ベラディウス山②

水浸しになった私であったが、幸い、前もって念入りに何重もの保護の工夫を施してあった依頼人の耳飾りは無事であった。

人様の大切なものを預かっているのに汚してしまうことがなくて本当によかったと思う。

人除けの魔法を忘れたことよりもこちらの方が重要だったので一先ず、安堵する。

大事なことの優先度だけは間違えたくない。


さて、人除けの魔法についてだが、これは完全に私の過失であった。

私が魔法使いとしてロナルドに弟子入りした際の決まりごとの一つは一人前と認められるまで誰にも私が魔法を使えるところを知られてはならない――ただし、契約や誓約、記憶の剥奪によって人の行動を制限できる場合、その限りではない。――ということ。


これはロナルドが半人前の私を守るために定めたルールだ。

だから、誰の目が見ているか分からない屋敷の外で魔法を使う際は人除けの魔法を使って、人間の認識を歪める。

もし、外で今の大規模な魔法の展開を誰かに目撃されていたらフェリダで騒ぎになることは明白であった。

精霊の力を行使する魔法というものは、己の力や技術の研鑽によって自然の理に干渉する理術と違い、精霊人以外にはほとんど知られていない高度で強力な技術なのだ。

調子に乗っていた自分が馬鹿らしくなった。


「あの……。ごめんなさい……。」


「なに。少しばかり、からかってみただけの話よ。お前が突拍子もなく動き出した時点で人除けの魔法は既にかけてある。次回から気を付けて精進すればよい。

いくら優秀であっても、お前がまだまだ半人前であることは吾輩が一番よく知っておるのでな。」


私の師は知らぬ間に出していた雨傘の水を弾いて仕舞うと、クククという笑い声を上げ、そんなことを言った。

同時に私の失敗をフォローしていたことを知る。

いつの間にか私の全身を覆っていた水も乾いていた。

相変わらずの手際の良さに思わず感心する。

正直、水に濡れたのはこの男の横槍のせいなのだが、指摘されたことは尤もであったので何も言い返せなかった。


その後、私たちを閉じ込めている結界の全容を把握したところで、先ほど確認した結界の端へと向かう。

今度は人除けの魔法が有効であることを確認すると、私は水瓶から魔力を込めた水を結界に向けて放つ。

そうして結界に綻びを作ったところで、私たちはようやく閉じ込められた世界から解放された。


「ところで、この仕掛けを施したのは一体誰なのかしら?敵対しているなら早めに見つけて手を打ったほうが良いと思うのだけれど。貴方ならどうする?」


ロナルドに問いかける。

もし、敵がいるというのであれば、素直に自分の師匠に意見を求めるべきだと思った。

私はよく学び、よく遊び、全てを糧にする育ち盛りの淑女なのである。


「まず、言えることはそれほど警戒するべき相手ではないということであるな。

吾輩がお前であれば、あんな大掛かりで面倒な真似はせぬ。

姿を晒せぬ者の力など、どの道大したものではないのだ。

然れば、力の程度も知れよう。

結界を張ってくるのであれば、自分の周囲をより強い魔力の宿った装備や魔法で覆って領域をすり抜けてしまえばよい。

それでも鳴りを潜め続ける相手ならば初めから存在していないのと変わらぬ。

せいぜい臆病者とでも罵ってやるぐらいで充分であろう。」


帰ってきた答えは存外にも淡白なものであった。

師からすればこの程度、些細な出来事なのであろう。

私は先ほどまで、姿を表わさない敵対者をどのように引き裂いてやろうかと考えるほど、ほんの少しだけ腹を立てていたのだが、受けた指摘に「なるほど」と相槌を打つと、助言通り足元に魔力を込めた水を円状に張り巡らせる。

また、不意を突かれた時の為に杖を左手に持ち、水瓶を背後に召喚する。

向こうが出てこない以上、こちらから打って出るのは時間と体力の無駄だ。

私はこうして、日々真の強者の領域に足を踏み入れていく。


見えざる敵への対策を済ませたところで、懐から依頼人の耳飾りを取り出し、もう一度探知の魔法を行使する。

耳飾りは一瞬、青い光を放つと一筋の線となり、山の樹々が一層生い茂る、より闇の深い場所を指し示した。

そうやって、方角を確認すると預かりものを懐に仕舞い、私たちは再度山の奥へ歩を進めた。


それから、しばらく耳飾りが指す方角を頼りに進路を決めながら歩いて行った。

真の強者の片鱗を見せた私に恐れをなしたのか、見えざる者の妨害はあれ以降無かったが、日が傾き始める頃になると、足元の水が生意気にも前方の何かに強く弾かれるように発光した。


「これもさっきの奴かしら?」


首を傾げてロナルドに返事を求めると、師は首を横に振る。


「違うであろうな。魔力の質が違う。」


そう言うと、それ以上は口を噤んで助言をしなかった。

ここから先は自分で確かめてみろということなのであろう。

であれば仕方ない。私の真の実力を師に見せてあげましょう!


足元の水に今までよりも強い魔力を込める。

しかし、光が強くなるばかりで状況は変わらない。

ならばと、今度は背後の水瓶から渾身の魔力を込めた水弾を発射する。

水弾が見えない壁にぶつかり、先ほどよりも大きな光を放つと目の前の景色に小さな亀裂が入る。

すかさず、続けて水弾を放つと亀裂は大きくなる。

私は目の前の景色が割れるまで水弾を放ち続けた。


やがて、息が荒くなる頃になるとようやく壁を壊すことに成功する。

思っていたよりも中々の強敵であった。

後ろからロナルドの気取ったようなパチパチと手を叩く音がする。

気が付くとテーブルセットとパラソルを用意していた狐の紳士は、憎たらしいことにも優雅に紅茶を飲んでいた。

不意に怒りが込み上げてくる。


「ちょっと!私にも飲ませなさいよ。」


私は文句を言い、椅子を用意させると、つかの間のティータイムを嗜んだ。

いや、あれだけ頑張ったんだから少しぐらい休んでもいいじゃない?

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