第9話 戸惑いの縁談1

 気が付くと、エリーゼは知らない部屋で寝かされていた。


 うっすら目を開けて飛び込んできたのは覚えのない天蓋だった。顔を動かしてあたりを確認する。白を基調とした壁紙に、淡い色で春の花々が描かれている品の良い部屋の中にエリーゼはいた。


(わたし……ええと、たしか……)


 意識を失う直前のことを思い浮かべようとするが、まだうまく頭が回らない。

 寝台から起き上がるのも面倒で、エリーゼはそのまましばらくの間微睡んだ。


 いくらかの時間が経過をすると、だいぶ落ち着いてきた。

 そろそろ水か何か欲しいな、と思っていると、控えめに扉を叩く音が聞こえた。エリーゼが「どうぞ」と答えるとしばらくしてからゆっくりと扉が開いた。


「こんにちは。具合はどうかしら」


 黄色の髪をきっちりと結い上げ、首元まであるドレスに身を包んだ、やや年かさの女性が入室してきた。その後ろに侍女のお仕着せを纏った女が付き従う。


 女性が柔和な面持ちで目を細めると目じりに細かな皺が生まれた。品の良い笑みを浮かべたまま、女性はエリーゼのすぐそばへとやってきた。


 女性はミモザ家当主の妻だと名乗った。エリーゼはマルティニの上流階級の家名に疎くて、どのような家なのかは分からなかったが、部屋の内装からそれなりの家格なのだと見当をつける。


 侍女からガラスのコップを受け取った女性がエリーゼにそれを手渡した。そろりと口に含むと、かんきつ類と薄荷のよい香りが口の中に広がった。喉が渇いていていたらしく、エリーゼはこくこくと、コップの中身を飲み干した。


「あの。わたしは一体どうして、ここに?」


「あなた、魔法酔いをしたのよ。あなたと一緒にいた魔法使いが、移動魔法を使ったでしょう。稀にいるのよ、移動魔法に酔ってしまう人が。まあ、移動魔法を使うことのできる人が限られているのだし、それを使用する人も多くは無いからあまり知られていないのですけれどね」


 ミモザ夫人はエリーゼの顔色を覗き込む。


 柔らかな声でしゃべる人だと思った。エリーゼに対して好意を持ってくれているということが分かるから、初対面なのにどこか懐かしい気がする。エリーゼは優しい彼女の話し方に、肩の力を抜いた。


「あの人ったら、たまにわたくしを頼ってくれたかと思えば、ぐったりしたあなたを運び込んだでしょう。驚いたわ。あんなにも狼狽しているあの人を、わたくし初めて見たのよ」

「皆さんに迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」


 エリーゼは深々と頭を下げた。


「あなたが気に病むことではないわ。人には体質というものがあるのだから。不運な事故ね。けれど、あなたが目覚めてよかったわ」


 ふふふ、と可愛らしく笑うミモザ夫人を眺めていたら、部屋の扉がいささか乱雑に開かれた。

 二人そろって、そちらに顔を向ける。


「エリーゼ!」


 酷く急いた表情をしたアレックスが、大きな歩調で入ってきた。


「まあま、あなたったら。断りもなく、扉を開けるだなんて」


 ミモザ夫人が目を吊り上げたが、アレックスはそれには取り合わずにエリーゼの側へと膝をついた。


「目が覚めたと聞いて、居ても立っても居られなくなった。すまない。まさか移動魔法が体質的に合わない人間がいるとは知らなかった」


 アレックスがエリーゼの顔色を覗き込む。

 彼の手のひらがエリーゼの頬に添えられた。

 顔の近さ、それに触れた手のひらの感触に、胸の鼓動が早まった。


「いいえ。わたしのほうこそ、まさか移動魔法に弱いだなんて今まで知らなかったので、良い機会でした」

「具合の悪いところは無いか? まだ目が回るとか、なにか不調は?」

「い、いえ……大丈夫です。たぶん」


 それよりも、彼との距離が近しいほうが気になってしまう。もしかしたら、胸の鼓動が聞こえてしまうかもしれない。


 そっと彼の顔を窺う。

 黒曜石の瞳はこちらを気遣う色で溢れていた。


 このような視線を受けることなど、久しかった。亡くなった母を思い出すのと同時に、別の気持ちも湧き上がってきて、エリーゼは底知れぬ不安に陥った。


 アレックスのことを考えると、胸の奥が痛くなった。


「わたしはもう大丈夫です。そろそろ家に帰らないと」


 エリーゼはアレックスの視線から逃れるように身じろぎをした。

 彼の手が頬から離れていく。ホッとするのに、寂しいと思ってしまった。

 相反する気持ちを有してしまうことに戸惑った。


「馬車を出すわ。エリーゼ、あなたの家の名前を聞いても良いかしら?」

「はい。……フォースターです。エリーゼ・フォースターと言います」


 名乗ると、ミモザ夫人が少しだけ目を見開いた。


「あなた、マーカス・フォースターのお嬢さん? それとも、現侯爵の弟君の娘さんかしら」

「マーカス・フォースターの娘です」

「そう」


 落ち着いた声音だった。もしかしたらフォースター家の娘が魔力なしであることを知っているのかもしれない。


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