第19話 新婚生活が始まりました2
柔らかな日差しが眩しくて、エリーゼはゆっくりと目を開けた。
頭の中がぼんやりとしていて、回らない頭で考える。
見慣れない家具に記憶を混濁させていると、身体を引き寄せられた。
熱い腕の中に捕らわれ、エリーゼはびくりとするが、すぐに思い出す。
(たしか、わたしはアレックス様と結婚をして……)
「……っ!」
昨晩のあれこれを思い出したのと、後ろからぎゅっと抱きしめられたのは同時だった。
女の腕よりも太くて、筋張った腕の中でエリーゼは身じろぎをした。
「おはよう、エリーゼ」
耳元を低い声がかすった。少し気だるげなその声に、心がきゅっと反応をする。
「あ、あの。おはようございます」
後ろから抱きすくめられ、恥ずかしさで悶絶しそうになった。
しかし、しっかりとアレックスの腕に拘束されているためそれも叶わない。女のそれよりも逞しく筋張った腕は熱くて、その体温が余計に羞恥を煽ってしまう。
(それに……あの、わたしたち何も着ていない……)
目下の懸案事項だった。
アレックスがエリーゼの後ろ首に唇を押し付けた。こんな場所が、ここまで敏感に反応するだなんて、今の今まで知る由も無かった。
「ひゃっ」
思わず呻くと、アレックスが舌先でぺろりと舐めた。とっても恥ずかしい。今度は唇をぎゅっと閉じてやりすごす。
昨日までとは明らかに違う。これが夫婦の日常なのだろうか。
もぞもぞと動くと、話さないとばかりに胸板に背中を押し付けられた。
心臓が持たないかもしれない。けれど、密着した場所から伝わるじんわりとした熱が心地よくて、エリーゼは彼に身を委ねた。
穏やかな朝だった。
心臓は騒がしいのに、窓から差し込む光りはとても柔らかで、外から小鳥の歌声がかすかに聞こえる。
やがて、アレックスがゆっくりと起き上がった。エリーゼは所在無げに掛け布の中にくるまったままだ。このような場合、どうしたらいいのだろうか。
目のやり場に困ってしまうのに、アレックスは動じていないようだ。筋肉のついた、女性とはまるで違う胴回りを見てしまい、慌てて目をつむる。
「エリーゼ、身体は辛くないか?」
アレックスがエリーゼを真上から見下ろしてくる。
乱れた髪の毛をゆっくりと手で梳きながら、あらわになったおでこに唇を押し当てられた。
ふわりとした感触に、また心がきゅっと反応をした。
今すぐに掛け布の中にもぐりたくなるのに、柔らかく梳く指が心地よくて動けない。
「だいじょうぶ……です」
違和感はあるけれど、気にするほどでもない。
「結婚休暇を貰ったから、数日間はゆっくりできる。なにか、したいことはあるか?」
「やりたいこと……ですか?」
シェリダイン家の妻になったのだ。家の中を取り仕切るのもエリーゼの役割になるのだろう。今はまだ当主の座についてはいないアレックスだけれど、この屋敷に住んでいるのは若夫婦である自分たちだ。
「まずは、結婚式に来ていただいた方へのお礼状を書いて、それから、お屋敷の使用人たちへのご挨拶と」
「……」
なぜだかアレックスがきゅっと眉根を寄せた。
どうしたのだろう。纏う温度が少しだけ下がったような気がする。
「あ、あの?」
「あとで執事を紹介する。リッツという名の男だ。代々、シェリダイン家に仕えている。結婚式の礼状などは彼が采配を振るう」
「はい」
「できれば、私との時間も取ってほしい」
「でも、アレックス様はお忙しいのでは?」
「新婚なんだ。邪魔など入らないし、入れさせない」
アレックスがエリーゼの頬を優しく撫でた。
ふわりと微笑むその顔から目が逸らせない。普段はどこか酷薄な表情をしているのに、エリーゼに話しかけてくれると、いつの間にか目が柔らかくなっている。
ただの政略結婚相手であるはずのエリーゼに、こうして優しい言葉をかけてくれることが嬉しくて、エリーゼははにかんだ。
これからは妻として、彼の手を煩わせてはいけないのに、今この時間が長く続けばいいのにと考えてしまう。
「あ、あの。一緒に朝食を食べたいです」
「腹が減ったか?」
「……はい」
昨日は緊張とコルセットがきついせいであまり物を食べることが出来なかった。
空腹を確認されると、お腹がキュルキュルと鳴ってしまい、恥ずかしくて掛け布をがばりと顔まで引き上げた。
「腹が減ると認識できるのはいいことだ」
アレックスが寝台近くの紐を引いた。
使用人たちが動き始める。
これからは、彼と一緒に食事をするのだと思うと、どこか気恥ずかしい。初めて一緒に食べたサンドウィッチの味を思い出してしまう。
アレックスがガウンを取ってくれ、慌てて身に付けた。
やがて運ばれてきた朝食は、どれもほかほか湯気がたち、焼きたてのパンの香りに鼻をすんすんとさせてしまう。
寝台の上に簡易テーブルを置かれ、エリーゼは目を白黒させた。
「ここで、食べるのですか?」
「ああ。新婚とはそういうものだと聞いているが」
「ええ……?」
アレックスが当然という顔をするから、エリーゼは困ってしまう。世間はそういうものなのだろうか。
母と父は、物心ついたころから、あまり会話が無かった。子供は専用の乳母が付けられるのが普通で、頻繁に両親の寝室に行くことが無かったから、夫婦が朝食をどのように食べているのかという知識が無い。
エリーゼが固まっているうちに、あっという間に朝食の準備が整った。
搾りたての果実水や、焼きたてのパン、卵料理にカリカリに焼いたベーコン。食後の果物まで乗っていて、お腹が限界だと訴えてくる。
エリーゼは、細かいことは気にしないことに決めた。
準備をしてくれている使用人たちが涼しい顔をしているのだから、このように寝室で食事をすることも、夫婦にはあるのかもしれない。
果実水を飲み、パンを取ろうとすると、アレックスが「エリーゼ」と話しかけてきた。
「はい」
返事をすると、その開いた口にパンの欠片を放り込まれる。
(……?)
もぐもぐと咀嚼をするが、頭の中が疑問符で一杯だった。
「美味しいか?」
「はい」
ごくん、と飲みこんだあと、頷いた。
「もう一口食べるか?」
アレックスがパンを千切る。
「ええと……?」
だいぶ困惑をしているのだが、アレックスは平素の声で「口を開けて」と言ってきた。
要求に従って、小さく口を開く。
またパンを放り込まれた。もう一度もぐもぐと咀嚼をする。
「次は何を食べる?」
「アレックス様は食べないのですか?」
「食べさせてくれるのか?」
どこか、弾んだような声に聞こえたのは気のせいだろう。
「……?」
どこか釈然としないが、エリーゼは世間に疎いため、自分だけが知らないだけで、夫婦というのは、互いにご飯を食べさせ合うものなのかもしれない。
「アレックス様は何から食べたいですか?」
エリーゼが問いかけると、アレックスは「きみが食べさせてくれるものなら何でもおいしい」と答えたのだった。
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