第21話 新婚生活が始まりました4
新婚休暇は早々に明けてしまった。
アレックスは王城の、王付き魔法使いの執務棟でため息ばかり吐いていた。
エリーゼ不足で辛い。どうして、ここに彼女がいないのだろう。
数日間の休暇はまさに天国だった。人生で、あれほどまでの幸福な時はなかった。
柔らかで、甘い香りのするエリーゼを膝に乗せながら朝食を摂り、エリーゼと一緒に庭いじりをして、お茶の時間に一緒にお菓子を食べた。彼女と食べる食事は何だって美味しかった。
本当は職業魔法使いなど辞めて隠居をして、エリーゼと二人、どこか田舎に引き籠ってのんびり庭仕事と好きな魔法の研究だけしながら暮らしたい。
アレックスは別に仕事が好きではないのだ。
物心ついたときから魔法の勉強が好きで、なんとなく剣の稽古をしつつ、剣と魔法の相性について実践的研究を行い、飛び級で学校を卒業して、
国がアレックスの才能を囲い込みたかったという理由もある。
断る理由がなかったのと、魔法の研究で融通が利くということもあり、役職についているのだが、この職場、なかなかに面倒なのだ。
「師匠。ため息ばかりついてないで、仕事してください。帰れなくなりますよ。困るのはあんたですよ」
「みんな、人に頼り過ぎだ。もっと、自分たちで何とかしろ」
バートが手紙を選り分けつつ、こちらに発破をかける。
高い能力のある人間が一度手助けをしてやると、人は甘える。次からも彼に頼めばなんとかしてくれると思い、緊急性の低い案件まで人に押し付けようとする。
とはいえ、アレックスは国王付きの魔法使いという立場で誰でもが簡単に面倒ごとを頼める相手ではない。
しかし、身分というものは厄介で、シェリダイン家の
エリーゼとの時間が無くなってしまうのは嫌なので、今日のノルマは片してしまうことにする。
魔法省の各部門からの依頼事項をまとめた書類を読み始めて数十分が経過をしたころ、王太子が現れた。
「新婚生活はどうだい? 可愛い妻にがっつきすぎて、新婚早々ドン引きされていない?」
にやにやと、好奇心に満ちた顔をしながらずかずかと部屋の中に入ってくるブラッドリーに、アレックスは眉を持ち上げた。
「私は殿下とは違う。がっついて足蹴りなんか食らわない」
「あれは愛ある足蹴りだよ? ブリギッタは奥ゆかしくて恥ずかしがり屋さんだからね」
どうやら息抜きの時間らしい。
バートが即座に部屋から出て行った。
ぱたんと扉が閉まると、ブラッドリーはお行儀悪くアレックスの執務机の隅に腰かける。
「人間に興味のなかったアレックスが、まさか公園で出会った女の子に惚れるだなんてね。人生何が起こるか分からないものだね」
ブラッドリーとアレックスは同世代ということもり、共に王立魔法学院で学んだ仲だ。
アレックスは飛び級をしたため、全学年一緒というわけではなかったのだが、たぐいまれなる才能をみせたアレックスはブラッドリーの友人として、王城に招かれることも多かった。
そのため、二人きりになると大分砕けた言葉遣いになる。
「それで。私が伝授した夫婦生活は実践している?」
「ああ。あれは役に立った。感謝する」
素直にそう言えば、ブラッドリーは口をぽかんと中途半端に開けた。
締まりのない顔のまま黙り込んでしまったため、アレックスは訝しむ。
「なんだ?」
「いや。……ていうか、きみがあれをしたんだ……」
「殿下が夫婦たるもの、スキンシップを図るために朝食時は互いに食べさせ合うものだと言ったんだろう」
基本、人間よりも魔法の勉強のほうが好きだったアレックスは人付き合いというものが好きでない。
幼少時より飛びぬけた魔力を有していたアレックスは、名門シェリダイン家の直系ということもあり、様々な思惑を持った人間から媚びを売られた。
その中には女性たちも含まれていて、学生時代から、女たちに追い回されていた。将来有望なアレックスと縁を結ぼうと、年上から年下まで言い寄られること多数。十代後半の段階で、すっかり女嫌いになってしまった。
女たちを忌諱する生活を送っていたため、最初エリーゼに恋したのだという自覚すらなかった。彼女から会えないと言われて、心臓が潰れそうになって、初めて恋慕に気が付いた。
嫌われたくなくて諦めようと思って、けれども彼女を取り巻く家庭環境を知り、マーカス・フォースターがエリーゼを疎んじるというのなら、自分が貰おうと開き直った。
外堀を埋めてエリーゼとの結婚にこぎつけたまではよかったが、いかんせんアレックスには女性経験が無かった。
友人兼将来の上司(現在の上司は彼の父である国王である)でもあるブラッドリーはそんなアレックスのために色々な知識を伝授した。彼は数年前に妻を娶っており、結婚の先輩でもあった。
「ああ、言ったね。夫婦は互いにご飯をあーんして食べさせ合ったり、膝枕をしたり、一緒にお出かけをしたり、一緒に湯あみをしたり。え、ちょっと待て。湯あみもしちゃったの? 私だってまだなのに」
