第25話 新婚生活が始まりました8

 アレックスはしっかりとエリーゼの瞳を見据えた。その瞳は悔恨に揺らいでいる。


「で、でも。きっとわたしが何か」

 アレックスが謝罪をしたので、エリーゼはますます慌ててしまった。

「違う。私が勝手に、嫉妬をしただけだ」


「嫉妬……ですか?」


 予想もしなかった言葉に、エリーゼは目を丸くしてしまう。


「エリーゼには、エリーゼの世界がある。私と出会う前から培った人間関係があることは理解をしている。けれど、私以外の男と親し気に接しているのを目の当たりにして、悔しくて感情の行き所を失った。冷たい態度をとってすまなかった」


「い、いえ。わたしの方こそ、軽率でした」


 きっと、男性から花を受け取ったことがいけなかったのだろう。あまり深く考えていなかった。顔見知りの修道士なのだし、子供たちと一緒の行為なのだからと軽く受け止めていた。


 アレックスからしたら、妻が別の男から花を受け取っているところを見せられて体面を傷つけられたのだと思ったのだ。


「私が狭量なだけだ。それに……きみは、ただの社交辞令で花を受け取ったのだろう?」

「え、ええ……まあ。彼も子供たちの行為に付き合ってくれただけです。社交辞令でもあり、遊びの一環です」


 相手は男性の前に修道士だ。神に仕えることを選んだのだから、誤解の無いように他意はないのだと念を押した。


「私にはあまり笑顔を見せてくれないのに、彼らの前では心を許したように笑っていたから、悔しくなってしまったんだ」


 アレックスの台詞がじわじわと胸の中に染み込み、頬が赤く染まっていく。


「私にも、先ほどのような笑顔を見せてほしい」


 困ったように口の端を持ち上げるアレックスにエリーゼはどうしようもなく惹かれた。物欲しそうな、懇願をするような、憂いに満ちた笑みだった。

 エリーゼの笑顔が見たいと言ってくれた彼の言葉をそのまま受け止めたい自分がいる。


(わたしが笑うと、アレックス様は喜んでくださる?)


 考えると、ものすごくおこがましい気がするのに、どうしようもなく浮かれてしまう。

 少しは、妻として及第点を取れているということなのだろうか。


「私もきみに贈り物をしたら、笑顔になってくれるだろうか?」

「アレックス様にはいつもたくさんいただいております」


 婚約期間中も、結婚後も、彼はエリーゼのためにたくさんの品を買ってくれている。大抵はドレスや宝飾品で、結婚後も出入りの商人が屋敷を訪れている。侍女たちはそれは楽しそうに衣裳部屋でドレスの手入れに勤しんでいる。


 着る人間は一人だというのに、ドレスの数が日増しに増えていくのである。

 エリーゼの返事に、アレックスの表情が少しだけ陰った。


「わたしは……、ドレスでなくても、一緒にお庭で花を剪定したりするだけで嬉しいです」


 だから慌てて付け加えた。彼のその気持ち自体は嬉しいのだ。ただ、これ以上たくさん物を貰うのは気が引ける。


 エリーゼは、ただアレックスと一緒にいるだけで、満ち足りているのだから。


「……そうか」


 アレックスが少しだけ呆けた顔をする。


「今度……一緒に、薔薇を摘みませんか? ちょうど、満開なので、摘んでお屋敷に飾りたいです」


 エリーゼが提案をすると、アレックスが即座に承諾をしてくれた。

 小さな約束事だが、嬉しかった。


 エリーゼが頬を緩めると、アレックスも同じように見つめ返してくれた。

 心の中がくすぐったい。ふわふわして、軽やかで、地に足が着いていないみたい。


「おまたせしました」


 店員が焼きたてのパンケーキを運んできた。

 香ばしい香りに鼻をすんすんさせてしまう。湯気がたつ丸いケーキの上にはバターが乗っていて、さらにはブルーベリーや苺も乗っている。


「母君の代わりに私が食べさせる。口を開けてほしい」

「アレックス様……さすがにそれは恥ずかしいです」

「だめか?」


 きょとんとして聞いてくるから、さらに顔が赤くなってしまった。


「ここはお店ですから」

「わかった。ここでは我慢する」


 ちょっと納得のいかなさそうな表情がどこか幼くもあって、微笑ましく感じてしまうのを止められなかった。マルティニ一番の魔法使い相手に、一体なんてことを考えているのだろう。


「焼きたての、この香りがたまらなく好きなんです」


 はちみつをとろりとかけて、溶けたバターが染み込んだところと一緒に口に運ぶ。


 アレックスもエリーゼと同じようにパンケーキを食べて、お互いにごくんと飲みこんで微笑みあった。美味しいは正義だ。母との思い出を、今度はアレックスと続けていく。そのことがとても嬉しかった。


* * *


 パンケーキを食べたあと、エリーゼはアレックスと手を繋いで街中をのんびり歩いていく。

 王城へ戻らなくてもいいのかと尋ねると、まだ大丈夫だという返事が返ってきたのだ。


 互いの指を絡ませているだけなのに、妙に気恥ずかしい。


 パンケーキ店と同じ通りには、雑貨屋もいくつかあって、表のガラス窓の内側に飾られた商品を見るだけでも楽しい。


 店の一つに、ガラス細工を扱う店があり、エリーゼの視線が吸い寄せられた。

 色とりどりの細工品が窓の内側に並べられてあったからだ。


 エリーゼが興味を引かれたことを察したアレックスが店の扉を開けてくれた。

 店内には大小さまざまな細工品が並んでいる。二人の身なりの良さから、上客だと踏んだ店主が揉み手で近寄ってきて、自店の商品のすばらしさについて語り始めた。


 なんでも、フィデリス郊外に工房を持っており、腕の良い職人を抱えているそうだ。

 エリーゼは興味深く品物を見て回った。濃い青が薄く変わっていくさまが見事なグラスや、魔法の明かりを閉じ込めておくためのガラス玉など、美しい作品は見ていて飽きない。


「とても、腕の良い職人なのですね」


 素直な賞賛を口にすると、店主がカウンターへ手招いた。

 そこには、小物細工が並べられてあった。薄く伸ばしたガラス板を幾重にも重ねて作った細工品は感嘆のため息しか出てこない。


「エリーゼ、それが気になるのか?」


 エリーゼが長い間見つめていたのは、三つの花が連なった髪飾りだった。薄紅色をしていて外側にいくほど花びらの色が濃くなっている。


「店主。これを貰おう」

 アレックスは迷うことなく、それを買い上げた。


「え、でも。あの」

「さっきも言った通り、私はきみの笑顔が見たい」


 アレックスがエリーゼの遠慮を封じ込めてしまう。そのまま彼は屈んでエリーゼの髪の毛に今しがた買い求めたばかりの髪飾りを付けた。少し硬い指が触れた箇所が、まるで熱を持っているみたいに思えた。


「よく似合っている」


 アレックスが手ずからつけてくれ、店主が気を利かせてカウンターの上に鏡を置いてくれた。


 こんな風に、夫から髪飾りを付けてもらうことなど初めてで、とても気恥ずかしい。それ以上に、似合っていると言われて嬉しかった。


「ありがとうございます」


 お礼の言葉が自然と口から出てきた。遠慮をするよりも、笑顔でありがとうを伝えた方が断然にいい。

 アレックスはとても満足そうに頷き相好を崩した。

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