第10話 戸惑いの縁談2

「エリノアは優秀な魔法使いだったわ。お母様のことは、残念だったわね」

「お母様のことを、ご存じなのですか?」

「ええ」


 親愛の色を携えた瞳に、エリーゼはこの人から母の話を聞いてみたいと思った。


 それからミモザ夫人は使用人に馬車の準備をするよう言いつけた。

 エリーゼは寝台から抜けて、客間へと通された。


 温かなお茶とお菓子を供される。

 隣にはアレックスが座っていて、心配そうに顔を覗き込まれるたびに反応してしまう。


「あの。お仕事は大丈夫なのですか?」

「仕事?」


 エリーゼがおずおずと尋ねると、彼はなんのことだろう、という風に眉を寄せた。


「あなたが移動魔法を使う前に、誰かがあなたを探していたような声を聞いたので」

「ああ。それなら平気だ。どうせろくでもない用事だ」


 アレックスの声は至極あっさりしたものだった。


「まあ。あなた、あんまりバートを困らせてはいけませんよ」


 戻ってきたミモザ夫人が会話に割り込んだ。


「困らせてはいない。他の奴らが面倒ごとを持ってくるだけだ」

「それから、お嬢さんをエスコートするのに、いきなり移動魔法はよくないわ。きちんと順を追って、お誘いしないと。まったく、あなたは魔法の腕はとびきりだけれど、そういうところがてんで駄目ねえ」


 老婦人から指摘をされると、アレックスも黙り込むしか無いらしい。

 やり込められている風景にぽかんとしてしまう。


「あなただって、びっくりしたでしょう?」

「い、いえ。わたしのほうこそ、魔法に酔ってしまい、とんだ迷惑をかけてしまって」


「全面的にこのお人の軽率な行動がいけないのだから、もっとびしっと説教をしておやりなさい。男はすぐにつけあがるものなのよ」


 アレックスが息をするように魔法を使うことは、短い付き合いの中で知っている。

 だから、本当にいつもの癖だったのだろう。直前に弟子が迎えに来て、逃げるようでもあった。


「……怒っているか、エリーゼ」

「いいえ」


 先ほどよりも目に見えて元気のなくなったアレックスに、エリーゼは慌てて首を横に振る。少しめまいがして、ぐらりと体が傾いてしまった。

 即座にアレックスがエリーゼの背中に手を添えた。


「大丈夫か?」

「はい……」


 再び、二人の顔が近くなった。そこではたと気が付いた。

 気を失っている間に、涎とか流していなかっただろうか。万が一にも涎のあとがついていたらと思うと、今すぐに鏡で確認をしたい。


「エリーゼ」

「はい」


 突然に名前を呼ばれて、思わず背筋を伸ばした。


「次は、正式に誘ってもいいだろうか。フォースター家に、手紙を出す」

「それは……」


 突然のことに、どうしたらいいのか分からなくなる。正式な誘いとはどういう類のものなのだろう。手紙を出したら、父に知られる。それはまずいと反射的に思った。


「い、いえ。わたしは、もう……あなたとお会いすることはできません」

「どうして?」


「それは……」

 エリーゼは唇をかみしめた。


「この人の素性を気にしているのなら、身元はわたくしが保証をするわ。マーカス・フォースター侯爵だって、邪険にできる相手ではないのだし。昼間に、そうねえ、わたくしのお屋敷でお茶をするくらいから始めてみてはどうかしら」


 おそらくは、助け舟なのだろう。ミモザ夫人が朗らかな声で提案をする。

 それは、とても魅力的な話だった。


「いえ。駄目です。アレックス様は、きっと立場のある魔法使いなのでしょう? わたしは……魔力なしなんです。魔法使いの家系に生まれたのに、ひとかけらの魔力も持っていなくて……それで……。父から縁談を受けるよう言われていて」


 一気に言うと、二人が同時に息を詰めた。


「……縁談相手は決まっているのかしら?」

「それは……」


 客間に重苦しい沈黙が落ちた。

 魔法使い社会にエリーゼの居場所はないのだ。


 とんとん、と扉が叩かれた。使用人が入ってきた。馬車の準備が出来たとのことだった。

 きっともう、アレックスと会うことは無いだろう。

 エリーゼはミモザ夫人にお礼を言って、馬車に乗り込んだ。

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