第22話 新婚生活が始まりました5

「いってらっしゃいませ、アレックス様」


 エリーゼは屋敷の正面玄関で、アレックスを見送った。


「ああ。行ってくる」


 アレックスはエリーゼの頬に口付けをしてから馬車に乗りこんだ。

 その瞳の優しさに見惚れている間に馬車は屋敷の門から出て行ってしまう。


 自分も同じものを返せればいいのに、どうにも恥ずかしくって難しい。見送りには執事のリッツも同席しているのだ。


 毎日妻として玄関まで見送りをしていて、今日こそはと意気込むのに、いざその時になると先へと進めない。


 馬車の音が遠ざかり、エリーゼはため息を吐いた。


「どうされました、奥様」

「い、いいえ。なんでもないの」


 リッツが首を傾げたため、エリーゼは慌てた。

 夫の見送りの際、自分からほっぺに口付けできないことに悩んでいるなんて言えない。


 今日の予定をリッツに聞き、エリーゼも動き出す。


 アレックスは控えめに言っても社交的ではないため、夫婦そろって公の場所に出ることはあまりない。朝、彼を見送った後は屋敷の庭で花壇の手入れをして、週に何度かミモザ夫人に誘われ、お茶の席に同伴するくらいだ。


「今日は午後から修道院へ行く予定だったわね」

「ええ。厨房にも伝えておりますので、お菓子作りに勤しんでおりますよ」

「子供たち、喜んでくれるといいわね」


 エリーゼは肩を揺らした。


「アレックス様がご結婚をされて、本当にようございました。アレックス様おひとりですと、なかなか慈善活動にまで手が回りませんからな」


「ありがとう。……でも、本当にわたしのようななんの取り柄も無い小娘がアレックス様の妻でいいのか、今でも不思議なの」


 エリーゼの結婚生活はとても穏やかだった。


 シェリダイン家の者たちは、魔力を持っていないエリーゼのことを温かく迎え入れてくれた。魔力のないエリーゼには価値などないのだ、と言われて育ってきたため、彼らの好意的な態度にどう接していいのか分からなくなってしまう。


「もちろんでございますよ。あのアレックス様が是非にもとおっしゃったのですから」


 それはおそらく対外的な言い訳だと思ったが、言いよどんでしまう。


 父は最後までエリーゼがアレックスの妻になることに難色を示していた。魔力のないエリーゼは彼には相応しくない。フォースター家との縁を繋ぐのであれば、魔力を有している一族の娘でよいはずだとずっとこぼしていた。


 フォースター家とシェリダイン家の縁組ならば、エリーゼでなくてもよかったのだ。

 エリーゼは当主の娘だけれど、魔力を有していないためあの家での地位は低かった。この結婚は、エリーゼにしか利が無いように思える。


 彼のことを考えると胸の奥がきゅっと音を立てる。触れられると、心の奥をくすぐられているようで、むずむずしてしまう。


 自分だけが幸せで、そのことに罪悪感を持ってしまうのだ。

 アレックスは、本当は無理をしているのではないだろうか。


 黙り込むエリーゼに言い聞かせるように、リッツは言葉を続ける。


「基本魔法馬鹿……いえ、魔法ばかりに傾倒していたアレックス様が人並みの生活を始めたことにも驚きですし、生活改善をしてくださったエリーゼ様の功績は大きいですよ」


 話をそう締めくくったリッツは、玄関広間で待機をしていた侍女たちに向けて、パンと手を叩いた。


「さあ、今日も一日はじまりますよ」


 エリーゼもその言葉で、身を引き締める。くよくよしていても、時間は経過するのだ。

 まずはいつもの日課をこなさなければ。


 毎日の日課である花壇の手入れに勤しんだ後、エリーゼは昼食を摂り、訪問着に着替えた。

 陽気な季節にぴったりな、淡い緑色の訪問着は、スカートのひだがたっぷりと取られてて、歩くとふわふわと羽が舞うかのよう。


 着替えて階下に降りると、馬車の準備が整っていた。

 馬車には荷物が積んである。エリーゼが独身時代から行っていた慈善活動は、結婚後正式にシェリダイン家として行われることになった。


 侍女を一人連れて、馬車に乗り込み馴染みの修道院へ向かった。

 あらかじめ連絡を入れていたため、数人の修道女らが入口で出迎えてくれた。馬車に積んだ荷物を降ろすと、みんな笑み崩れて喜んでくれた。


「まあまあ。こんなにもたっぷりの布地を頂きありがとうございます」

「今年の精霊祭には、子供たちに新しい服を新調できますわ」


 リッツや修道女たちと相談をして決めた援助とは、子供たちへの新しい衣服の提供だった。布地を贈り、修道女たちが縫うのだ。併設されている孤児院には女の子も多くいる。彼女たちに裁縫を教える良い機会になるため、刺繍糸も一緒に贈ることにした。


「喜んでいただけて嬉しいです」


 布地は木綿で、ブラウス用の白いものと、色を選べるようにいくつか種類を揃えた。街の人間たちは、めったに仕立て屋を利用しない。衣服を仕立てるのは金がかかるからだ。そのため、街の女たちは小さなころから繕い物を通して衣服の縫い方を学んでいく。


 ここで生活をしている女の子たちも、いずれは独り立ちをする。また、縫物に親しんでいれば、縫い子として生計を立てることもできる。


「子供たちとも会っていってください」


 エリーゼも時間をつくって、刺繍を教えに来ようと思っている。


 今日はお菓子も持ってきたので、子供たちに手渡したい。シェリダイン家の料理番も腕がよく、今日はブルーベリーのパイを持ってきた。さっくりとしたパイ生地の中に手製のブルーベリージャムがたっぷりと詰まっている。


 子供たちの喜ぶ顔を思い浮かべると、エリーゼの顔も自然とほころんだのだった。

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