第18話 新婚生活が始まりました1

 結婚式は、五番目の月の最後の週に、王城に隣接された創生神を祀る聖堂で行われた。


 本音はともかく、体面を気にする性質であるマーカスは、娘が名門シェリダイン家に嫁ぐということもあり、きちんと花嫁衣装を見立ててくれた。


 春らしい薄紅色のドレスの裾には砕いた水晶の欠片がふんだんに縫い付けられ、動くと光を反射してきらきらと輝いている。くせっ毛を丹念に梳いてまとめあげ、咲き始めの薔薇をいくつも刺した。


 婚約期間中、ずっとお世話になったミモザ夫人が式当日もつききりで世話をしてくれたため、エリーゼは心細い思いをせずに済んだ。


 大聖堂は多くの招待客で埋め尽くされている。

 両家とも古い魔法使いの家系であるため、招待客のほとんどが魔法使いだ。


 婚約期間中に、エリーゼは様々なことを知った。ずっと世間から隠されるように育てられたため、マルティニの上流階級の力関係などは知る由も無かった。

 エリーゼの生家フォースター家は、純血主義と呼ばれる、魔法使いの血を重んじる考え方に傾倒しているらしい。


 だが、この国には生まれつき魔力を持たない人々も多く暮らす。長い歴史の中で、魔力を持つ人々が支配階級に上り詰めたのだが、現在の国王は魔力の有無関係なく優秀な人材を登用することに重きを置いている。


 昔ながらの考えに固執をする人の中には、国王のやり方に反発を覚える者も少なくないのだという。魔力を持っている人間が、持たない人間を庇護してやっているのだという、考え方を一部の人間が持っているからだ。


 現国王寄りのシェリダイン家が、純血主義のフォースター家を取り込むためにこの婚姻を持ちかけた。そのような噂が流れていた。


 そういう話は、ミモザ夫人に連れて行かれた茶会などで漏れ聞こえてきた。


 皆、アレックス・シェリダインの突然の婚約に興味津々らしく、扇で口元を隠し、本人に聞こえていようといまいと、お構いなしだった。

 そしてエリーゼも、そういう裏事情を耳にして腑に落ちた。


(わたしがアレックス様と結婚をするのは、国の均衡を図るため……)


 アレックスは優しいからエリーゼの耳に優しい言葉を並べてくれたけれど、それ以外のところで決め手があったのだと分かった方が、逆にありがたかった。


 エリーゼは居並ぶ招待客から意識を外すよう努めた。

 礼装に身を包んだアレックスと一緒に大司教の言葉を拝聴する。

 長い言葉のあとに、互いに見つめ合う。


 彼の瞳に、今エリーゼはどのように映っているのだろう。

 本当に自分がアレックスの隣にいていいのだろうか。


「私は病めるときも、健やかなるときも、生涯に置いてエリーゼを愛し、守り抜くことをここに誓う」


 静まり返った聖堂内に、アレックスの朗々たる声が響いた。心はまだ、揺らいでいるのに彼の言葉がエリーゼを縫い留める。


 ただの台詞に意味を持たせてしまいそうになり、瞳が潤んでしまう。

 アレックスの双眸が一心にエリーゼに注がれている。今度は自分の番だと、慌てて小さな口を開ける。


「わたくしも、誓います」


 そっと、言い添えると、ベールが持ち上げられた。

 アレックスの顔が近づいてくる。触れるだけの、一瞬の口付けはあっという間だった。


 自分の心なのに、どこかふわふわとしている。まるで雲の上にいるようだった。

 エリーゼは今日この日をもって、アレックスの妻となったのだった。


   * * *


 身を包む夜着は想像以上に薄くて心もとない。

 さらさらと肌触りの良いそれは、しかし胸の下のりぼんで留められているだけで、歩くと裾が簡単に翻ってしまう。


 結婚披露の晩餐会を中座し、エリーゼは階上へと連れて来られ、初夜のための身支度を行った。

 裾から見え隠れする白い肌からはほんのりと花の香りがする。シェリダイン家に仕える侍女たちによって先ほどエリーゼは磨かれ、香油を塗り込まれたのだ。


 連れて来られたのは夫婦のための寝室だった。

 新居はフィデリスにあるシェリダイン家の屋敷だ。


 現在、アレックスの両親は、中核都市ハープワークシーに居を構えている。この街にある魔法学校の学長を彼の父が勤めているからだ。


 これまで、この屋敷は月の半分以上を主不在で過ごしてきたらしい。

 今日からエリーゼが女主人代理として(シェリダイン家の当主はまだアレックスの父親なのだ)、屋敷の采配を振るうことになる。


「エリーゼ」


 寝室には、すでにアレックスの姿があった。

 魔法灯の明かりが室内を照らしている。寝台脇の一人掛けに座っていたアレックスが、立ち上がりエリーゼの側へとやってきた。


 まだ少し湿り気を帯びた髪の毛にアレックスが顔を埋めた。


「花の香りがする」

「侍女の皆さんが、香油を付けてくれたのです」


 ふわりと持ち上げられ、エリーゼは慌ててアレックスの両肩を掴んだ。

 そっと、降ろされた先は寝台の上だった。


 エリーゼと同じく、寝間着姿のアレックスがどこか知らない人にも感じられる。


 婚約期間中、足繁くエリーゼのもとに通ってくれたアレックスだったが、その距離感は婚約者として節度あるものだった。二人きりではなく、ミモザ夫人が同席していることが常だったため、こうして今近しい距離感で見つめ合っていることにたじろいでしまう。


「エリーゼ、きみに触れてもいいだろうか」


 自分たちは夫婦になったのだ。

 婚約期間中に、夫との閨についても教えられた。


 そのことを考えると、逃げだしたくなるくらいに恥ずかしいけれど、不思議とアレックスに触れられることに対する嫌悪はなかった。


 未知なる行為に対する不安はあるが、同じ寝台で眠る相手がアレックスであることはエリーゼに安堵を与えた。


「はい。アレックス様」

「様はいらない。ただのアレックスと」

「で、でも……」


 とてもではないが呼べそうもない。恥ずかしくって目を伏せてしまう。


「徐々にで構わない。できれば、もっと、砕けた言葉遣いで接してほしい」

「ぜ、善処します」


 上目遣いをすると、アレックスの手のひらが頬を包み込んだ。


「エリーゼ。生涯かけて、私の妻はきみ一人だ」


 アレックスがエリーゼの上に覆いかぶさる。

 きゅっと目をつむると、唇を塞がれた。結婚式のそれとは違い、口付けは長く続いた。


 夫婦の距離感で、優しく唇に触れられ、やがて熱を帯びていく。

 すべてをさらけ出すには勇気がいるのに、頭がぼんやりとして働かない。

 吐息も何もかも、アレックスに暴かれて。


 エリーゼはこの夜、アレックスの妻となった。


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