夢現の幻の中で

私があの人の最後の姿を見て、もう何年が経っただろうか。

あの人が大きな戦争に行くと聞いてとても恐怖したのを覚えている。

あの人が行ってしまう日の晩、私は息子を連れて3人でこの国から逃げようと話を持ち掛けた。


しかし、あの人はそんな私の願いに対して黙って首を振ると、愛おしそうに私を抱きしめて「必ず帰ってくるから、それまで待っていてほしい」と約束した。

そうして、あの人は私の手に溜息が出るほど美しい宝石の耳飾りを握らせた。


それ以来、私はあの人の約束を忘れたことがなかった。

少しでもあの人が早く帰ってくるように毎日神に祈り、少しでも早くあの人に見つけてもらえるよう、渡された耳飾りを両の耳に付けた。

名のある商人や貴族が私の耳飾りを見て息子と二人、一生暮らしていけるだけの金額を提示されたこともあったし、私を娶って息子を養子にするという縁談もあったが私はそういった話を尽く断った。

この耳飾りは私の物だし、私はあの人だけの私なのだ。


月日が経って、私は戦争が終わったことを知った。

けれど、あの人が私のもとに帰ってくることはなかった。

代わりに最後まで勇敢に戦った兵士の遺族として国から支援金が渡された。

私は息子が学校に行き、平穏に暮らしている分だけのお金を残し、自由なお金を全てあの人の捜索費用として使った。

捜索を引き受ける人がいなくなっても私は何年も待ち続けた。


やがて、息子が学院の学者として向かえ入れられ、結婚した。

聡明で心優しい息子は私達が望んだ通り、立派な人間になり、平和で温かく裕福な家庭を築き上げた。

息子は私が一人でも充分に暮らしていけるだけのお金を私に送り、義娘と孫娘を連れていつも私の様子を見に来てくれた。

私は幸せ者だった。

だけど、心にぽっかりと空いた穴が埋まることはなかった。


何年も時が流れ、孫娘が結婚する年になると、私は病床に付すようになった。

いつしか、医者の診断で私の先がもう長くないことが告げられると、家族そろって涙を流し悲しんでくれた。

私の家族は変わらず、私のことを気にかけてくれた。

私は決して孤独ではなかった。


あの人はきっと一足先に天へ旅立って私を待っているのだろう。

孫娘が結婚してからは、そんなことをよく考えるようになっていた。

だから、孫娘が私のあの人の遺体を探すために耳飾りの片方を貸してほしいという頼みにも快く応じた。

あの人はもう死んでいるのだ。それを私が認めたくなかっただけなのだ。


そろそろ胸の鼓動も止まり、あの人に会える日が近づいたと思った晩。

私はベッドの中で目を覚ました。

開け放たれた窓から入った微風がカーテンを揺らし、月の光が差し込む静かな夜だった。

部屋の隅に視線を移すと、いつしか見た姿のままのあの人がいた。


「ビル……。会いに来てくれたのね……。」


ああ、最期に迎えに来てくれるなんて、なんて巡り合わせなのだろう。


「うん。随分、長く待たせてしまったね。」


彼は私のしわがれた囁きにも似た声を聞くと、寝転ぶ私の近くまで来て目線を合わせ、昔と変わらない人懐っこい笑みを浮かべて笑った。


「ごめんなさいね。私だけ年取っちゃって……。化粧でもしてれば少しは良かったんでしょうけど……。」


「そんなことはないさ。シンディは昔からずっと奇麗だよ。もちろん、今もね。」


彼はそう言って私の口と手の甲に口づけをした。

最期に求めていたものが今目の前にあることに涙が零れる。

私は心の底から幸福だった。


「ビル。あの子はあなたの言った通り、立派な先生になったわ……。孫もできて、その孫も結婚して子供を産んで……、みんなで毎日見に来てくれて私、幸せだったの……。」


「うん。やっぱり僕達の子供はすごいね。」


「ええ。でも……、最期にあなたが会いにきてくれて……、こうして約束を守ってくれて……、今はもっと幸せだわ……。」


「うん。僕も聞いたよ。君がずっと待ってくれていたって。心配させてごめんね。」


ビルが私の手を握り、額を寄せ合う。


「これからは……、ずっと……、一緒……、よね……?」


「ああ。ずっと一緒だ。」


私は彼のその言葉を聞くと、目を閉じて永い眠りについた。

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