ベラディウス山①

「ふむ。どうやら我々は道に迷ってしまったようであるな。」


私の隣を歩く男が呟く。

声に反応して気怠げに首を傾けると汗一つなく、涼しげな顔が見えた。

もう半日近くも山の中に閉じ込められているというのに男の顔には疲労や焦燥といった様子が何一つ感じられない。

まるで他人事のような振る舞いに私は苛立ちを募らせる。


「これは困ったぞ!吾輩の読みではこのままだとあと3日は山の中を彷徨うことになる!」


口にした言葉とは裏腹にクツクツと愉しそうに笑いながら男が私の方を見る。


「確かこう言ったのは誰であったか。

『べラディウス山は格別大きな山ではない。2日もあれば探し人は見つかる。』

おー困った!あと約1日でタイムリミットだ。」


「私が言った通りよ!明日までには見つけるわ!分かったらその煩わしい口を閉じなさい!」


放っておくといつまでも癇に障るようなことを言い続ける気がしたので吐き捨てるように命令する。

今の私にこの男の嫌味を聞き流し続ける程の余裕はない。

私が機嫌を損ねるといつも、火に油を注がんばかりに一挙手一投足で私を挑発してくるのだ。

男は「おやおや」と独り言つと気取ったように帽子を取り、一礼して見せて何事もなかったかのようにまた優雅に私の隣を歩き出した。


エヴァンズ夫人から預かった物を通じて探知の魔法を行使すると、調査対象はベラディウス山に留まっていることが判った。

私たちが今いるべラディウス山はこの大陸を南北に走るウェール山脈の中でもそれほど標高の高い山というわけではない。

鉱山労働者用に整備された山道を使えば素人でもおよそ半日で山麓と山頂を往復できる山だ。

だから半日近く歩き回っても終わりが見えない現在の状況は異常であると言える。

山登りはあまり経験が無いが才能に溢れる私が素人の筈はないのだから間違いない。


私たちは確かに探知の魔法が示す方向に従って歩いているのだが、次第に私の焦りは強くなっていた。

魔法を行使する必要のある私たちは人目の付く可能性のある山道を使わないため、道中で何度か敵意を持った獣に遭遇し体力を奪われることもあった。

正直、弱音を吐きたい気持ちもあるがそれは私のプライドが許さない。

特に隣にいるこの人の前では。

だから、精一杯見栄を張りながら現状の打開策を考えている。

私は強く気高い淑女なのだ。


そうやってしばらく歩き続けていると、私は違和感に気が付いた。


「……おかしいわね。ここの景色。妙だわ。」


今は山頂の方向を目指して歩いていたはずなのに数刻前よりも低い標高の植物群が辺りを覆っており、遠くに見える街の景色が近づいているように見えた。

谷底などの山の窪みにいるというわけでもない。

自然が作った道に沿って山を歩いていれば、いつの間にか山を下っているというのは別に不自然なことではない。


しかし、あえて木々の間や獣道を通らず、探知魔法が示す山頂の方向まで力技――登山の玄人である私が編み出した高等技術――により、まっすぐ強行していたのだ。

なのにいつの間にか下っている。上っていたのに下っている。これでは道理が合わない。

大方、隣の男は私たちの周りで何かが起こっていることをとうに理解しているだろうが、素直に今の事態の真相を教えることはないだろう。

無論、私も教えてもらう必要はない。これは意地だ。

だが、先ほど口にしていた『3日は山の中を彷徨うことになる』という言葉は恐らくヒントだと思った。


情報を整理してみよう。


ベラディウス山は半日もあれば山頂と麓を往復できる標高の山だ。

私たちは東の麓から半日近くこの山を彷徨っている。

3日という期限を手がかりとするなら、この状況に永続性は無いことが推測できる。

しかしながら、目的地を目指して歩いている私たちにとって、3日という日数はこの山の規模では不自然だ。

事前の下調べによると、ここ数年でこの山で誰かが行方をくらましたり、数日彷徨ったという話はなかった。

状況からして私たちが単純に遭難したという可能性も低いし、寧ろ私の人生においてそんなことはあってはならない。


現在、私たちは上ったはずが下るという道理の合わない事柄を目にしている。

道理の合わない事柄は自然現象では起こり得ない。

もし、起こり得るとすれば、それは魔法や理術、奇跡などといった力により初めて起こり得る。

つまりは意思のある何者かが私たちの動向を伺い、理を歪めて私たちを閉じ込めていると考えのが自然ではないだろうか。


人を惑わすために理を歪めることの出来る事象といえば、魔法か理術と呼ばれる技術に他ならない。

効果時間と効果範囲の規模からして恐らくは――


「魔法で作った結界にいるのね。私たちは。」


多少、粗のある推理かもしれないが、ここは考えるより動いた方が早いと思う。

加えて、今すぐに現状を打開したい気持ちがあったので自分の天才的直感を信じることにした。


ともかく、まずは事象の把握だ。


前方の景色が開けた地点に出ると、足を止めて懐から杖を取り出し水瓶を呼び出す。

続けて、私は杖の先で頭上を差し、水瓶から微量の魔力を込めた水を勢いよく上空に向けて射出した。

水瓶から伸び続ける青く発光する水の帯が途中で見えない何かにせき止められるように一瞬止まると、再度その勢いのまま上空へと伸びていく。

やがて遥か上空で勢いを失った水が地上へと降り注ぎ始めると水はまた見えない壁に阻まれるようにして下降することなく、見えないものの輪郭を露にするように空に広がり始める。

徐々に天上に広がり続ける水はほどなくして、前方の視界の端の距離で下に向かい緩やかに弧を描き始めた。


自分の直観は正しかったと思った。


「どう!?私もやるもんでしょ!?」


読み通りの結果に笑みがこぼれた。

ちょっと前に私を小馬鹿にしていた男の反応を伺う。


「ふむ。魔力同士の干渉の性質を利用し、水を結界に沿って広げたのか。魔力を宿した水が空を走っていく様は見ていて面白いものだな。工夫は認めよう。」


ピンチに陥るも柔軟な発想によって華麗に事態を切り抜けて見せる絶世の美女。

そんな可憐なる私の才能を傍で称える者。悪くない構図であった。

刮目せよ。これが稀代の天才美少女魔法使いだ。

気分上々でそんなことを思いながら、四方の水が地面と合流する地点を見定めていると私の才能を傍らで称える男はおちょくるように私の肩に手を置いてこう言った。


「ところで、お前は人除けの魔法をいつ使ったのかね?」


「あ……。」


不意を突かれた私はつい魔法の展開を止めてしまった。

射出の勢いを失った頭上の水がにわか雨のように空から勢いよく降りしきり、全身を打ち付ける。

突然のことで防御を忘れ、ずぶ濡れになった私を一体誰が責められようか。

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