第23話 新婚生活が始まりました6

 仕事に一区切りをつけたアレックスは王城からシェリダイン家の屋敷まで移動魔法を使った。

 通勤には便宜上馬車を使っているが、アレックスはその時々、気分で移動魔法を使う。


 早くエリーゼに会いたくて魔法を使ったのだが、あいにくと彼女は留守だった。

 なんでも、フィデリスの修道院へ出かけているらしい。アレックスと知り合う前から、自分で育てた薬草を定期的に届けていることを、婚約時代に聞いて知っている。


 場所を聞き出し、アレックスは再び移動魔法を使い、彼女の訪問先へと向かった。

 彼女の用事が済んでいれば、一緒にフィデリス散策をしたいと思ったからだ。


 フィデリスにはいくつか修道院があり、エリーゼの訪問先はその中でも規模の大きなところだった。孤児院が併設をされ、子供たちのために定期的にお菓子を届けたりしているらしい。


 応対した女にエリーゼを迎えに来た旨を伝える。


 女ばかりの修道院のため、男性の訪問者は奥の居住区まで入ることはできない。基本的に男子禁制なのだ。街の子供たちは十二、三歳で働きに出るため、孤児院の子供たちもそのくらいの年齢になると各々身の振り方を考え、巣立っていく。


「ああ、中庭にいますわね」


 修道女が声を出した。ちょうど、エリーゼの姿が中庭にあった。四方を建物に囲まれている正方形の中庭には、子供が数人と、修道女、それからアレックスくらいの年齢の男がいた。


 中庭には、たくさんの花が咲き乱れている。


「迎えに行かれますか?」

「ああ」


 アレックスは即答した。

 どうしてだか、胸の奥がちりちりと焼け付いた。


 子供たちが花を摘んでいる。エリーゼの周りにまとわりつき、中には甘えるようにスカートの裾に抱き着いている。エリーゼは男の子と手を繋いでいて、楽しそうに微笑んでいる。


「ここは女子修道院だと聞いている。どうして、男がいるんだ?」


 思いがけず低い声が出た。成人男性が、エリーゼに花を手渡している。

 許せないと思った。エリーゼに花を贈っていいのは、自分だけだ。


「ああ、彼は別の修道院からのお客様で、子供たちに算術を教えてくださっているのですわ」


 ここには男の子もいますから、と続けた女の言葉を全部聞く前にアレックスは中庭へと降り立った。大きな歩調で、エリーゼたちの方へ近づく。


 アレックスの知らない世界がそこにはあった。

 自分以外の男に笑顔を見せるエリーゼに、焦燥が募っていく。


 アレックスの知らない世界が彼女にもあるのだということを見せつけられた。出会ってまだ数か月しか経っていないのだ。当然のことながら、エリーゼにも彼女の人間関係がある。そのことをまざまざと思い知った。


「エリーゼ!」


 思ったよりも大きな声が出てしまう。

 中庭の人間たちが一斉にアレックスの方へ顔を向ける。その中の一人であるエリーゼは目を丸くしている。


「おじさん、だあれ?」

 子供の一人が無邪気な声を出す。


「あのお方は、わたしの旦那様よ」

「だんなさま?」


 エリーゼが子供の背丈に合うように腰を落とした。視線が近くなり、嬉しいのか、子供たちがエリーゼに近寄り摘んだ花をこれでもかと押し付ける。


 子供だろうが、胸の奥がむかむかする。エリーゼが彼らに向ける視線は、親愛に満ちていて、心底心を許していることを感じさせるからだ。


 自分にはあまり見せてくれないその表情にずきりと胸の奥が痛んだ。

 胸を痛めつける傷の正体に思い至る。これは、嫉妬だ。自分の知らないエリーゼの世界に、その中にいる彼らを妬ましく思っている。


「エリーゼ。迎えに来た。用件は済んだと聞いている」


 アレックスがエリーゼのすぐそばまで近づくと、彼女にまとわりついていた男児が、ぎゅっとさらに身を寄せた。


「は、はい。わかりました」


 エリーゼはかしこまった顔を作り、立ち上がる。それまでの、他者に対して完全に心を許した笑顔ではない、アレックスに向ける、どこかこちらの様子を窺うような、神妙な顔になっていた。


「エリーゼお姉ちゃん。もう行っちゃうの?」

 ぐずる声を出す子供に、修道女が「シェリダイン夫人はお忙しいのですよ」とたしなめる声を出した。


「また、来るわね」


 エリーゼがすぐ近くの男児の頭を優しく撫でた。中庭にいた修道女が子供たちを誘導する。エリーゼは花束を抱えていて、それを見ると、どうしても腹の底から苛立ちが沸き上がるのを止められない。


