第11話 戸惑いの縁談3

 息抜き場所として、冬の公園は最適だった。人が少なく、ぼんやり頭と心を休めていても、誰にも何も言われない。


 時折すれ違う人間に挨拶をされる程度のかかわりのみで、それはひどくアレックスを安堵させる。職場は王宮で、ここにいるとやれ面談やら依頼やら訓練やらに忙殺されるからだ。


 冬の人工湖は水鳥くらいしかいない、静かな場所だった。

 そこに、時折少女が訪れた。


 ボンネットをかぶった少女は胡桃色のくせっ毛をふわふわと揺らしながら、水鳥に餌を与えていた。ガアガアとよく鳴き、鳥たちは我先にと餌をつつく。


 鳥たちに食事を分けたあと、少女は近くのベンチに座って、自身も物を食べ始める。時折足元に寄ってきた小鳥たちにパンくずを分けてやりながら。


 少女は数日おきにやってくるようだった。アレックスと同じようにようにぼんやりと景色を眺めているだけの日もあった。かと思えば、鳴き声に釣られて背後の木々の枝に止まる小鳥をじっと観察したり、通りすがりの老人と二、三言交わしたり。


 アレックスの視界の端で、少女が一人きりの時間を楽しんでいる。

 それだけの存在だった。


 何の興味も沸かない光景のはずなのに、いつの頃からか彼女を待っている自分がいることに気が付いた。水鳥たちもこのような気持ちなのだろうか。だが、彼女は毎日現れないし、毎回餌をやるでもない。

 アレックスにとって食事とは生理的欲求を満たすだけのもので、待ちわびるものでも、楽しいものでもなかった。食べられればそれでよい、という程度のものなのに、どうしてだか少女が持つ餌が気になった。


 水鳥たちをあんなにも虜にしているのだ。酷く魅力的に映ったのだ。

 とはいえ、さすがに見ず知らずの少女に声を掛けるわけにはいかない。突然に声を掛けたら、不審者以外何者でもないだろう。大体、自身がそのような目に遭えば警戒する。


 時折視界に映る公園仲間であった少女と関わり合いになったのは、本当に偶然だった。

 魔鳥が王都に迷い込み、少女を襲った。


 アレックスは魔法を使って少女を助け、それが縁で彼女、エリーゼと出会った。

 一緒に食事をして、その時初めて知った。自分は酷く腹が減っていたのだと。


「―匠」


 アレックスは王城の一角にある、塔の一室で物思いにふけっていた。


 エリーゼから、もう会えないと言われてから数日。

 心が追い付かなくて、何も手に付かない日々が続いていた。


「アレックス・シェリダイン閣下‼」


 耳元でやたらと大きな叫び声が聞こえ、眉を顰めた。


「バート、うるさい」


 不肖の弟子が突っ立っている。遠慮という単語をどこかに捨ててきたこの男は師匠の苦言に項垂れるでもなく、ふんぞり返っていた。


「このくらいうるさくなきゃ、師匠の弟子、いや秘書役なんてやってられないんですよ」


 シェリダイン家の遠縁出身でもあるバートとの付き合いはそれなりに長い。

 唯一の弟子は、年々遠慮というものを失くしていった。


「なんの用だ?」

「お客さんですよ。大至急、との言付けです」

「大至急という奴に限って大至急なんてことはない。うるさい輩はせいぜい可能な限り待たせておけ」

「ミモザ夫人ですよ。待たせておいていいのですか?」


 冷たい声を出すバートに、アレックスは次の句を詰まらせる。

 彼女には、頭が上がらないのである。魔法使い社会に何かと顔の利く彼女は、しかし気さくで朗らかで、人嫌いであるアレックスですら、一目置いている。


 ゆっくり立ち上がり、アレックスはバートが伝えた来客用の部屋へと向かった。


「ごきげんよう、ミモザ夫人」

「ごきげんようじゃないわよ。あなた、なにをそんな悠長なことを言っているの」


 入室をし、挨拶をすると、なぜだか怒られた。

 理不尽だと思ったのだが、指摘をすると何倍にもなって返ってきそうだったため、口をつぐんだ。


 ミモザ夫人に着席を促され、彼女の対面に腰を落とす。


「あなた、どうしてエリーゼに求婚をしないの? あの子、本気で結婚をしてしまうわよ」


 ぐさりと、胸にナイフが突き刺さった気がした。

 ドラゴン退治の際にもここまでの絶望感を味わったことなど無かった。

 エリーゼの名前一つで、簡単に心がかき乱される。


「エリーゼは……結婚をするのか……?」


 かすれた声が出た。


「そのようね。縁談が進んでいるのですって。わたくしも、伝手つてを使って調べたのよ」


 最初こそ鼻息が荒かったミモザ夫人だが、着席をして一転、白磁のカップを優雅に手に持ち、目線でこちらにも茶を薦めた。

 正直、優雅に茶会という気分ではない。


「エリーゼ・フォースターは現在のフォースター家の当主の一人娘で、魔力を持っていないそうなの。あの家はガチガチの血統主義だから、さぞ居心地が悪かったでしょうね。家を継ぐのは現当主の姪ね。近々お披露目会あるのでしょう? わたくしのところにも一応、招待状が届いていてよ」


「お披露目会?」

「当然、フォースター家はシェリダイン閣下にも招待状を送っていると思うけれど?」


 身に覚えがない。いや、おそらくは届いているのだろう。

 人付き合いが嫌いなアレックスは基本的に、届いた招待状など関知していない。バート、もしくは屋敷の執事が開封し、本気で出席が必要なものだけ、知らせてくる。


 王付き魔法使いで、マルティニ王国一番の魔力量を誇る大魔法使いであるアレックスの元には、多くの招待状が舞い込む。そんなもの、いちいち顔を出している暇はない。

 王家主催の舞踏会ですら、アレックスはもう何年も出席していないのだ。


「そのお披露目会で、エリーゼも縁談相手と顔合わせをするのですって。聞こえはいいけれど、お相手は五十を超えたじじいよ」


 ミモザ夫人にしては言葉遣いが悪くなった。


「まったく、うら若き十八の乙女に対して、五十過ぎのじじいをあてがうだなんて、一体何を考えているのだか! いえ、わたくしも人のことは言えない年齢ですけれどもね! 二人も息子がいる男の後妻だなんて、そんなの酷いじゃない」


 ミモザ夫人はどこからか手巾を取り出してぎりぎりと締め上げた。ものすごい力で布が擦れる音が聞こえた。


「あなた、それでいいの?」


 ミモザ夫人がじとりとこちらをねめつけた。


「よくはない。だが、エリーゼは私とはもう会えないと言った」


 その言葉がアレックスを縛り付ける。

 これまでの人生で、散々女性たちから追い回されて、うんざりしていた。


 それなのに、公園で出会ったエリーゼのことが頭から離れなくて、少々強引に彼女に話しかけていたのかもしれない。挙句の果てに、もう少し一緒にいたいからと、彼女に同意もなく、移動魔法を使ってしまった。


 やましい気持ちで彼女を連れ出そうとしたのではない。バートに邪魔をされそうで、もう少しだけエリーゼと話がしたかった。だから、公園の正面入り口へと飛んだのだ。


 魔法酔いをしたエリーゼの青白い顔を思い出すと、後悔と懺悔に気持ちで胸がキリキリと痛んだ。あれで、嫌われてしまったのかもしれない。

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