界がそこにあった。
アレックスはブラッドリーだけではなく、彼の妻のブリギッタとも親しいのだ。
エリーゼを挟んで座る二人が気負いなくぽんぽんと言い合う光景を見つめていると、胸の中に小さな痛みが走った。
自分よりも、断然に仲の良い二人が眩しくて、それから羨ましい。
(そうか……。この間のアレックス様が言ったのって、こういう気持ちのことだったのね)
エリーゼには入り込めない関係が目の前にある。羨ましいと思ってしまう心を持て余してしまう。
アレックスにだって、彼の培ってきた人生があって、そして人間関係があるのだ。たとえ口喧嘩であっても、エリーゼよりもはるかに息の合う光景に、胸の奥が疼いてしまう。
(わたしも、もっとアレックス様と気負いなく話をしたい)
アレックスはまだエリーゼに気を使っているのだ。それは自分も同じで、どこまで踏み込んでいいのかも分かっていない。
「妬ける?」
「え……?」
正面に座るブラッドリーが話しかけてきた。
彼は、ブリギッタがアレックスと言い合いをしていてもちっとも気にしていないようだ。
「エリーゼ、どうしたんだ?」
アレックスが会話を止めて、エリーゼに話しかけてきた。
「い、いえ。……お二人は仲がよろしいのだなと」
素直な思いを口にしてから、慌てて両手を口の前に持ってきて慌てた。
嫌な言いかたをしてしまった。
「す、すみません」
アレックスはエリーゼに対して真摯な目を向ける。
「別に仲がいいわけではない。ブラッドリー殿下のお供をすることが多くて、妃殿下とも顔を合わせる機会が人よりも多かっただけだ」
「わたくしに嫉妬をする必要はないよ。わたくしが好きなのは、小動物の様に愛らしいエリーゼのような娘だ」
二人は息の合う様子で口々に言い募る。
エリーゼは目を白黒させつつ、ゆっくりと頷いた。
アレックスがエリーゼの頬を撫でた。人前だということも忘れて、彼のその仕草にホッとしてしまう。強請るように、見上げるとアレックスが目を細めた。
「ブリギッタはね、基本的に可愛い女の子が好きなんだ。ちなみに、男で一番は私だからね」
ブラッドリーは笑みを浮かべたまま説明をした。
「単にあなたがしつこかっただけだ」
むすっと唇を尖らせるブリギッタは、今まで一番人間味に溢れた顔をしていた。
「さて、食事を再開しようか」
ブラッドリーの明るい声で、そういえば昼食の途中だったことを皆が思い出す。
ブラッドリーとブリギッタはシェリダイン家の料理番の腕を褒めてくれた。エリーゼは嬉しくなって、持参した差し入れについてあれこれと語ってしまった。
「エリーゼ夫人の方がシェリダイン家の味について詳しいんだね」
「わたしは、屋敷で過ごす時間が多いのです」
「アレックスも最近はちゃんと屋敷に帰っているんだろう? 結婚前は面倒くさがって、王城に寝泊まりすることの方が多かったのに」
「エリーゼが待っているんだから当たり前だろう」
ブラッドリーとアレックスもとても砕けた喋り方をしている。
エリーゼも、もっともっとアレックスとの仲を深めることが出来るだろうか。すぐに、このくらいの距離感にならなくてもいい。
ゆっくりとでいいから、アレックスの心に近づきたい。
朝も夜も、いつも彼は優しい。まだ出会って日が浅いけれども、政略結婚で結ばれたけれども。それ以上に、エリーゼの中でアレックスの存在が日増しに大きくなっていて。
与えられるもので満足をしなければならないのに、それ以上に胸の中のアレックスへの想いが大きく育っていく。
この気持ちに名前を付けてしまっていいのだろうか。
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