「いや。まだだ」
「よかった。私だって、一緒に湯あみはまだなんだから、そこは先を越されたくないなあ」
「だが先を越すのも時間の問題だ」
「うわ。ずるいぞ! アレックス。ちょっと前まで女なんて香水臭いし自己主張が激しすぎるし、うざいだけとか言っていた癖に!」
「エリーゼはいい香りがするし、ふわふわと柔らかいし、話も聞いていて飽きない」
「ベタぼれじゃないか」
正直な所感を伝えればブラッドリーが口をぽかんと開けた。
「暇つぶしならさっさと帰れ。私はさっさと仕事を切り上げて家に帰る」
「家に帰るのが面倒でほぼ王城で寝泊まりをしていた人間の台詞とは思えないね」
「ここにエリーゼはいないだろう?」
「人嫌いの大魔法使いが恋をすると、ここまで変わるものなんだねえ。それにしても、フォースター侯爵が、あれほど可憐な娘を隠していたのも驚きだったけど」
「エリーゼを変な目で見るな」
アレックスがじろりとブラッドリーを睨み上げると、彼は肩をすくめてからりと笑った。
「私はブリギッタ一筋だよ? 一体、口説き落とすのにどれほどの労力を使ったか。まあ、きみの協力のおかげだね。移動魔法は便利だねえ」
だから、感謝をしているんだよ、とブラッドリーは片目をつむって、紙切れを手渡してきた。
王太子ブラッドリーの妻は、他国の王族出身だ。外交で出会い、一目ぼれをしたブラッドリーがその後猛攻をかけてブリギッタを妻にしたのだ。友好国の王族だったため、結婚はすんなり了承された。アレックスは主に、移動魔法の使用で彼の恋に協力をしたのだ。
訝しんで開いてみると、フィデリスの住所がいくつか書かれてある。
意図が掴めず目を眇める。
「王都で、女性たちに人気の店だよ。城勤めの女たちに話を聞いたんだ」
「殿下が聞いたのか?」
「まさか。女官長に頼んでおいたんだよ。私たちも、お忍びで出かけようと思って。ブリギッタは可愛いもの好きだからね。これはそのおすそ分け。エリーゼ夫人を連れて行ってあげなよ。きっと、きみの奥さんも喜ぶと思うよ」
ブラッドリーはそう言って休憩を終えた。
アレックスは置き土産の紙切れをじっくりと吟味をする。
確か、ミモザ夫人も言っていた気がする。恋人同士でお出かけをして仲を深めていくのだと。
アレックスは書籍を取り出した。
項をめくって、お目当ての内容を探し出す。なるほど確かにと書かれている文字を辿っているとバートが戻ってきた。
「って、仕事に戻ったと思ったら何してるんですか」
口やかましいバートがアレックスから本を取り上げた。
「返せ」
「書類読んでるかと思えば、何『紳士淑女のただしい男女交際の進め方』なんて、思春期真っ盛りな本読みふけってんですか!」
「殿下に貰った。いや、押し付けられたといったほうが合っているな。しかし、今読んでみて分かったのだが、役に立つな、これは」
ブラッドリーに押し付けられたとき、自分たちはすでに婚約をしているのだからこんなもの必要ないと机の引き出しにしまい込んでしまった。もっと熟読しておけばよかった。
「へ、え……殿下がですか」
「王城の書庫にあったのだろう」
「んなもん、王城にあったらドン引きするわ!」
バートは背中に本を隠し持ってしまう。
「返せ」
「さっさと仕事してくださいっ!」
「それよりも重大事項が発生した」
「なんですか」
「婚約期間中、仲を進展させるために世の男女は連れ立って出かけるらしい。観劇やら、公園、サロンなど。そういえば私はいつもミモザ家を訪れてばかりいてエリーゼのために街の珍しいものを探し出す努力を怠った」
考えればずーんと心が沈んだ。
婚約の記念にと贈り物をしたところまでは正解だったはずだ。身一つでアレックスのところに嫁いで来ても問題ないように、一から十まで全て揃えるよう手配をしたのだ。
しかし、正しい男女交際のあり方については完全に失念をしていた。
これまで婚約も結婚もしたことが無かったのだ。つくづく、ブラッドリーの親切を
友人の遅い青春に斜め四十五度傾いた助言をしている王太子に振り回されていることなど、アレックスは知る由もない。
世間慣れをしたバートは、師匠のずれた行動に頬を引くつかせたのだが、アレックスは気が付かない。
「というわけで私は今から出かける」
アレックスは立ち上がった。
「どこへ?」
嫌な予感にバートは半泣きだ。
「エリーゼのために、フィデリス中の店を調べてくる。それとも、珍しい鳥を見るために旅行にでも誘うか。いや、そうするとエリーゼは私よりも鳥にかまけてしまう……」
「いや、もうあんた仕事しろよ」
このあと短くない時間、アレックスとバートの不毛な応酬が続いた。
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