彼方の待ち人

エヴァンズ夫人の依頼①

“北の砦に向かう騎士の方へ。


私が身を捧げたあの人を見つけたら伝えてください。


万病を癒す蜜の川が流れる大地

枯れぬ麦と果実が実る土地


そこに質素な家を建てて暮らしましょう。


あなたが迎えに来る日を待っています。”



“東の海に向かう行商の方へ。


私と生涯を誓ったあの人を見つけたら伝えてください。


瑠璃色の真珠が採れる海

星を映した羊の毛で編んだドレス


綺麗に着飾った私をもう一度見つめてほしい。


あなたが迎えに来る日を待っています。”



“西の山に向かう旅人の方へ。


私と苦難を共にしたあの人を見つけたら伝えてください。


龍が生まれる洞の奥

時の止まった隠し部屋


平和が訪れるその日まで語り明かしましょう。


あなたが迎えに来る日を待っています。”



“南の大陸に向かう巡教者の方へ。


私がただ一人愛したあの人を見つけたら伝えてください。


血の流れぬ純白の草原

沈まぬ光の差す教会


二人きりの式を挙げてもう一度愛を誓い合いましょう。


あなたが迎えに来る日を待っています。”



出典

フェリダ民謡『尋ね人の唄』



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エヴァンズ夫人がその屋敷を訪れたのは単なる気まぐれからであった。


エヴァンズ夫人は医者の夫と7歳の息子を持つ裕福な家庭の主婦である。

リオンの街の名所の一つロナルド・フォクシーの屋敷があることは聞き及んでいたが、日々、忙しく充実している彼女は存在するかも分からない“怪人”などという男に貴重な時間を割こうなどとは思ったことがなかった。


それゆえ、彼女がこの奇天烈な屋敷の前を初めて通りかかったのも最近リオンに引っ越してきた旧友との思い出話に花を咲かせた後の帰りのことであった。


当然、屋敷の前を通ると例の探偵を喧伝するふざけた看板が嫌でも目に入る。

普通の人間ならばこの時点で一笑に付してしまう所であろう。

エヴァンズ夫人はどちらかといわれずともそういった人種であった。


しかし、この屋敷にはどこか夫人を惹きつけるだけの不可解な魅力があった。

彼女はどういうわけか今回に限って、件の看板の宣伝文句の真相を確かめてみたくなったのである。



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「それで、貴方はどんな用事があってここを訪ねてきたのかしら?」


獲物をおびき寄せて捕食する瞬間の深海魚をあしらった匠の創造性溢れる意匠の呼び鈴らしき物を鳴らし、姿を表したのは上品な容姿の少女であった。

客室に案内された夫人は目の前のソファに腰掛ける少女に問いかけられる。

年の頃は15,6といったところだろうか。

夫人の予想していたよりも幼くはあったが、整った顔立ちに手入れが行き届いた金色の伸ばした髪、透き通った肌を見て確かに宣伝に違わぬ容姿であることには納得した。

服装も仕立ての良いものを着ていて気品がある。

貴族や資産家のご令嬢なのだなと推論した。

しかし、ロナルド・フォクシーに子供がいるという話は聞いたことがない。

この屋敷で見るものは何から何まで面妖なのだろうかと夫人は思いを巡らせる。


「あの、こちらは“怪人”フォクシー様のお屋敷でよろしいのでしょうか?」


「そうだけど、取材とか弟子入りとかそういうのは勘弁だから。そういった用事ならさっさと帰ってもらうわよ。」


自分が対面している相手の情報を探るべく訊ねた質問は即座に鋭い言葉で切り捨てられた。

言葉の圧力とでもいうのだろうか。

少女の発する言葉一つ一つが敵意をもって夫人を取り囲んでいるような気さえした。

思いがけない牽制に夫人は言葉を詰まらせる。

とにかく、この場で下手を打つことは許されないという思いであった。


「もう一度聞くけど、なんの用事?」


「えっとですね……。その……。」


先の話を促す少女はさも困ったように要領を得ない言葉を発する夫人を見ると不愉快そうに眉をひそめた。

実際、夫人はとても困っていたのだが。


尚も夫人が一人で悩んでいると少女が指をひと振りし、中空に水瓶のような陶器が出現した。

陶器の表面にはデフォルメされた愛らしいクマのようなウサギのような大陸では見かけない動物が花束を楽しそうに抱えている様が描かれている。

女児のお絵描きのような絵を見て気が抜ける思いであったが少女の目は極めて真剣だった。

水瓶の中からちゃぽんという音が聞こえたかと思うと形容しがたい不快な香りが夫人の鼻腔をくすぐった。

どうやら水瓶の中に得体の知れない液体がふんだんに含まれているようであった。


夫人はこの時点でもう聞きたいことが山ほどあったのだか、彼女の直感は少女の中に決して触れてはいけないものがあることを伝え、警鐘を鳴らし始める。

注意深く言葉を探し、話をつなごうとした。


「えっと、あのですね――」


「はい。時間切れ。」


無慈悲にも少女がそう告げると、水瓶から射出された液体が一瞬で夫人の身体を包んだ。

突然の出来事にたまらず目をつぶると意識が闇に飲み込まれていくような感覚に陥った。

そうして次第に周りの空気が変わり、いつの間にかリオンの街の喧騒が聞こえてくることに気が付く。

再び夫人が目を開くと、彼女は屋敷の外にいた。


「私、何をしていたんだっけ?」


この日、エヴァンズ夫人の最初の訪問は失敗に終わった。



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その晩、エヴァンズ夫人が家事をこなし、子供を寝かせて床に入ると先刻に体験した出来事の記憶が少しずつ蘇ってきた。

