第15話 戸惑いの縁談7

 お披露目会は、屋敷の地上階のいくつもの部屋を解放して催されている。


 途中から階下へ降りたエリーゼはその眩しさに目を細めた。

 魔法の明かりで室内が煌々と照らされている。様々な年代の男女たちのざわめきが聞こえてくる。


 屋敷の広間では、ダンスが行われているのだが、一番賑やかなのは別の部屋だった。

 そこだけ、人だかりが群を抜いていた。


 エリーゼは、壁際に寄った。いつ呼ばれるか分からないけれど、あの中心にいるのはおそらく父とマリージェーンだろう。


 今日の主役はフォースター家を継ぐ、マリージェーンだ。

 彼女への祝いの言葉を述べる人間たちで溢れているのだろう。

 何とはなしに眺めていると、招待客らの会話が聞こえてきた。


「まさか、シェリダイン閣下がいらっしゃるとは」

「人嫌いの閣下がまさか、このような一介の侯爵家の催しものに姿を見せるなど」

「王宮舞踏会ですら、この数年顔を出しておらぬのだろう?」

「珍しいこともあるものだ」


 シェリダイン閣下というのは、この国の大魔法使いのことだ。

 エリーゼだって、名前を聞いたことくらいある。

 と、そこでひやりとした。


 マルティニ王国の大魔法使いの名前はアレックス・シェリダイン。


(まさか……アレックス様が……?)


 自分にはまったく関係のない人間だから、思いつきもしなかった。


「あそこにいるのが、マーカス・フォースターの娘なのでしょう?」

「魔力なしだということで、家を継ぐのはフォースター侯爵の姪だそうよ」


 驚きが勝ちすぎて、自分に対するうわさ話も耳に入ってはこなかった。


 エリーゼの知るアレックスが、本当に、あのアレックス・シェリダインなのだろうか。

 だが、彼は先ほどエリーゼの前に姿を見せた。同じ名前の人間が二人いる可能性もある。アレックスという名前は、わりとありふれているからだ。


(まさかね、名前が一致するからって。そんなこと、あるわけないわ)


