怪人
「ふむ。やはりここであったか。」
小部屋を脱出すると、私達は洞窟の前の場所に戻っており、ロナルドがテーブルセットの上で呑気に本を読んでいた。
本当にこの男の飄々とした振る舞いは私でも舌を巻くほどだ。
外は既に、昼間の太陽が空を照らしている。
どうやら、あの空間と外とで時間の流れが違うようだった。
ハイドラリアスは既に姿を消していた。ロナルドの気配を感じ取ったのだろう。
鎧の男は突然、現れては消えた水の精と周囲の状況を見て、しきりに辺りを見回している。
「出てくる場所が分かるなら助けにきてほしいもんだわ。流石に今回は少し怖かったんだから。」
「出口は検討はついても入り口はそうそう見つけることが出来ぬものなのだよ。
それに、吾輩はお前なら一人でも出来ると信じていたのだ。」
私が拗ねると師はハイドラリアスが言ったことと同じ趣旨の回答をした。
私がどういう場所に閉じ込められていたのかもお見通しらしい。
信じていたという言葉を聞いて少し胸が高鳴る。
「そう。それは仕方ないわね。なら、いいけど……。」
私は断じて軽い女ではないが、そういうのはちょっと卑怯だと思う。
「ところで、そちらの殿方は?」
師が私の後ろの男を指して問う。
「閉じ込められた小部屋の先客よ。彼が偶然持っていた瑠璃色の真珠があったから何とか脱出できたの。」
師は「ほうほう」と頷くと、帽子を取り、男に名前を名乗った。
男が戸惑いつつもそれに返事をしようとすると、遮るようにこう言った。
「それでは、用も済んだことだし屋敷に戻ろうではないか。」
「ちょっと、依頼がまだよ!」
私が当然の指摘をする。
私たちの依頼はビル・ターナーの遺体を見つけることだ。
龍と会って、閉じ込められた部屋にいた男を救出する依頼ではない。
ロナルドは不思議そうな顔をするとこう返した。
「アリエル。お前はあの部屋に何日閉じ込められていたと思っている。依頼を受けてからもう、5日だ。探し物なら、もう見つけているのだよ。」
師から聞いた答えを聞いて、愕然とする。
私がいない間に既に回収していたとは思いもよらなかった。
自分で受けた依頼なのに先を越されていたことに悔しくなる。
思えば、最初に2日で見つかると豪語した私が馬鹿みたいじゃない。
天才美少女探偵とは何だったのか、とか依頼人に言われたら流石に私もへこむ。
その時は絶対に責任を取ってもらおう。
「さて、話もまとまったことであるし、帰ろうではないか。そちらの殿方も付いてくるがよい。」
そう言って、師がステッキを地面にコツンと叩くと、私達は光に包まれて屋敷に帰還した。
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異変が起こったのは屋敷に着いてすぐのことであった。
突然、鎧の男が痛みに苦しむように蹲ったのだ。
私は慌てて水瓶を呼び出し、癒しの水で男を包む。
しかし、効果はなかった。
確かに身体の傷を癒しているはずなのに……。
「ねえ、これどうなってるの!?」
ロナルドに問いかける。
「アリエル、この殿方はお前が閉じ込められた部屋にどれくらいの間、いたと言っていた?」
「確か、30日くらいと言っていたわ。もしかして、あの部屋の影響を受けているの?」
「その通りだ。」
男が苦しそうにうめき声をあげる。
どうすることも出来ないのだろうか?
私が頭を必死で動かして手段を考えていると、師は腰を屈めて男に話しかける。
「殿方よ。苦しいか?」
男が苦痛の声を上げてそれに答える。
もはや、言葉を紡ぐ余裕もないのだろう。
「痛みから解放されたいか?」
獣にも似た唸り声が大きくなる。
それは肯定と見てよいだろう。当然の反応だ。
「さて、殿方よ。貴男やこの娘にはこの痛みを取り除くことができない。魔力で身を守る術を知らない貴男は直に本来の時間が凝縮して身体に流れ込む痛みに耐えきれず命を落とすであろう。」
男は苦悶の中、狐の怪人に目を合わせ、語りかけられる言葉に耳を傾ける。
「だが、吾輩なら貴男の痛みを取り除き、少しの間の時間を与えて、貴男の最期の願いを叶えることができる。」
男は目を見開くと、一縷の望みに縋るように今度は痛みに耐えて先を促す。
「吾輩が叶える願いは一つだ。さあ、どうする?願うか?貴男の最期の望みはなんだ?」
「……妻に……妻だけでいい……約束が………ある……。」
男が全身から力を振り絞るように怪人に願いを伝える。
そこには這い蹲ってでも願いを叶えたいという確かな決意があった。
怪人はそれを聞き届けると、白い牙を覗かせた。
クツクツという愉しそうな嗤い声が辺りを包む。
「お前は最期に待ち人との約束を選ぶか……!」
ひとしきり嗤った怪人はやがて立ち上がり、目の前の男を見下ろす。
「結構!よろしい!それではこの私がお前の願いを叶えるとしようではないか!!」
そして手杖で床を突き、高らかに声を上げる。
「幻の宝を手に入れ、幻の部屋を見つけた奇特な命運の者!幌の民の血を引く者にして、フェリダの兵士よ!」
契約の証として男の名を掲げる。
「我らの探し人“ビル・ターナー”よ!」
遺体となっているはずの男の名を。
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