 アレックスが無言で歩き出すと、慌てたようにエリーゼが付き従った。


 出口まで見送ってくれた修道女に別れを告げ、馬車に乗り込む。

 ここまで一言も発しないアレックスを窺うようにエリーゼが視線を寄越してくる。


「あ、あの……。なにか、ございましたか?」

「なにか、とは」


「アレックス様がお迎えに来られるような、急用がございましたか?」

「いや」


 簡潔に答えるとエリーゼが黙り込む。隣に座った彼女はうつむいてしまい、表情を窺うことはできなかった。次の目的地を告げていないため、馬車は未だ停車をしたままだ。


 彼女を困らせたいわけではないのだ。

 あきらかに、エリーゼはアレックスに対して委縮をしている。自分がひどく子供に感じられて、落ち込むのだが、それでも溢れる嫉妬心が止められない。


「……あの男は」

「え……?」

「あの、若い男はどういう知り合いなんだ?」


 エリーゼが顔を持ち上げた。

 どうしても、気になった。エリーゼに気安く花を渡すあの男のことが、目障りだと思った。どういう間柄なのだろう。アレックスよりも、付き合いは長いのだろうか。


 エリーゼのことになると、アレックスは自分でも止められないくらい狭量になってしまう。

 彼女のことを世界中から隠しておきたい。その瞳に映るのは自分だけであってほしい。


 今すぐにエリーゼを抱きつぶしたい。その肌に己のものだという所有印を刻みたい。彼女の頭の中を自分のことでいっぱいにしてしまいたい。


 アレックスは沸き起こる衝動を必死に抑えこむ。


「彼は、顔見知りの修道士です。孤児院には男の子もいますから、定期的に修道士の方がいらして、独り立ちした時のために男性同士の会話に慣らしているのだとか」


「花を貰うほど、仲が良いのか?」


 同じ馬車に乗っている侍女に預けてある花々を目で見たあとにエリーゼに尋ねた。


「中庭の花がきれいに咲いていましたから、お菓子のお礼にと子供たちが摘んでくれたのです。彼も流れで摘んでくれたのです」


 エリーゼはよどみなく答えた。その声は説明口調で何の色も乗っていない。

 だからアレックスは少しだけ冷静になり、落ち着くために息を少しだけ長く吐き出した。


「あの……なにか、お気に障ることをしてしまいましたか?」

 エリーゼが恐る恐るといった体で尋ねてきた。

「いや。何でもない」


 エリーゼに困った顔をさせたいわけではない。ただ、笑っていてほしいだけなのだ。アレックスを見て、微笑みかけてほしい。一緒に菓子を食べて、美味しいと幸せそうな顔をしてほしいだけ。


 アレックスはエリーゼに向けて笑みを作った。

 すると、エリーゼが安心したように、同じものを返してくれた。それだけで、アレックスの胸の中に明るい炎が灯った。


「そういえば、まだ早いお時間ですが、今日はどうしたのですか?」

「仕事に一区切りがついたんだ。私の仕事は、別に常に王城にいる必要もない。せっかくだから、エリーゼと街歩きがしたいと思った」

「街歩き……ですか?」


 急用があれば、魔法で知らせてくるだろう。特に重要な面会も入っていないし、王からの呼び出しも無い。王付き魔法使いは個人に裁量が任されている。


「知り合いから、フィデリスで流行りの店を幾つか聞いた。きみを連れて行きたいと思ったんだ。うまい菓子を出すらしい」

「お菓子ですか?」


 エリーゼの頬がほんのりと色づいた。


「これから行かないか?」

「いいのですか?」

「もちろん。そのために迎えに来た」


 頷けばエリーゼが口元をほころばせた。

 その表情を見たアレックスはいますぐにがっつきたい衝動に駆られ、今日はまだだめだと頭の中で必死に念じた。


 あんまりがつがつしすぎると嫌われてしまう。いや、足蹴りをくらってしまう。恋愛事項に関する身近な例が、ブラッドリーしかいないアレックスにとって、彼らの夫婦生活が世間の標準と化している。


 毎日抱けば、妻の機嫌を損ねてしまう。何しろ、新婚でタガが外れたブラッドリーは毎日のように妻を求めて、我慢の限界に達した王太子妃によって蹴り倒されたのだ。


 ブラッドリーはそれを「彼女なりの愛情表現の一種だよ」と惚気ていたが、アレックスは蹴られるほど嫌われたくはない。


「あ、あの。楽しみです」


 小さな声で付け足されたその言葉を聞いたアレックスは嬉しくてエリーゼの手を取り、その甲に口づけを落とした。

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