第6話 魔法使いと知り合いました6
十日ぶりに修道院を訪れるため、エリーゼは料理番に頼んで、焼き菓子を焼いてもらった。木の実と砂糖を焦がして、しっとりとした生地の上に流して焼いた菓子や、きらきらと紅色に輝くジャムを乗せたクッキーなどを作ってもらった。
ひとつ余分に袋詰めをしたのは、どうしてだろう。
修道院に菓子を届けた帰り道、公園へと足を延ばした。鞄の中には菓子の入った袋が一つ残っている。
エリーゼはいつもの人工湖に行くかどうか、逡巡しながら足を動かす。
どうして、頭の中にこの間助けてくれた魔法使いの顔が浮かび上がるのだろう。
一緒に昼食を食べたことが、思いのほか楽しかったからなのだろうか。
落ち着いた人だった。静かな声は、まるで波の立たない湖面のようでもあった。
彼に会って、何がしたいというのか。
自分でもよく分からないのに、人工湖のほうが気になって仕方がない。
待ち合わせをしているわけでもないのに、彼が今日もいるのではないかと思うとそわそわしてしまう。
そちらのほうへ足を踏み出しかけて、すぐに止めた。
(水仙広場に行こうかな……)
もうすぐ、お見合いをするのに、こんな風に誰かのことで気が散ってしまうのはよくないことだ。
広い公園の中には、四季折々の花々が植えられている。この時期は早咲きの水仙を見ることが出来る。
水仙畑へ足を向けようとするのに、人工湖の方角が気になって仕方がない。
もしも、あの人が今日もベンチに座っているのなら。
挨拶くらいは出来るだろうか。でも、エリーゼのことなんて覚えていないかもしれない。
だって、たまたま魔鳥が上空に現れて、通りすがりに助けただけなのだ。人助けをした相手の顔なんて、いちいち覚えているはずもない。
(でも……、ほんの少しだけ。ちょっと、公園を一周歩くだけ)
じりじりとした想いを持て余したエリーゼは、自分にそう言い聞かせて、足を踏み出した。
しばらく歩いていると、湖が見えてきた。点々と黒いものが浮かんでいるのは、水鳥たちだろう。そういえば、今日は彼らに与えるおすそ分けを持ってきていない。
エリーゼがいつも座る定位置のベンチに、黒い影があった。
(あ……)
心臓が跳ね上がった。
ふいに、彼が顔をこちらに向けたからかもしれない。
先日助けてくれた青年が勢いよく立ち上がり、エリーゼの方へ近寄ってきた。ずいぶんな早足で、あっという間にエリーゼの前へとやってきた。
「十日だ」
「え……?」
開口一番に短く言われて、エリーゼは返事に詰まった。
「きみはいつも、三、四日に一度はここに来て鳥たちに餌を撒いていたのに、十日も来なかった」
黒髪の青年はものすごく真剣な目でこちらを見降ろしている。彼は髪の毛と同じ黒い目をしていた。黒曜石を思わせる美しく磨かれた瞳の中に、自分の姿が映っている。なぜだか、どきりとした。それはきっと、こんな風に男性に見つめられた経験が無いから。
「ええと……、ちょっと色々とありまして」
「そうか。バートが変なことを言うから、落ち込んでいた」
「バート?」
「私の弟子のような男だ」
魔法使いには弟子がいるらしい。こちらを見下ろす青年がふと、微笑んだ。
近寄りがたい美貌の青年だったはずが、一気に雰囲気が和らいだ。
思わず見とれてしまったエリーゼは慌てて平常心をかき集め、鞄の中身のことを思い出した。
「お菓子、食べませんか? 今日は修道院に寄ってきて、いつも子供たちにお菓子を分けているんです。それで、あの、料理番がたくさん作ってくれて。ちょっと余ったので。おすそ分けです。いえ、あの。無理にとは言いませんが……」
青年がじっと見ていることに意識が持っていかれて、何が言いたいのか分からなくなってしまった。頭の中が真っ白になって、泣きたくなって、逃亡をしてしまいたいと思った。
「いいのか、貰っても」
「へ……?」
「きみがくれるというのなら、貰う」
「はい。もちろんです。差し上げます」
エリーゼは鞄の中から袋を取り出した。お菓子の入った袋を手渡すと、彼はベンチへ戻った。
(よかった。無駄にならなくて)
心の中でホッと一息ついていると、青年がエリーゼに視線を向けた。
まざまざと彼の目線を受け止めると、小さく顎を下げた。
こちらへ来い、と促しているらしい……? エリーゼは小さく首を傾げた。
「一緒に食べないのか?」
「いいのですか?」
「いいもなにも、きみの菓子だろう?」
「今しがた、あなたに差し上げたような……?」
彼はじっとエリーゼを見つめている、というか待っている。
まあ、いいか、と思ってエリーゼはゆっくりと彼の隣に腰を落とした。少し恥ずかしくて、人ひとり分彼との間に間隔が開いた。
驚いたことに、彼の座るベンチの周りは暖かかった。この場だけ春のような陽気で、魔法を使っているのだろうと、エリーゼは思わず彼の顔を見てしまう。
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