夫人は今日の出来事を一つ一つ思い出しながら時系列ごとに並べていく。


確か自分は今日、噂のフォクシー邸に入ったのだ。

そこで少女に会ってここはフォクシーの屋敷なのかと尋ねた。

そうすると彼女は機嫌を損ねてしまい、自分が言葉を探していると、もう用はないとばかりに自分の手を無理やり掴んで屋敷の外まで連れ出した。


少し、抜けている部分があるように思えるがそんな気がした。

いや、正確にはそれ以上、思い出すことができず、確かにそうなのだと自分を納得せざるを得なかった。


だが、どうしても引っかかることがある。

そもそも、なぜ自分はあのヘンテコな屋敷を訪ねようなどと思ったのか。


そうやって長く考え込んでいると、やがて夫人はあの屋敷を訪れた本当の理由に気が付いた。

そして、強く決心する。


明日、改めてフォクシー邸を訪問しよう。

そのためにこの計画は入念に検討しなければならない。

今度はちゃんとあの少女と話をする必要がある。

そのために彼女を怒らせてはいけない。


彼女は慎重に自分の考えを整理して計画を練ると眠りについた。

エヴァンズ夫人は強く逞しい女性であった。



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「なんだ。貴方、また来たのね。珍しいこともあるもんだわ。」


連日の訪問であるが、少女は夫人を客間へと案内した。

とりあえず、訪ねてきた者は客間まで通して話を聞く主義なのだろう。

昨日のことから、少女が傍若無人な人間であることは分かっているが、だからこそ気が付いたことがある。

恐らく、噂はどうあれ彼女がロナルド・フォクシーなのだ。

そして訪ね人の多くはここで彼女の怒りを買って屋敷を追い出されたのだろう。

この人形みたいな容姿に好戦的な思考を抱える少女に。

夫人は昨晩考えてきた計画通りに言葉を紡ぐ。


「昨日はフォクシー様に対して大変無礼な態度を取ってしまい、誠に申し訳ございませんでした。」


「あら、殊勝な態度ね。いいわよ。許すわ。それで用事は終わりかしら?」


彼女の機嫌を多少なりとも取ることに成功する。

少女は夫人より小柄ながらも、その振る舞いは相変わらず遥か高みに腰を下ろし、全力で夫人を見下ろしていた。

夫人はここまでは予定通り上手くいったと思った。

予定通り、全力で見下ろす少女を全力で姿勢を低くして崇める計画だ。

問題は次であった。この場で失敗は許されない。


「いえ、私はあなた様に是非ともお頼みしたいことがあるのです。」


「どんな頼みかしら?くだらないものだったらすぐに帰ってもらうけど。」


少女の眉がピクリと動き、同時に張り詰めた空気になる。

夫人は彼女の雰囲気に物怖じせず、凛とした態度で言葉を紡ぐ。


「表の看板を見て直感いたしました。フォクシー様は探し物を見つけるのが得意なご様子。是非ともあなた様にだけ捜索をお頼みしたい探し物があるのです。」


そう伝えると、少し間が空いた後、少女は下を向いて何かを堪える仕草を見せた。

顔は見えず、手を強く握りしめて震えていることが分かった。

夫人は「失敗した」と思った。

あれだけ計画を練ったのに自分はフォクシーの虎の尾を踏んでしまったのだと。

奇妙な屋敷に住まう次元の違う存在の虎の尾を。

そう思うともはや、恐怖よりも徒労感が込み上げてくる。

この少女に何かをされる前に帰り支度をしようかと思ったそのとき、少女は勢いよく立ち上がり、こう言った。


「依頼に来たのね!!!それで何を見つければいいの!?」


夫人の予想に反して、目の前の少女は今にも飛びかからんとする勢いで食いついた。

さっきまでの険しい眼差しはどこへやら、少女の碧い瞳は陽射しを浴びた水面のように活き活きと輝きを放っている。

その様子に夫人は今年で8つになる自分の子供が好物の砂糖菓子に飛びつく様を連想した。


エヴァンズ夫人はこの少女が何を求めているのかを確信する。

こうなってくると夫人の方も気分が良い。

そこで夫人はあらかじめ用意していた、少女のとっておきの好物を与えることにする。

それは僅かな期待と共にこの屋敷を訪れたきっかけ。

今まで誰もそれを見つけられるとは思っていなかった。

ただ一人を除いて誰もが諦めている探し物だ。

結局は目の前のご令嬢を一時満足させる程度の結果に終わり、見つかることは無いのかもしれない。

それでも誰かを頼りたかった。先の長くない大切な祖母のために。


夫人は客人用の紅茶で口を潤し、居住まいを正すと一呼吸おいて依頼の内容を述べた。


「はい。私があなた様に見つけていただきたいものは祖父の遺体です。」

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