 第一、そのようなすごい人がエリーゼのようなちっぽけな娘に求婚をするはずがない。

 エリーゼは胸に手のひらを置いて、呼吸をゆっくりと繰り返した。


 音楽が鳴りやんだ。


「皆さま、今日は我がフォースター家の次期当主お披露目の場にようこそお越しいただきました」


 朗々たる声が部屋に響いた。


 招待客らが一斉に口をつぐみ、静まり返る。自然と、マーカスに注目が集まった。

 彼の隣には、薄桃色の華やかなドレスに身を包んだマリージェーンの姿がある。近くには叔父夫婦も佇んでいる。


「姪である、マリージェーンはとても優秀で、王立魔法学院で優秀な成績を収めております。まさに、将来のフォースター家を担うにふさわしいでしょう」


 マリージェーンが優雅に膝を折った。

 人々がゆっくりと手を叩き始める。

 マリージェーンは拍手の音に満足そうに笑みを携える。


 拍手が鳴りやみ、彼女の元には祝いの言葉を告げる人だかりが出来上がった。ときおり、マリージェーンの弾んだ声が耳の届く。


 今日一番のイベントが終わり、エリーゼはいよいよ身構えた。

 お披露目が済んだのだから、今度は自分の番だ。

 サイムズ・ウェイド男爵も、おそらくこの場にいるのだろう。

 部屋の隅で存在を消すように息をひそめていたところを、父に見つかった。


「エリーゼ、ここにいたか」


 マーカスの隣には、薄い金髪に栗色の瞳をした、初老の男がいた。横に太い体を揺らし、初対面のエリーゼを上から下へ舐め回すように眺めてくる。

 彼が、ウェイド男爵なのだ。


「紹介する。こちらがサイムズ・ウェイド男爵だ。ご挨拶をしなさい」


 マーカスが感情のこもらない声でエリーゼを促した。

 エリーゼはドレスのスカートを小さく持ち上げた。


「はじめ――」

「フォースター侯爵。こちらにいらっしゃいましたか」


 エリーゼの挨拶に被せるように、マーカスを呼ぶ声が響いた。


「シェリダイン閣下……」


 マーカスが驚きの声を出す。

 三人の間に割って入ったのは、アレックスだった。


 先ほど対面した時と同じ、黒髪に濃い色の夜会用の衣服に身を包んだ、アレックスだ。

 彼をシェリダインと呼ぶマーカスの声に、エリーゼは理解した。やはり、公園で自分を助けてくれたアレックスこそが、この国で一番の魔法使いなのだと。


「いかがなさいましたか、閣下」

「今日は、あなたにお願いがあって来た」

「願いですと?」

「ああ」


 マーカスが訝しむ。


 アレックスはゆっくりと頷き、エリーゼに視線を移した。

 マーカスも釣られてエリーゼに顔を遣る。先が読めないことへの不満なのか、唇を引き結んでいる。


「エリーゼ・フォースター嬢を、私の妻にすることを許してほしい」

「なっ!……」


 ざわりと、周囲がさざめき立つ。

 ひっそりと、けれども好奇心旺盛に成り行きを見守っていた招待客たちは、アレックス・シェリダインの言葉を聞いてどよめいた。


「しかし、この娘は……」

「エリーゼ嬢は、まだなんの契約も結んでいないと聞いている。そうだろう、ウェイド男爵?」


 アレックスがすぐ近くに佇むウェイド男爵に顔を向けた。

 ウェイド男爵は、アレックスから問われ、視線を素早く周囲へ動かした。


 周囲の耳目じもくが集まっている状況を正確に読み取ったウェイド男爵は懐から手巾を取り出し、額に浮かび上がった汗を拭きとる。


「……ええ、そうですな。いやはや、フォースター侯爵もお人が悪いですな」

「いや、私はなにも」


「エリーゼ、今日この場で、きみに求婚をしてもいいだろうか」


 その声はよく響いた。

 周囲の人間たちが息を呑み、そして行方を追う。


「私は少々、用事を思い出したので失礼しますよ」


 ウェイド男爵がそそくさと場を離れた。

 マーカスは彼を追おうと足を踏み出しかけたが、結局エリーゼとアレックスの会話の行方の方が気になるのか、その場から動くことは無かった。


 自分に注がれる、黒曜石の瞳から逃れたかった。

 しかし、縫い留められたように、視線を動かすことが出来ない。

 心臓が壊れてしまったかのように騒ぎ出した。

 アレックスの言った言葉が信じられない。


 エリーゼが動けないでいると、アレックスが一歩エリーゼへと近づいた。至近距離で、そっとささやかれる。


「私の妻になるのは、嫌悪するほど嫌か?」


 エリーゼは即座に首を左右に振った。


 そんなことない。

 結婚を聞かされた時、まっさきに彼の顔が浮かんだ。もう会うことは無いと心に決めた時、悲しくて苦しかった。あんな胸の苦しみは初めてだった。


「お願いだ。ここで頷いてほしい。断れば、きみはまた、私ではない別の男をあてがわれる」


 その言葉にハッとした。

 顔を上げると、アレックスと目が合う。

 彼は流れる動作で、エリーゼの手を取り、その場に立てひざをついた。


「エリーゼ・フォースター。私はあなたを生涯にわたり愛することをここに誓う。この場にいる皆が証人だ。私に、きみの愛を与えてはくれないだろうか」


 流れるような求婚の言葉に、周囲がどよめいた。アレックス・シェリダインは、このように公衆の面前で臆面もなく求婚を行うような男ではないことを熟知しているからだ。


 手の甲に、そっと唇が押し当てられる。

 手袋越しにふわりと触れられた箇所が妙に熱くなった。


 こんな気持ち、初めてだった。

 どうしてだか泣きたくなった。


 アレックスはどうして、エリーゼに結婚を申し込んだのだろう。


 結婚を焦っているのだろうか。周りがうるさいから? フォースター家とシェリダイン家ならつり合いが取れているから?


 でも、父は許してくれるのだろうか。

 そこまで考えて、アレックスを拒絶したらどうなるのだろうと思いを巡らせた。


 彼がさっき囁いたように、別の男をあてがわれることになるのだろうか。

 アレックスか、別の男か。今ここで選ぶということなのか。


 彼を選んでもいいのだろうか。エリーゼは、何も持っていないというのに。

 それなのに、彼の手を取ってしまっていいのだろうか。


 葛藤は、時間にすれば短いものだったのかもしれない。鼓動がまだ激しくて、呼吸がままならない。


 けれど、アレックスの触れていった箇所が妙に主張をしている。

 どのみち、フォースター家にエリーゼの居場所はない。


(わたし……アレックス様の妻になっても……いいの?)


 わからない。揺れる瞳をアレックスの黒曜石に捕えらえる。


「エリーゼ。どうか、私の妻に」


 名前を呼ばれて、トクンと感情が大きく揺さぶられた。

 もしも、これが夢ではないのなら。いや、夢であるのなら、このまま覚めないでほしい。


「アレックス様の……お申し出、謹んでお受けさせて、いただきます」

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