第26話 特異能力の開花1

別の日、エリーゼがシェリダイン家の書庫から魔法植物辞典を引っ張り出してきて項をめくっていると、王城から役人が訪れた。


 なんでも、エリーゼに直接用事があるらしい。


 リッツと連れ立って、応接間へ向かうと、役人は恭しく封筒を手渡した。リッツが受け取り、封を開ける。彼がまず最初にざっと目を通したうえで、エリーゼの元へやってきた。彼が何も言わないのであれば、重苦しい用件ではないのだろう。


 エリーゼが読むと、それは王城への招待状だった。そこまでかしこまったものではない。アレックスの訓練風景を見学しに来ませんか、というもので、差出人はまさかの王太子殿下だった。


 しかも、今日これからと書いてある。

 エリーゼは慌てて顔を上げて、リッツと役人を順番に見た。

 リッツはエリーゼの訴えかける表情を飄々ひょうひょうとしたそれで受け止めた。


「差し入れでも持ってきてもらえると、騎士たちの士気が上がると書かれてありますね。さて、料理番と打ち合わせをしてきましょうか。奥様は、お召し替えを」


 のんびり過ごしていた午前中から一転、急に忙しくなってしまった。


 侍女たちは衣裳部屋から大量のドレスを持ってきて、ああでもない、こうでもない、と相談の末、首元まで布地で隠れている、少し大人しめの意匠の外出着を見繕った。艶のある洋紅色で、前身頃に半球型のボタンが縦に取り付けられている。


 せっかくなので、先日アレックスに買ってもらったガラスの髪飾りを付けてもらって、玄関広間に降り立つと、ちょうど準備が整ったところだった。


 シェリダイン家の馬車に乗り、向かったのは王城の敷地外にある鍛錬場だった。王城の周りには魔法省や魔法騎士団や行政機関の建物、それから迎賓館などが並んでいる。


 エリーゼの訪問はあらかじめ知らされていたらしい。騎士服の男性がすぐに飛んできて、案内をしてくれた。


 少し歩くと、数人の騎士服を着た男性たちが待ち構えていた。

 中心にいるのが王太子であるブラッドリーでびっくりしてしまう。


「よく来たね、エリーゼ夫人」


 爽やかな笑顔で歓待され、エリーゼは慌てて淑女の礼を取った。


「私も今日は鍛錬の日でね。あんまりかしこまらなくてもいいよ。ここは王城の外だし、公式の場というわけでもないのだからね」


 ブラッドリーは機嫌がよさそうだ。確かに彼の言う通り、ブラッドリーが身に付けているのは他の騎士たちと大して変わり映えのしない騎士服である。


 ここからはブラッドリーが案内してくれるのだという。

 まるで散歩のような気安さをかもしているけれど、彼の周辺にはきちんと騎士たちが配置されている。

 歩き進めると、男たちの掛け声が聞こえるようになってきた。


「あれで、アレックスも剣の腕はそれなりなんだよ。強いと思うよ」

「アレックス様は騎士でもあるのでしょうか」


 歩きながらブラッドリーが親し気に話しかけてきたから、エリーゼはつい、気になったことを尋ねてしまう。アレックスのことについては、まだ知らないことの方が多い。


 アレックスはこの間、エリーゼにはエリーゼの世界があると言っていたけれど、それは彼だって同じだ。積み重ねてきた過去と人間関係がある。


「魔法の実践には、体力も必要だからね。彼ほどの実力の持ち主なら、後方で大掛かりな魔法を使うだけでも済むけれど、竜退治や戦争となるとそうもいかない。きちんと体を鍛えているし、実践の訓練も積んでいるよ」


 言葉の重さに、息を詰めてしまう。

 マルティニの守護神とも言われるほどの強い力を持ったアレックスだからこそ、求められる役割も大きい。彼の存在が戦争の抑止力にもなるが、いざ戦いが始まれば前線に駆り出される。


「アレックス様はこの国を守ってくださっているのですね」

「ああ。偉大な魔法使いだ」


 やがて、目の前が開けた。

 大きな空間が現れて、そこが鍛錬場だと目に飛び込んできた情報が教えてくれる。


 アレックスもブラッドリーと同じように騎士服を身に纏っていた。剣を構え、剣戟を打ち交わしている。金属が重なる重たい音が耳をつんざく。


「どう? けっこう強いだろう。私の次くらいに強いんだよ」


 と、ブラッドリーは誇らしげに胸を反らした。


 訓練とのことだが、互いに一歩も譲らぬ攻防にエリーゼは息を詰めてしまう。剣稽古を見たのは生まれて初めてのことだった。


 アレックスはこちらには気づいておらず、打ち合いを続けている。

 これは、どちらかが倒れるまで続けられるのだろうか。

 剣を打ち合う様子に、エリーゼはふと疑問を感じた。


「あ、あの。魔法は使わないのですか?」

「そうだね。魔法を使うとアレックスが敵なしになっちゃうしなあ。まあ、あいつらの訓練でアレックスが指南役に回ることもあるんだけどね。今は剣だけの勝負」


 アレックスはすぐに魔法に頼っちゃうから、とブラッドリーが付け足した。魔力を封じられたり、魔法の通じない魔物を相手にすることを想定して、剣技も鍛えておかなければならない。


 できることが増えれば、その分生き残る確率が上がる。

 その後も稽古は続き、エリーゼははらはらとその光景を見守った。


 鍛錬場の隅には、見学席が設けられ、屋根もついている。

 ブラッドリーはそこにエリーゼを手招きした。

 騎士たちは交代で稽古を行っており、号令と共に騎士たちが入れ替わる。


「エリーゼ、どうしてここに」


 打ち合いが終わったアレックスがブラッドリーたちに気が付き、こちらへ近寄ってきた。


「お稽古、お疲れ様です」


 エリーゼは手巾を取り出した。アレックスは汗ばんでいて、額に黒髪が張り付いている。暑いのか、胸元のシャツのボタンが開けられていて、目のやり場に困ってしまう。


「きみの勇姿を見せたら、エリーゼ夫人が惚れ直すかなって思って」


 ブラッドリーが軽やかに笑った。

 たしかに、初めて見るアレックスの騎士装束は破壊力があった。上着を着てくれたらもっと素敵に違いない。なるほど、騎士に憧れる孤児院の男の子の気持ちが少しわかった気がする。


「あの。昼食を持ってきたのです。騎士の皆さんに差し入れをすると、士気があがるのだとか」


 屋敷に迎えに来た役人から渡された手紙にはそんなことが書いてあった。

 急ごしらえではあるけれど、できるだけたくさんの差し入れを料理番が作ってくれたのだ。


「うんうん。美味しいご飯は魅力大だよ。私も一つ頂こうかな」


 ブラッドリーが待ってましたとばかりに頷いた。

 ちょうど休憩時間になり、即席昼食会が始まった。他の騎士たちにも差し入れが振舞われ、エリーゼはブラッドリーと同じ席に着いた。

 王城で用意された昼食と共にシェリダイン家特製のサンドウィッチが同じテーブルに並ぶ。

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